2015/10/23(金)<“小児がんサバイバー” 克服後の闘い>
【特報首都圏】 http://www.nhk.or.jp/tokuho/archives/index.html
*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。
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┏┓<“小児がんサバイバー” 克服後の闘い>
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幼い頃『小児がん』を乗り越えた“小児がんサバイバー”
その数は全国で5万人以上
最近その中で克服した人に表れた新たな障害と闘う人達が増えている
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┣■“小児がんサバイバー”
◇38歳の男性 都内で働くサラリーマン
・残業をこなす日々を送っていたが、ある日健康診断で『大腸がん』が見つかった。
・突然のがん宣告。さらに衝撃的だったのが30年前に受けた『小児がんの治療』が
その原因だったこと。
「凄くショックでした。怖くてしょうがなくて、
このまま何もしなかったら死んじゃうし・・・ 」
・『小児がんの治療』では発育過程で『放射線治療』や『抗がん剤の投与』が行われる
その結果、完治した後、何年も経って様々な障害が発生する恐れがあることが
判ってきた。
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◇26歳の男性
・中学の時、小児がんが完治した。
・ところが最近唾液が出にくくなり、首の筋肉が固まり、動かしにくくなってきた。
◇医師 男性
放射線の影響で「筋肉の硬化」が起きている。
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◇25歳の女性
・小児がんを克服後、内臓の手術を繰り返している。
・体力に不安があり、安定した仕事に就くことができないでいる。
「入退院・手術を繰り返していると、他の生き甲斐も見つけられない。
やりたいこともできない。いつも急変に怯えて生きる。-」
・苦しみに立ち向かう“小児がんサバイバー”。その闘いを見つめた。
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┣■“小児がんサバイバー”を悩ます『晩期合併症』
・幼い頃、過酷な治療に耐え『がん』を克服した人が“小児がんサバイバー”
・かつては治療が困難だった『小児がん』だが、医療の進歩により克服した人の数は
年々増加。今は5万人を超えると言われている。
・ところが子供の頃に行われた『抗がん剤』や『放射線治療』により、
その後“様々な影響”が体に出る可能性があり、『晩期合併症』という。
『晩期合併症』
200種類以上にも及ぶ。
例.
<成長への影響>
低身長 etc.
<脳や五感への障害>
聴覚障害、難聴、白質脳症、知能障害、認知機能障害、心機能障害、心筋障害、
学習能力低下、思春期早発、眼科的疾患、歯根異常、小歯症、
歯牙異常、歯牙・歯根形成大全、弁疾患、虚血性心疾患 etc.
<心臓や肺、肝臓など臓器への影響>
白内障、顎骨の発育不全、甲状腺異常、うっ血性心不全、
動脈硬化、脂満、骨粗鬆症、大腿骨頭壊死、性腺機能障害、子宮低形成、
副腎機能不全、膀胱がん、膀胱炎、耐糖能異常、高血圧、
脂質異常、乳がん、乳腺低形成、
骨密度低下、腎障害、脊柱側弯、早発閉経、大腸がん、直腸がん、
骨盤形成不全、慢性腸炎、腸閉塞、腎尿路障害 etc.
<不妊や糖尿病、免疫不全>
不妊、糖尿病、肝硬変、肺線維症、二次がん、免疫不全、 etc.
多種多様で、またいくつもの症状が同時に起きたり、何十年も経って突然出て来たり
現れ方も様々。
・一度は完治した『小児がん』。その後にやってくる『晩期合併症』とはどんなものか
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┣■“小児がんサバイバー”『晩期合併症』との闘い
◇25歳の女性 都内在住
・派遣会社に登録して働きながら一人で暮らしている。
・彼女は10年近く『晩期合併症』で苦しんでいる。
「今辛いことは、またいつ身体が急変して入院・手術が必要になるか分からない
ということ。」
・小学6年の春、彼女は腹部の激痛で緊急入院。卵巣に腫瘍が見つかった。
・2回手術を行い、取り切れなかった腫瘍に対し『抗がん剤』や『放射線治療』を
繰り返した。その過酷な治療は10ヵ月にも及んだ。
「副作用が酷くて、化学療法では1日に50回以上おう吐したりもしていました。」
・完治から5年、充実した高校生活を送っていた。
だが突然、激しい腹痛と吐き気に襲われた。
小腸で食べ物が詰まり、形がよじれる『腸捻転』で入院。
放っておくと腸が壊死する恐れがあったため、緊急手術が行われた。
・その後も度々腸が詰まる『腸閉塞』になり、多い時で年3回手術を受けた。
・原因は『小児がんの治療』で「大量の放射線」を浴び、腸の細胞が傷ついていた
ことだった。
「一番苦しかったのは、退院して終わりでなかったことですね。
『晩期合併症』でまた手術を受けることになったりですとか、
もう退院して終わりだと思い込んでいたので、また再び手術になった時ですとか
また入院することになったしまった時に、特に大きなショックを受けました。」
・今現在、彼女はイベントスタッフの仕事で生計を立てている。
しかし体力に限界があり、疲れやすいため、週に2、3日しか働くことができない。
・『放射線治療』は「女性ホルモンの分泌」にも影響を与えた。
「いずれ子供を産みたい」という望みも諦めなければならなかった。
「やはり後遺症ということなんですけど、それ覚悟していたとはいえ、やはり
実際になってみると辛いものがありましたし、入退院・手術を繰り返していると
他の生き甲斐も見つけられない。やりたいこともできない。-」
・『晩期合併症』は長い間何事も無く生活していた人にも突然現れるという。
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◇38歳の男性 都内で働くサラリーマン
・空調設備を扱う会社で働いている。
・『小児がん』を克服してから30年後、会社の健康診断で『大腸がん』が見つかった
・2歳の時に背中の神経に『がん』が見つかり『放射線治療』を受けた。
その治療が原因の『晩期合併症』だった。
「凄くショックでした。*頷く* もう怖くてしょうがなくて、
このまま何もしなかったら死んじゃうし・・・
その手術したからって治るとは限らない-」
・彼の大腸のレントゲン写真を見ると悪性の腫瘍ができていた。
幼い頃に受けた放射線で細胞の組織が崩れていた。
<『晩期合併症』の発症率> データ:NEJM(北米CCS研究)
・小児がんの経験者に『晩期合併症』が現れる割合
完治後、時が経つほど発症率が高くなっていくことが分かっている。
重度の問題 軽度の問題
5年後 10%弱 25%強 ※グラフからの目視
10年後 12%程 35%程
15年後 17%程 43%程
20年後 20%超 52%程
25年後 23%程 60%超
30年後 35%程 70%弱
・彼は現在、日々の食事を見直し体調の管理に気をつけているが、
新たな『がん』が見つかる不安は拭えない。 ※キノコを食べたり青汁を飲んでいた
「まあ恐怖がやっぱりありますよね。
どうしてもそれが仕事に影響することはありますんでね、どうしても。*頷く*
無理はしなくなっちゃいました。*盛んに頷く*
疲れやすかったり、体力の減衰はすごく感じます。-」
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┣■スタジオにて
◆“小児がんサバイバー”厳しい現実
◇寺澤敏行 MC
Q.『晩期合併症』を見てきて、何が一番大変だと思いますか?
A.
◇平間一彰 国際放送局
そうですね。あのぉ、一つその誤解ないようにお伝えしたいのはですね、
『放射線治療』とか『抗がん剤治療』は非常に厳しいものなんですけれども
『小児がん治療』には欠かせない治療なんですよね。ですからその時はあのぉ
お医者さんも親もですね、なんとかそのご病気を治そうということで治療をした
ので、これ自体は「必要な治療」だったと思うんですね。
この『晩期合併症』っていうのはですね、本当に人によって様々ですのであのぉ
なかなか一概には言えないんですけれども、一つ共通しているのがですね、
なかなかこう「見た目で判らない」ということなんですね。
その見た目での判りづらさっていうのが実は「社会復帰への難しさ」に繋がって
いるんですね。
で、あのぉ今VTRでご覧頂いた女性の場合はですね、あのぉ『晩期合併症』に
よって「正社員として働くことが難しい」というケースなんですけれども、
実はその取材をするとですね、就職した後でもですね、例えば『晩期合併症』に
よって「記憶力に問題」があるですとか、あるいは「人の話にすぐ反応できない」
と、そういったことから“仕事上つまづく”というケースもあってですね、
やはりその「判りづらさ」。私達から見て「判りづらさ」っていうのがあのぉ
「社会復帰への難しさ」に繋がっているというのを感じましたね。
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◆“小児がんサバイバー”遅れる対応
◇寺澤敏行 MC
Q.『晩期合併症』について、医療側ではどんなことが課題だと思いますか?
A.
◇沖本由理 小児科医 千葉県子ども病院
まず「正確なデータが日本には無い」ということですね。あのぉそれからですね
どんな『晩期合併症』がどれくらいいるかもよく分かっていない。その理由は
一つには私達「医療制の問題」もあるんですけど「『晩期合併症』がある」って
ことすらもよく分かっていなかった、昔はですね。
で、そのために実際のところ5年経ってお医者様から「もう来なくていいよ」と
言われてしまって、で、その後に『晩期合併症』が出てご苦労されている方も
いるということになります。
(完治したと思ったから当時の医者はもう大丈夫だとOKを出した。
ただそのデータが正しくなかった。) そうですね。
ですからそういう「データがちゃんと無い」ということが大きな問題の一つだと
思っています。
◇寺澤敏行 MC
Q.お医者さんはこれを長期で見ていかなければならないので、
小児医以外での協力も必要になってくるかと思うのですが?
A.
◇沖本由理 小児科医 千葉県子ども病院
そうですね。ハイ。あのぉ小児科の医師が大人の方を見ることはやはり難しい
ですね。ですから成人になってから起こってくる『晩期合併症』については
内科であれ、それぞれの専門の大人を見る先生に診て頂きたいです。
ですけれど、なかなかその連携が巧く取れない。で、それぞれの臓器の悪い所に
行って診て頂くわけですけど、そこが治ったらお終いじゃないわけですね。
あちこち悪くなりますので「総合的に診て頂けるようなシステム」も必要だと
思います。
◇寺澤敏行 MC
Q.それからずっと見てきた、特に親御さんで何か感じることはありますか?
A.
◇沖本由理 小児科医 千葉県子ども病院
ハイ。昔々その『小児がん』が治りにくかった頃、親御さんはですね
とても辛い思いをされているんですね。ですので「もう二度と思い出したくない」
とか、それから「お子さんにもそういう思いをさせたくない」ということですね。
詳しいお話は全くされていない。
それは医療者にも問題はあったと思いますけれども、そういう方があって、
そういう方達には『晩期合併症』のことをお伝えしようと思ってですね、お電話を
差し上げても「二度とお電話を下さいますな」と言われてしまうこともあって、
まあそういうお気持ちはよく分かりますけれども、その『晩期合併症』も早期発見
早期治療が大事ですので、是非お子様には正しい病名などをですね、伝えて頂いて
そういう治療の乗り越えた「素晴らしい力があったんだ」ということを褒めて
あげて頂きたいと思います。
(本人が知らないとその後『晩期合併症』がもし起こってしまっても
対応のしようがありませんものね。) そうですね。
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◆“小児がんサバイバー”対策の課題
◇寺澤敏行 MC
Q.当事者の“小児がんサバイバー”について、何かこう意識した方がいいという
ことはありますか?
A.
◇平間一彰 国際放送局
そうですね。やはりあの先生から今お話があったように、
「過去の辛い治療を忘れたい」これ非常にあると思うんですね。
あともう一つはですね、小さい頃にこう患う病気ですので『晩期合併症』が出る頃
というのはもう病から結構な時間が経っているんですね。そうしますと進学・就職
ということで居住地も変わっている。で、小さい頃の病気について共有する仲間も
いないということで、“小児がんサバイバー”という方は「孤立しがち」だという
ことが非常に大きな問題なんですね。*力強く頷く*
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┣■“小児がんサバイバー”どう支えるか
今月2015年10月
【河川敷】都内?
・孤立しがちな『晩期合併症』の人達の交流を促すために『釣り大会』が開かれた。
・幼い頃の「闘病体験」は共通の話題。
◇30代半ばの女性 ◇50代半ばの女性 支援団体
ずっとプレイルームに溜まってました。そうほとんどプレイルーム。
(苦大笑) いないと「あら、よっぽど具合が悪いのね」
*芝生の上で皆談笑*
・普段は悩みを分かち合えない当事者同士が、楽しいひと時を過ごした。
◇50代半ばの女性 支援団体
仲間というか、ちょっとこう側に誰かがいれば(孤立解消の)少しは役に立つかなぁ
と思っております。
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先月2015年9月20日
【愛知県名古屋市】
“小児がんサバイバー”同士が互いに支え合う新しい動きも出てきている。
名古屋市で開かれたこのイベントには30人が集まり、
「仕事との両立」について、それぞれが抱える悩みについて話し合った。
◇舛本大輔さん 主催者 ※自身も晩期合併症に悩む一人
『晩期合併症』のことだとか、その通院していることだとか、そういったことを
周りにどういう風に理解を求めるというんですかね、どういう風に説明しているか
できたらこう具体的なご経験などを聞かせて頂きたいんですけど- ※司会進行役
◇20代後半の男性
就職先であったり、こう就活の時点でこう「病気のことをどこまで話すか」。
そういう時などに既往歴があったりするといろいろ不便があったりすることがある
<対処していること>
・休憩を取る。15分でも!
・スケジュールを立てる
・息抜きを覚える(例.コーヒータイム、タバコ?、トイレ休憩 etc.)
・栄養がいいものを摂る
・前以て周りに伝える(「マスク」アピール。意外と周りも体調崩している。)
・家族に助力を求める。(通院→復職などをした際に。)
・バイトなどでシフトを調整して収入を
・仕事をする上での問題や、周囲に理解を得るための方法について
様々な意見が寄せられた。
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◆舛本さんは今“小児がんサバイバー”達の経験を元に「新たな仕組み」を作ろうと
している。
・医師とともに開発しているソフトウェア。※ゲーム画面、選択アドベンチャー方式
人生それぞれの段階で直面する問題に対して、具体的なアドバイスが得られる
ものだという。
就職活動では「既往歴」病気が完治し仕事に支障が無いことを
主治医から文書で証明して貰うことも奨めている。
・舛本さんは今後、全国の病院に働き掛け
“小児がんサバイバー”の支援に役立ててもらおうとしている。
◇舛本大輔さん 主催者 ※自身も晩期合併症に悩む一人
やっぱり皆にはそのツールを通していろんなことを知って貰いたいですし、
自分のことを知った上で、いろんなことを調べて欲しいという思いがあるので
そういうきっかけになって欲しいなとは思ってます。
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┗■スタジオにて
◆“小児がんサバイバー”国の対策は
◇寺澤敏行 MC
Q.“小児がんサバイバー”同士が交流を深めたり、また支え合うことを通して、
皆さんどういう姿を思い描いているのでしょうか?
A.
◇平間一彰 国際放送局
そうですね。やはりその「社会の理解を得たい」ということなんですけれども、
このVTRに登場した舛本さんですけれども、実は大学院で小児がんサバイバー
の支援の方法を研究しているんですね。ですから小児がんが治って支援する側に
回るサバイバーの方も増えているんですね。
で、実は舛本さんと話をしてますと、大学院で研究する過程でですね、あのぉ
海外の事例を学んでいるんですけれども、
日本の場合はですね“小児がんサバイバー”をどう社会復帰させるかってことで
言ってみれば支援団体または医療関係者の方が社会に対して理解を求めるという
ケースが多いんですけれども、
海外では“小児がんサバイバー”自らが立ち上がって理解を求めていくという
動きが非常に多いんですね。
ですから舛本さんもそういったことに触れて自らの経験そして仲間の経験を元に
社会の理解を訴えていこうという狙いなんですね。
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◆当事者も積極的に動いていこうということなんですが、
国は今どういった対策を取ろうとしているのか-
・国の『がん対策』として『小児がん対策』も盛り込まれた
<小児がん拠点病院>
札幌/仙台/埼玉/東京/横浜/名古屋/津/京都/大阪/神戸/広島/福岡
・小児がん拠点病院は全国に15ヵ所あり、これは小児がんの治療や
“小児がんサバイバー”を長期的に支援することが目的。
◇寺澤敏行 MC
Q.実際に動き出して、今どんな状況なのでしょうか?
A.
◇沖本由理 小児科医 千葉県子ども病院
ハイ。あのぉ『小児がん』の方達を支援するための「長期フォローアップ外来」
というのが作られております。で、そちらにがんの治療の後、通って来られる
わけですが、それが全ての“小児がんサバイバー”の方にオープンかっていうと
そういうわけでもなくて、まだまだ「人手が足りない」し、全部を診て差し上げ
られるだけの「スペースも余力も無い」ということになります。
ですので今後ですね、他にも「長期フォローアップ外来」を作っておられる病院
もありまして、それがもっともっと増えた方がいいと思います。ハイ。
(あとはお医者さんだけではなくて、色々な人達が見ていくってことも?)
はい。あの「長期フォローアップ外来」というのはですね、お医者さんや看護師
さんだけではなくて、心理士さんやそれからメディカル、ソーシャルワーカー。
それから親御さん自身や患者さんご自身がそこの入ったチームとしてあることが
望ましいと思います。
特にですね、先程出てこられた患者さんもとても苦しんでおられましたね、心が。
で、そういう方達を支援する心理士さんであったり、それから社会からの支援を
受けるためのツールとか申請する書類のお手伝いをするソーシャルワーカーとか。
それからケア・サポートとしての患者さん達ご自身とか。そういう方達がチーム
としてその医療に関わるということは凄く重要だとは思います。
◇寺澤敏行 MC
Q.動き出したこの「拠点病院の取り組み」なんですけれども、
もちろんこの拠点病院だけで賄えるものではなくて、それぞれの地域だったり
あるいは社会、私達自身もこういうことにどう関わっていけばいいのか?
何が求められていると思いますか?
A.
◇沖本由理 小児科医 千葉県子ども病院
ハイ。やはり「小児がんが治る病気」だということと、それからその治った後も
少し「合併症が出ることもある」と。もちろん何もない方も沢山おられるんです
けれども、でも合併症があったとしても、その方達は小児がんを克服した克服者
ですので、その社会の中で一緒に生きていく。彼ら自身の努力も必要だとは思い
ますけれども、社会も一緒に生きていくという、そういう社会になって欲しいと
思います。
(現状、今はどうなんでしょうか?)
やはりですね、あのぉ就職の時にご自分の病気を申したとするとまず落ちてしまう
心配がかなりありますので、なかなかちゃんと言えない。でもちゃんと言って
欲しいなと。言ってもらってもちゃんと受かる社会っていうのになって欲しいと
思ってます。
(そうですね。小さい時から病と闘ってそれを乗り越えてきた方達ですからね。
その力というのを是非認めて欲しいと思いますね。)
◇平間一彰 国際放送局
そうですね。今、先生から「治る病気になってきた」というお話ありましたけど
ただその一方でやはりまだまだ子供が命を失う病としては一番大きくてですね、
実は1年前に私は取材をした小児がんの女の子が先週亡くなったんですけれども
それほど重い病気なんですね。その重い病気を乗り越えてさらに『晩期合併症』
があると。この何て言いますか“理不尽さ”というのをですね、本当に取材を
通じて感じるんですね。ですからこうした『晩期合併症』に悩んでいる人達が
ですね、自らこう立ち上がって、活動して理解を求めていくと。『晩期合併症』
に甘えることなくですね、あのぉ声を上げていっているということに非常に勇気
づけられると思いますし、あの「頑張って欲しいな」という風に感じます。
*とても力強く語っていた*
◇寺澤敏行 MC
そうですね。小さい時からそういう病と向き合って、それを乗り越えて
さらにその『晩期合併症』に苦しんでいるという彼らを是非温かい目で
我々見る必要があると思いますね。
◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
┣・『小児がん』というと昔もう20年近く前になるのかな。フジテレビ【とくダネ!】
(当時も同タイトルだったかは不明)の中で取り上げられてましてね、医者に行った
帰り道の車の中で子供が「僕死んじゃうの?」って母親に訊くんですよ。ズーッと
病院通いで、しかももう医者から「助からないだろう」と宣告されていたみたいで
母親が辛抱たまらず「死んじゃうの」って答えてしまった。それを言われた幼子が
「死にたくないよー」とワンワン泣き喚き、母子号泣するシーンが未だに忘れられず
におります。世の中には生きたくても病で生きることを許されない人達がいるという
現実をもっと社会の認識として深く理解し、助け合わなければいけません。あれから
20数年経ったわけですが、現状は「箱物行政」は進むもののまだまだ中身が伴って
いないようです。相変わらず「使い捨ての社会」にそう変化はないようです。
生命の維持は手助けして上げるけど、社会的立場までは-といった感じですかね。
「美しい」とか「豊か」だとか「楽しい」とかよく言えるよと私など思うんだけど。
┣・病のデータベースとしては『マイナンバー』を通して管理する構想が言われてますが
個人情報保護の観点から、悪用を恐れて否定する意見が多いですね。利点があること
も十分理解した上で、私は医療分野でも導入すべきだと思います。行政などによる
無料診断などの公共サービスも“えこひいき”不正がはびこっているみたいですし、
性悪説に立って悪事は厳しく罰しないとダメでしょう。重病患者さんを対象とした
会社・企業の創設などを国としてモデルケースとして築いてみるのも手だと思う。
┣・「障害者雇用何名」とかの縛りではなくて、「障害者重視採用」会社を厳密に審査し
重点的に補助するなどした方がよっぽど健全的です。私はこの仕事ならば足の不自由
な人でも十分できるな、というものを見てきましたし、またシフトを上手く組めば
通院患者でも上手く回せるでしょう。そうした取り組みを積極的に行う会社を多く
築いていけば、社会としてもいざという時の安心感も生まれると思うんですけどね。
頭が悪いのか、やはり使い捨ての発想なのか、悲しい社会のままできています。
┗・また長く語ってしまった。とにかく病はある日突然やってきます。独居世帯が増え
続ける今、社会体制を早急に見直し、対応策を打っていかないとあちこちで腐乱した
死臭が漂うことでしょう。無職で独り者の私自身が言うのだから間違いない。(苦笑)