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原発事故から5年 東日本壊滅の危機 事故の真実 5つの「なぜ」

2016/03/10(木)<原発事故から5年 東日本壊滅の危機 事故の真実 5つの「なぜ」>
NEWS23】 http://www.tbs.co.jp/news23/

www.tbs.co.jp


 注意:1945行の最長文となりました。ご注意下さい。

*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓5年 そして これから
┃   <原発事故から5年 東日本壊滅の危機 事故の真実 5つの「なぜ」>
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


              その海は穏やかだった

             だが5年前、突然牙を剥く


        *ドオォォンッ !! *  大津波原子力発電所を呑み込んだ

        「ディーゼル発電機、停止しました!」

        「なんとか見られるようにしろッ!」


      全ての電源を奪われた原発は“世界最悪”の事故へと暴走していく


          3449枚の調書に記された膨大な証言

     「とにかくその現場の状況がこう正確に伝わって来ないわけですよね」

     「備えが足りなかったということです」


  重ねた独自取材によって5年を経た今、事故の真実がようやく明らかになりつつある


          今夜私達は「5つのなぜ」に光を当てる

     「海水注入、中止ッ!」
      事故対応を指揮した所長の吉田は、本店からの命令に反した。なぜなのか?

     「官邸からコレとこの言葉は絶対に使うなと-」
      会見場で耳打ち。なぜ“メルトダウン”と言えなかったのか?

     「東日本壊滅ですよ」。その日吉田はこう絶望したという。
      なぜ4日目に最大の危機が?

      避難する住民達はどこへ逃げればいいのか分からなかった-。※国道で渋滞
      北西には大量の放射性物質が流れた。 なぜ住民は北西へ逃げたのか?

      さらに根本的な原因にも迫る。巨大津波は本当に想定外だったのか。
      なぜ津波被害を防げなかったのか? 内部資料を入手。 ※津波の想定高さ


        「5つのなぜ」を解くことで浮かび上がるもの

         それは人類が学ぶべき重い「教訓」である


         原発事故5年“東日本壊滅”の危機があった

 

╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┣■オープニング スタジオにて


  ◇膳場貴子 MC
   今夜は放送時間を30分拡大して明日で5年となる
   【東京電力】『福島第一原発事故』を取り上げます。


  ◇岸井成格 アンカー
   ちょうど今夜【高浜原発】3号機が停止しました。
   裁判所は「事故原因の究明が不十分だ」ということを指摘してますね。


  ◇膳場貴子 MC
   今夜番組では現場で何が起きていたのか、
   2011年3月11日から事故を時系列で追っていきます。

   “東日本壊滅”の危機にまで向かう事故。
   この中で私達は「5つのなぜ」について解き明かします。

 

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 “東日本壊滅”の危機
┣<1> なぜ吉田は命令に反した?


  2011年3月12日
 ◆原発事故発生の翌朝


 ・時の総理◇菅直人は自ら現場へ向かっている。

  あの人同じ明け方、あの日と同じくヘリで飛んでもらった。 ※実際に再現
                               ヘリはTBS所有物
  *バラバラバラバラバラバラバラバラ*
  *キーイィィィィィィィンンンンンキーイィィィィィィィンンン*

  ◇菅直人 元首相
   危機感があったことだけは、今も全く変わらなく思い出しますね。
   下手をしたらチェルノブイリを超える様な大事故になるんじゃないかという様な-


 ・官邸に情報が集まらないことに業を煮やした◇菅直人 当時首相 は
  自衛隊のヘリに乗り込んだ。

  眼下に広がる変わり果てた海沿いの町-   ※当時の映像が流された


  あれから5年。

  *キーイィィィィィィィンンンンン*

  ◇取材記者 男性
   まもなく『福島第一』が見えてくると思います。

  ◇菅直人 元首相
   あっ見えてきますね。アッ見えてきた、見えてきた。

   タンクだらけですよね。あの見たら分かるように。
   あの部分はだから、当時つまり事故が起きた時はまだかなりなんて言うんでしょう
   林のような形で残ってたのが-


 ・5年前、◇菅直人 当時首相 が見た『福島第一原発』。 ※当時の映像が流れる
  まだ建屋は爆発していない。

  しかし、全ての電源を失っていた-


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  2011年3月11日午後2時46分
 『東日本大震災

 【TUF】テレビユー福島
  地震発生直後の映像より

  アァー、倒れた!倒れたぁ! ヤバイぃ、*キャアァ* かなりヤバイぃ !!
  揺れが、椅子が椅子が椅子がぁ !!
                     ※報道マンの性なのか状況を伝えようと
                      とにかく喋りまくっていた。
                      女性の方は*キャー*という叫び声のみ

www.youtube.com


  2011/03/11 14:47:20
 ・【福島第一原子力発電所】を捉えた定点カメラが激しく*横ブレ*揺れる
                        焦点が陸側へズレてしまった。

  地震によって送電設備が損傷・喪失。  ※巨大な送電塔が根元から折れ倒された
  外部からの厳力が途絶える。


 ・約50分後。その【原発】を津波が襲った。 ※写真より
                        防波堤を越え、なぎ倒す横長の津波
  非常用の電源設備が水浸しとなり、      電源設備も10mを超える高さまで
  ついに原発は全電源を失うことになる-    浸水していく様子が捉えられている


 ・未曾有の事態に直面した【福島第一原子力発電所】。
  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   2013年に亡くなっている-

   そのため彼が政府の事故調査委員会に語った
   いわゆる『吉田調書』があの日の真相を解き明かす鍵となっている。

diamond.jp


   番組【NEWS23】では調書と取材を元に当時を再現した。


  【取り扱い厳重注意】             077-
  平成23年8月16日

            聴 取 結 果 書


          東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会事故-
          局 員  加藤 経将

  平成23年8月8日及び同月9日 東京電力福島原子力発電所における事故調査 検証
 のため関係者から聴取した結果は、下記のとおりである。


                  記

   被聴取者、聴取日時、聴取場所、聴取者等

 1 被聴取者
   東京電力福島第一原子力発電所長 吉田 昌郎

 2 聴取日時
   平成23年8月8日午前10時01分から同日午後0時02分まで
   (休憩なし。)
   平成23年8月8日午後1時05分から同日午後3時00分まで
   (休憩なし。)
   平成23年8月8日午後3時06分から同日午後5時13分まで
   (休憩なし。)
   平成23年8月9日午前9時45分から同日午後0時00分まで
   (休憩あり。午前11時24分から午前11時35分まで)
   平成23年8月9日午後0時58分から同日午後3時53分まで
   (休憩あり。午後2時47分から午後2時時59分まで)

 3 聴取場所
   福島県双葉郡楢葉町大字山田岡字美シ森8番
   J-VILLAGE JFAアカデミー福島男子寮2階ミーティングルームB

 4 聴取者
   参事官補佐 加藤 経将
   主   催 千葉 哲

 5 ICレコーダーによる録音の有無等
   ■あり
   □ない

 

 寮生活に関して | JFAアカデミー|選手育成|JFA|日本サッカー協会

 

 <再現>
  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 【福島第一原発・免震重要棟】

arinkurin.cocolog-nifty.com

 

 ◆津波の後、原子炉から少し離れた建物で指揮を執る◇吉田の下へ
  次々と異常が報告された-


  「ディーゼル発電機、停止しました!」

  「制御室の照明も消えました・・・ 」

  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   どういう状況か、確認しろ!     「計器が見れません!」
   *思わず立ち上がり*
   なんとか見られるようにしろ!(憤怒)

   *フゥ*、*フゥゥ* 電源を確保しなきゃ・・・


 ・電気が来ない-

  【原発】で電源を失うということが何を意味するのか。
  そこに居る誰もが知っていた-


   ○質問者 まだ日が暮れる前ぐらいには-
   要するに、何かして生かすことができるよ-
   いうことですか。
   ○回答者 はい。
   ○質問者 1つ、6号機の非常用DGが周-
   これはどの時点で把握されていたんですか。
   ○回答者 それは、全交流電源喪失の、要す-
   うことに対して、6号の後でつけたDGは生-
   ○質問者 それがあるので、10条通報も、1-
   ですね。
   ○回答者 そういうことです。
   ○質問者 結局、計器類についての電源復旧も必-
   とになって、次にどういう対応を取ろうとお考え-
   ○回答者 絶望していました。基本的には、私自身-
   も、注水から言うと、全部のECCSが使えなくて、-
   も、それらが止まった後、バッテリーが止まった後-
   いう話はしていますけれども、自分で考えても、これ-
   ○質問者 答えがない。
   ○回答者 答えがないんです。アクシデントマネージ-


  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   絶望していました。「私などは、8時間で死ぬと」-


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆吉田はこの後、原子炉で起こるであろう事態に慄然とする-


 ・【原子炉】では核燃料が膨大な熱を出し続けている。

  電源がなければこれを冷却する水が止まり、燃料は自らの熱で溶け始める。
  これが“メルトダウン”。


  2011年3月11日午後7時過ぎ
 【官邸】
  政府は地震から約4時間後『原子力緊急事態宣言』した。


 【東京】
  電車が止まり“帰宅難民”が街に溢れていた。


  2011年3月11日午後9時23分
 ・【福島第一原発】3キロ圏内の住民に対し“避難指示”が出された。

  その同じ頃、【福島第一原発】並び立つ原子炉の内、1号機が危機を迎えていた-


 【福島第一原発・免震重要棟】

  ◇福良昌敏 ユニット所長(当時)
   ここですね。私が座っていたのは。
   所長の席がこちら(すぐ隣)です。


  ・あの日、緊迫していた同じ場所でインタビューに応じた。

  ◇福良昌敏 ユニット所長(当時)
   いや(1号機が)なんかすごく、高い圧力だったと。想像もできないような。
   あと、ウ~ン、、原子炉建屋に入る二重扉と言われる入り口があるんですけどね
   そこの放射線量があの高くなってるっていうような、そんな情報が上がってきた
   時は、“恐らく炉心が損傷しているだろうと”思いましたね-


 ・放射性物資が漏れないように鋼鉄で出来た『格納容器』。
  内部の圧力が上がり続けると『格納容器』が壊れてしまう。
  それを防ぐため、中の気体を抜く『ベント』が検討された。
                  ※配管を通して高い鉄塔の頭頂部から気体を放出


 ・この頃から現場に対し【東京電力・本店】と【官邸】の介入が始まっている。

  そして◇吉田は“ある命令”に対し、決然とこれに背くことになる-


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆なぜ吉田は命令に反したのか?


  2011年3月11日夜
 【首相官邸
  地震当日の夜。「原発に電源さえ届けば危機は回避できる」。
  【官邸】はそう考えていた。

  ◇菅直人 首相(当時)
   オイ、電源車はまだ着かないのか?


  ・そんな中、ある出来事が起こる-

  ◇武黒一郎 フェロー 東京電力
   【東京電力・本店】から連絡役として詰めていた。

   総理、電源車が届きました。

   「オオォ!これでなんとかなるな。(喜)」


  ・しかし喜びも束の間-

  ◇武黒一郎 フェロー 東京電力
   ケーブルが繋がりません。プラグが合わないのです。(汗)

  ◇菅直人 首相(当時)
   *おもむろに立ち上がり* なんだとぉ。どうなっているんだ!
               なんでそんなことになるんだッ !!

  ◇武黒一郎 フェロー 東京電力
   *キョロキョロと狼狽えながら* 確認致します!*深々と一礼*

   唖然とする官邸内部。

  ・電源車が着いたのに使えない。
   【官邸】は【東京電力】に不信感を抱き始める-


  2011年3月12日未明
 【首相官邸

  ◇菅直人 首相(当時)           ◇武黒一郎 フェロー 東京電力
   武黒、ベントはどうなっているんだ?   *一人、立ちすくみながら*
   もうやったのか?            まだやっていません。
   なんでやっていないんだ ?? (驚)     分かりません。*首を傾げる*

   *呆れ顔で* どうして進まないんだよッ! ・・・ 分かりません。(困)

   ・・・  沈黙が漂う官邸内部


  2011年3月12日午前6時過ぎ
 【首相官邸
  総理は官邸を飛び出し【福島第一原発】へ向かう。 ※大勢の報道陣が取り囲む
  【官邸】の現場介入の始まりだった-

  *バラバラバラバラバラバラ* *ブオォォォォォォォ-*

  首相官邸屋上から陸上自衛隊のヘリの乗り込む。


 Q.あの時、総理が官邸を離れ、現地へ行く必要があったのだろうか?

 A.当時を再現したヘリの中で
  ◇菅直人 元首相                      落ち着かない様子で
   とにかくその現場の状況が正確に伝わってこないわけですよね。*両手を動かす*
   どうもだから【原発】の状況が、そのどうなっているかってことがハッキリしない
   ということ自体が“もの凄く危機感でした”ね。


  2011年3月12日午前7時過ぎ
 【福島第一原発
  ヘリから下りた◇菅直人 首相(当時) は厳しい表情のまま吉田の下へ向かった。

      ※出迎えた作業員らは既に白い防護服をレインコートばりに着込んでいた。
       黒ずくめの警備員はガスマスクを着用している姿も確認できる。
       現地に向かった一行は青ずくめの作業服姿、肌剥き出しのままだった。


  ◇作業員 福島第一原発
   廊下を歩きながら緊対室(免震重要棟)に入りながら怒ってましたね。
   「何だこの状況はッ!」
   「俺はこんなことをしに来たわけではない」みたいなことを確か言っていましたね

  ・作業員の目に、総理の剣幕が焼き付いていた。


  ・◇吉田から直接話を聞き、◇菅は初めて納得した。

   この視察から約8時間後、


  2011年3月12日午後3時36分
 【福島第一原発】       福島中央テレビ/NNNが映像を所有
  1号機が「水素爆発」した。※立ち並ぶ白い鉄塔(ベント)の半分の高さ程の爆発力

  1号機の事故の経過|福島第一原子力発電所事故の経過と教訓


  【航空自衛隊】 ヘリ上空からの記録映像より

   「生死確認(?)。生死確認(?)」 「決定事項(?)有り」

   「エー、【福島第一原発】が爆発した*2。」  ※感情を出さず淡々と伝えている

   「【福島第一原発】の10マイル(16km)圏内に絶対入るな。以上」

 

 ・その時、現場では-

  ◇福良昌敏 ユニット所長(当時)
   例えば最初の1号機は、あのぉ-
   余震が頻繁に来てましたから、余震なのか、爆発なのか
   あのすぐには区別が付かなかったです。*頷く*

   で、暫くすると、まあ現場に行った人間があのぉ
   「1号機の原子炉建屋の上が柱だけになっている」という情報があって、

   まずは建屋が爆発したんだと・・・    ※広島の原爆ドームにそっくり・・・


  11-03-27 09:59:40   
 【陸上自衛隊】提供の映像 ※爆発した2週間後に撮影されたもの

  ※上空から【福島第一原発】1号機は爆発した外壁の破片が塵積もった状態に。
   中に空洞が存在することは確認でき、内側内部の屋根が廃材を持ち支えていた


 ・この時の現場ですべきことは「原子炉に水を入れ続ける」ことだった。

  だが、その「水」が底を付き掛けていた-

  ここで◇吉田は「原子炉に海水を入れる」という、前代未聞の決断を下す。

  しかし「淡水」を入れる原子炉に初めて「海水」を入れる。

  不足な事態が起きないのか、誰も分からなかった-


 ・この時「海水注入」を巡って【官邸】と【東京電力・本店】の現場介入は
  頂点に達する。


  2011年3月12日午後7時過ぎ
 【首相官邸
  卓上テーブル状に敷き詰められたA4サイズの報告書の数々、ほぼ満杯の灰皿が二つ

  ◇武黒一郎 フェロー 東京電力
   とにかく早く水を入れなければならないと思っています。 *一人立ちながら報告*
   「淡水」が足りないので「海水」に切り換える。
   今、その作業をやっているところです。


  ◇菅直人 首相(当時)         ◇班目春樹 委員長 原子力安全委員会
   ・・・ 再臨界の可能性はないのか?   ・・・ *口をモゾモゾ*
   再臨界は本当にないのか ??      ・・・ 可能性はないかとは思いますが、その
   !どうなんだッ!(怒)        *首を傾げて* 全部ではありませんが・・・
   可能性があるのか/ないのか!    ・・・ *黙り込む*


  ◇武黒一郎 フェロー 東京電力    ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   ※退室し、携帯電話で
   おい、海水注入は?         やってますよ。
   エェ~おいおいやっているのか!(苦)
   止めろッ!              !? なんでですか。(驚)
   ちょっと待て!まだ了解が出ていない。 そんな、
   お前うるせぇ !!            そんなことッ、
   官邸がもうグジグジ言ってんだよ(怒)
   白黒言わずに止めろぉ!(怒) *小声で*  ・・・ ※目を大きく見開き不信感芽生える


 ・吉田に下されたのは「注入」中止命令だった。 ※この時点で現場の不信感は確定?


  2011年3月12日午後7時過ぎ
 【東電テレビ会議
  この直後の◇吉田の行動がテレビカメラに映っている。
  音声は無いが◇吉田が担当者の下へ寄って、何やら耳打ちしているのが分かる。

  吉田はここで大芝居を打った。


 【福島第一原発・免震重要棟】

  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   いいか。これから「海水注入を中止しろ」と言うが“命令する振り”だからな。
   お前は絶対に中止してはダメだぞ! *小声で推し量るように念を押す*

                    ◇「注入」担当者 男性
                     無言で*コクリ*と目を見つめて頷いた。
   「海水注入、中止ッ!」

   凹み並べられたテーブルに陣取る一同が驚愕した面持ちになった。


 ・吉田は命令に反し「海水注入」を続けさせた-


  原発事故から3ヵ月後
  2011年6月
 【東京・霞ヶ関】(?)
  吉田が私達の前で初めて真相を語っている。


 Q.あの時なぜ上の命令に背いたのか?

 A.
  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   まあひと言で言いますとね、あの時点では“現場は生きるか死ぬか”でしたから。
   あの、あれもし止めてたら「死ぬかもしれない」。そういう気持ちでいたという
   ワケは。そういうワケはお伝えします。ハイ。・・・

   一回止めちゃうと「何時間止めるか分かりません」から。
   これはもう入れ続けるしかないっていう。もうそういうことは、(少し苦笑気味に)
   プラントの脇の我々からすると生きる死ぬの話でしたから、あの時点ではですね、
   ハイ。 それだけです。

 

 Q.ではなぜ現場を無視した「海水注入中止」の命令が出されたのか?

 A.
   2012年3月
  『国会事故調査委員会

  ◇武黒一郎 フェロー 東京電力
   最高責任者である“総理のご理解”を得て、事を進めるってことは
   重要だと思っておりました。

  ・「現場」より「総理の意見」を優先した結果だった。


 ・その後も現場には【東京電力・本店】と【官邸】からの介入が続くー

 【東電テレビ会議】より

  【福島第一原発】 ハイ。
  【東京電力・本店】ドライウェルベントできるんだったらもうすぐやれ!早く。
  【福島第一原発】 ハイ。

          ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
           もうあのいろいろ聞かないで下さい。
           ディスターブ(邪魔)しないで下さい。(苦)

  【東京電力・本店】本店、緊急です。
           緊急割り込み。
           首相官邸から電話掛かっているんで、電話転送しますんで。

          ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
           私【官邸】から「電話しろ」と言われているので
           また繋いでもらえませんかぁ? 吉田です。


 ・後に◇吉田は【官邸】と【東京電力・本店】の声をこう評した。

  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   ※調書より

   質問者 それ以外は、
   回答者 雑音です。それを止めろだとか、何だかんだいうのは、全部雑音です。
       私に-


 ・吉田の決断で1号機は最悪の事態は免れた。

  だか『原発事故』は始まったばかりだった-

 

╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 “東日本壊滅”の危機
┣■住民は、こう避難した


 ・住民が運転する車内から

  ◇男性住民                ◇取材記者 男性
   ここがメインストリートですね。      賑やかな感じだったんですかぁ?
   そうですね。ごく普通の田舎町ですけどね。

www.youtube.com


 【福島県浪江町】 ※TOKIOの『DASH村』があった場所です。
  原発事故の前、約2万1千人が暮らしていた。
  5年が経った今も、日中一時的な立ち入りはできるが「住む」ことはできない。

  ◇男性住民
   2階が住居ですね。1階部分が車庫等倉庫でしたね。

  ・ここにも家族の団らんがあった。

   (2階居住エリアに)小動物の糞が転がってますけどね。


  ・ネズミが大量発生し、室内には異臭が漂う。

   カレンダーは「2011年の3月」のままだ。


 ・浪江町で暮らしていた男性は避難生活が続く中、偏見や中傷から家族を守るためにも
  取材に対して顔を伏せたいという。 ※名前も仮名でした。


  2011年3月11日
 ・子供を連れて車で避難所へ向かったが一杯で入れず、ラジオで情報を得ながら
  車中で一夜を過ごした。

  ◇男性住民
   宮城県津波の被害のニュースが多くて、
  【原子力発電所】に関してはラジオでは*ツゥ-*ほとんど聞かなかったんだよねぇ。


 ・夜が更けるにつれ、

  「原発が危ない」と“口コミ”で広がっていったという。

  ◇男性住民
   「エッ、そんなことあるの?」っていう信じなかったんですよね、最初はね。
   あれだけ「安全だ」ってね、刷り込まれてきましたからね。


  2011年3月11日夜
 ・まず【福島第一原発】から「3km圏内の避難指示」が出る。

  2011年3月12日早朝
 ・翌日の早朝には【福島第一原発】から「10km圏内の避難指示」へと拡大する。

               ※海側にある浪江町役場もスッポリと入ってしまった

 ・町は約30km離れた【同町津島地区】(津島支所)への避難を決める。

  ◇男性住民
   強制的なものなのか、自主的なものなのか。その区別も(当時は)ちょっと
   正確ではなかったですよね。*頷く*


  避難住民アンケートでの
  <原発事故後の避難状況について実態調査> ※【内閣府

   避難指示などを聞くも、
   住民の約4割が「何が起きたか分からなかった」と回答している。


 【福島県浪江町津島地区】
  町の人口の8割に当たる約1万6千人の“大移動”だった。

  避難先となった津島地区へと向かう国道は大渋滞となる。 ※山道に車の行列。
                              片側斜線はシッカリと
                              守られていた。(驚)

www.minpo.jp

 

  ◇男性住民
   各地の避難所で当然そういう指示は出ていたわけで、
   一斉に移動したらやっぱり当然そうなりますよね。*頷く*


  通常30分程度の道程に「7時間」掛かったという証言もある。


  2011年3月12日
 ・男性は【津島地区】への避難を諦め、親戚の家へ向かい「1泊」した。

  余震が続き、家の中は安心できなかった。

  ◇男性住民
   ここにビニールハウスがあって、そこにあのストーブを入れてですね
   ハウスの中で一夜を過ごすことになったんですね。。。

  ・ここで男性は聞いたこともないような音を聞く-

   南東ですかね。こちらの方角ですよね。
   本当に“ドーン”という鈍い響く音。

  ・それが1号機爆発の瞬間だった。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  2011年3月12日午後3時36分
 【福島第一原子力発電所】1号機の爆発

  「水素爆発」。実は「メルトダウン」にまで至っていたこの事故は
  国民にどう伝えられたのか。

 ・爆発した1号機建屋の写真の公開から、情報公開の迷走が始まった-

 

╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 “東日本壊滅”の危機
┣<2> なぜメルトダウンと言えなかった?


  2011年3月12日午後3時36分
 【福島第一原発】       福島中央テレビ/NNNが映像を所有
  1号機が「水素爆発」した。※立ち並ぶ白い鉄塔(ベント)の半分の高さ程の爆発力


 ◆あってはならないはずの「原子力建屋の爆発」。

  その夜【東京電力】は1枚の写真を公表する。

  この写真を巡り、ある“せめぎ合い”があった-

東京電力 写真・動画集| 福島第一原子力発電所原子炉建屋上部空気中放射性物質のサンプリング状況(1号機)

 

 『政府事故調 調書』より

 ◇松井敏彦 所長 東京電力 福島事務所
  写真を提供する旨、本店と調整を取っていたが、なかなか許可が下りなかった。

 ・当時【福島県庁】でマスコミ対応に当たっていた。

  私は写真を出す旨を本店に対して電話で一方的に言い放ち、写真を見せた。

  その後、本店から写真を公表したことで“国からお叱り”を受けた。

  「何故勝手に出したんだ。」と叱られた。


 ・写真の公表を巡り“【官邸】が【東京電力】を叱責”した。

  このことをキッカケに「情報公開の迷走」が始まる-

www.cas.go.jp


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 ◆地震発生から22時間
  2011年3月12日午後
 『原子力安全・保安』
  会見で事故を巡る重大な発言が飛び出した。

  ◇中村幸一 審議官
   燃料のですね、溶融が、*ウン・咳き込む* 始まっているとみていい、
   ということがあります。*頷く*

   あの非常に深刻な事態だと認識しております。エー、従いまして一刻も早く-


 ・「燃料の溶融」。原発における最悪の事態「メルトダウン」に他ならなかった。

  この発言に【官邸】が色めき立つ。

  政府や東電関係者200人以上・3500枚の調書からはこんな記述があった。

  ※調書より

  ◇平岡英治 次長 原子力安全・保安院
   政治家サイドでは中村審議官の炉心融解発言について非常に問題視していた。

  ◇貞森恵祐 首相秘書官
   総理や官房長官が報道で知るというのはおかしいではないかということで、
   ちゃんと事前に連絡するようにという連絡を保安院に対してしました。


 ・これを機に◇中村審議官は会見担当を外れる。

  その後、会見で「炉心溶融」という言葉はいわゆる“タブー”となっていく。

経済産業省 > 産業保安 > 審議会 > 旧原子力安全・保安院の審議会情報 > 審議会・研究会一覧


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 ◆一方、現場では-


 ・1号機に続き、3号機でも燃料が溶け始める。

  既に【東京電力】内部では「メルトダウン」ありきの会話が飛び交っていた。


  2011年3月13日午前
 【東電テレビ会議】より

  「炉心溶融です」                「アッ溶融か」
  「エー、炉心溶融となっている可能性があります」


 ・ところが翌日

  2011年3月14日夜
 【東京電力・本店】会見

  Q.そうするとかなりの量の燃料棒が溶けたのではないか?と思われると
    思うんですが、どのようにご認識してらっしゃいますでしょうか?

  A.
   ・男性職員が擦り寄り「官邸からコレとこの言葉は絶対に使うなと」・・・

   ◇武藤栄 副社長 東京電力    ※まともに声が拾われている。
    ウン。*小さく頷く*

    現時点ではあのぉ、エー、原子炉の中の、燃料がどういう状況になっているか
    ってことについてはあの、明確に申し上げることはできないと思っております。

      ※目が虚ろ。自分の心からの言葉でない、まさに無責任者の面構え。(怒)


 ・関係者への取材で、会見で禁じられた言葉が
  「炉心溶融」「メルトダウン」であることが分かった。

 【取り扱い厳重注意】

  ため、上半分は完全に溶けているであろうと考えていた。私は、溶融物が圧力容器底
  に落下しているか否かについて、1号機については、ICが停止してから注水するまで
  の時間が随分あったと想定していたため、ある程度は溶融物が圧力容器底に-
  いると考えていたが、2・3号機については1号機と比較すると大分状況は良いの-
  ないかと考えていた。原子炉の状態に係る認識については、4月10日の打ち合わせに
  参加した人の大半は、大体同じような認識である旨話していたと思う。その打ち合-
  において、炉心損傷とは何かとか、メルトダウンが何かといった言葉の定義の整理-
  いても話題の一つとして上がっていた。私自身は炉心溶融という言葉に特に抵抗は-
  のだが、この頃の当社としては、広報などの場面で炉心溶融といった言葉はなるべ-
  わないようにしていたと私は記憶している。私は、誰かから、炉心溶融といった-
  正確な定義があるわけではないので、誤解を与える恐れがあるから使わないでとい-
  えを聞いた覚えがある。因みに、私は、当時、■■■■■■■が炉心溶融といった言
  葉を使い、その後保安院の広報官が交代を繰り返したことについてはあまりよく知-
  かった。私は、炉心溶融でないのならどのように表現すれば良いだろう。何なのだ-
  と思っていた。私自身はこだわらないのだが、炉心溶融という言葉の意味は非常に-
  - 例えば、燃料ベレットの溶融は物理現象を示す言葉であるので、誤解を招くお-
  -       思う。

  -               、その後も数回打ち合わせがあったが、私は、東
  -                  ■■■■■の■■■■■■■■に出席して
  -                              格納器の状況に

 

 

  ※調書より
  ◇東京電力社員
   その頃の当社としては、広報などの場面で「炉心溶融」といった言葉は
   “なるべく使わないようにしていた”と私は記憶している。

   誤解を与える恐れがあるから使わないといった考えを聞いた覚えがある。


 ・当時【官邸】で総理に事故対応のアドバイスをしていた
  ◇班目春樹 元委員長 原子力安全委員会
   あの時の独特の雰囲気を肌で感じていた-

   あんまりそのエー「自由にしゃべるな」と。あのーなんか、、
   “そういう圧力”が掛かっていたようなことは感じてます!

   “国民がパニックになる”からってような感じでの圧力なんですよね。


 Q.【官邸】は本当に「炉心溶融」「メルトダウン」という言葉を使わぬよう
   指示したのか?

 A.
  ◇枝野幸男官房長官
   当時の自身の会見映像を見た後で

   アー、少なくとも「この言葉とこの言葉は使うな」ということが、
   私が出元であったことは全くありません。

   「メルトダウン」などを示すような、材料・情報自体がなかった。わけですから。

   皆がそこ(「メルトダウン」)に触れるのが、怖くて、エーまああの
   楽観的な情報とか。あるいは不確定な情報だからということになってしまったの
   ではないかなと、思います。-
                    ※誰だか分かっているだろうに言わない。
                     言えない。所詮、政治家もそんなもんだ。


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  先月2016年2月
 ◆「メルトダウン」に関して“ある事実”が明らかになった


 【東京電力
  メルトダウンを定義する「マニュアル」があった。


 ・それに沿って判断していれば、少なくとも3日後2011年3月14日には
  「メルトダウン」を認定できたことになる。


 ・しかし実際に【東京電力】がメルトダウンを発表したのは
  事故発生の2ヵ月も後のことだった-

 

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 “東日本壊滅”の危機
┣■3号機爆発・・・ 隊員が真横にいた


 ◆次に危機が訪れたのは3号機だった


 ・3号機に水を注入することを命じられた自衛隊員がいた。

  ◇岩熊真司 一等陸佐 陸上自衛隊
   “非常に不安な気持ち”であったかと思います。*盛んに頷く*

  ・3号機脇に到着し、ドアを開けようとしたその時だった-


  2011年3月14日午前11時1分
 【福島第一原発】       福島中央テレビ/NNNが映像を所有
  3号機が「水素爆発」した。※立ち並ぶ白い鉄塔(ベント)の3倍の高さの爆発力

  3号機はなぜ過酷事故に至ったか|福島第一原子力発電所事故の経過と教訓

www.youtube.com

 

  ◇岩熊真司 一等陸佐 陸上自衛隊
   低くて、そして長い感じがする音でした。  ※映像には音は残されていない。
   いきなりこう叩き付けられるような、感じを受けましたね。
   非常に長い間、エー周りの景色が灰色になった上で、
   人の頭より大きいくらいの(胴体幅ほど)コンクリートの塊が車の中に入ってくる
   ような状況で・・・


  ・プレートに「災害派遣」と付けられたジープ車が瓦礫の雨に晒された。

                        ※フロントガラス破損。奥に消防車
  ◇岩熊真司 一等陸佐 陸上自衛隊
   フロントガラスは見る見る崩れていくような状況で-


 ・今回初めて公開された写真

  陸上自衛隊の隊員が爆発直後の現場を撮影したもの。

  ※黒ヘルメット、白い防護服姿。背中には「陸自 103NBC 斉藤洋」の文字
                     「陸自 103NBC 浜本曹長

   黄色いヘルメット、黄色い防護服姿も見受けられる。


  ここでは4人が怪我をした。  ※粉々に砕け散ったコンクリート瓦礫の上を
                  隊員達が防護マスクを付けて捜索している。


  3号機建屋屋根に空いた穴から降ってきた瓦礫の巨大さが伺える。

                 ※自衛隊員の車両(トラック?消防車並の長さ)
                  約4.5倍ほどの穴が空いている。
                  少し離れた脇にも1.5倍ほどの穴がある。

  もし車の上に落ちていたら、ひとたまりもなかった-


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 ◆爆発直後

 ・500m離れた場所で事故対応に当たっていた
  ◇吉田 所長の下に「自衛隊員ら40数名が行方不明」という情報がもたらされる。


  ※調書より
   ○質問者 誘導が終わって、まさに逆洗弁ピットに水を入れようという矢先に-
   いうことですか。
   ○回答者 はい。最初、現場から上がってきたのは、40何人行方不明という話-
       -ですけれども、私、そのとき死のうと思いました。それが本当で-
       -そこで腹切ろうと思っていました。徐々に情報が入ってきて、行-
       - カーのけが人が出てきて、うちの人間と協力企業で4人-
       -  自衛隊は免震重要棟に寄らないで、そのままだーっと-
       -   で来られたと思うんですけれども、何人かがけがを-
       -    すると、4人の方がけがをされていて、1人は-
       -    皆さん命は勿論とりとめて、隊に復帰してい-


  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   私、そのとき死のうと思いました。それが本当で40何人亡くなっているのだと
   すると、そこで腹切ろうと思っていました。


 ・まもなくして、全員の所在が分かる。

  ※『吉田調書』より
  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   不幸中の幸いです。瓦礫が吹っ飛んでくる中、現場に居て1人も死んでいない。
   私は“仏様のおかげ”としか思えないのです。


 ・後に◇吉田 所長 は自衛隊員に宛て「お詫びの手紙」を書いて送っている。
                    ※便箋で4枚ほど

  岩熊真司様


   拝啓
   私は東京電力福島第一原子力発電所
   吉田昌郎と申します。

   この度の事故におきまして、岩熊隊長様の-

   皆様の懸命なご協力を頂きました上にも係わらず、4名の方が負傷される事態を
   まねきましたことにつき、心よりお詫び申し上げたく筆をとっております。

   本来ならばもっと早く直接お目にかかってお詫び申し-


  ◇岩熊真司 一等陸佐 陸上自衛隊
   この手紙を「宝物」と呼んで大切にしまっている。

 

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 “東日本壊滅”の危機
┣<3> なぜ4日目に“最大の危機”が?


 ◆『福島第一原発事故』4日目


 ・自衛隊員達が爆発に巻き込まれた事故4日目

  それまで安定していた2号機が“信じがたい事態”に陥った-


  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   我々のイメージでは“東日本壊滅”ですよ。

  ・1号機や3号機の危機では発せられなかった問題が・・・

   吉田と共に事故に対応した福良も強い危機感を持っていた。


  ◇福良昌敏 ユニット所長(当時)
   2号機で何かしくじって、あのぉ放射能が大量に外に出るみたいなことになると
   当然「外の作業ができなくなる」わけですね。


  ・原子炉の冷却に失敗し「メルトダウン」が進めば、放射性物質が大量に漏れ出す。
   そうなれば全ての事故処理が不可能になる。

   だが「メルトダウン」の不安なら初日2011年3月11日からあった。
   今度は何が違ったのか?


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  2011年3月14日午後0時過ぎ
 【福島第一原発・免震重要棟】
  3号機の爆発から約1時間後。
  自衛隊員の無事に胸をなで下ろしたばかりの◇吉田の下に新たな報告が入る-


  「エー、2号の原子炉水位は、燃料域プラス3400。
   前から少し下がり切れているそうです。」


 ・安定していた2号機で原子炉の水位が下がり始めた。
  これで注水する原子炉が1つ増えた。       ※落胆の表情を見せる現場


 ・ところが2号機が抱えていた問題は、1号機や3号機よりも深刻なものだった。

 【福島第一原発・2号機】
  この時、原子炉の圧力が高く、水が押し戻される状態だった。

  水を入れるためには弁を開き、原子炉の圧力を下げる必要がある。


  【2号機・中央制御室】                ※防護服マスク姿で作業
   しかし「原電喪失」により弁を開くスイッチが使えず、  1mほどのバッテリー
   仮設の電源を繋ぎ込む作業も難航していた。       10個を繋ぎ合わせて
                              供給している感じ(?)


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ・同じ頃
 【首都圏】では“混乱”が広がっていた-

  2011年3月14日午後3時過ぎ
 【東京電力】会見

  「エー、『計画停電』を行う予定とさせて頂きます」


  【東京電力】が実施を決めた『計画停電』で、
   昼過ぎには運転を取りやめる路線も現れた。

www.asahi.com


       列車の運行について

   お客様各位

    本日、大規模な計画停電への対応の
   為、下記の通りといたします。

    ※津田沼ちはら台間、終日運休

   【その他の運行区間】

   (1)始 発~9時頃 通常ダイヤの約5割
   (2)9時頃~11時頃 通常ダイヤの約3割
   (3)11時頃~17時頃 全線運休
   (4)17時頃~最 終 通常ダイヤの約5割

    お客様にはご迷惑をお掛けいたしま
   すが、何卒ご理解くださいますようお
   願い申し上げます。

                    駅 長

  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

     運行見合わせについて

   本日、15:30頃をもって全線で
         運行を見合わせます。

   お客さまの安全第一に考え、早朝より運行しておりましたが、
   夕方ラッシュ時以降、当社線の輸送能力を大幅に
   超えることが予想されるため、お客様の安全性を最優先
   し、全線で運転を見合わせることを決定いたしました。


    なお、3月15日(火)以降の運転については未定です。
    お客さまには早期のご帰宅をお願い申し上げます。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆都会の“交通マヒ”に人々が途方に暮れていた頃、
  福島では事態は悪化の一途を辿っていた-


 ・2号機の推移の低下から5時間

  ついに燃料の露出が始まった-

  ◇福良昌敏 ユニット所長(当時)
   まあ焦ってはいましたねぇ。焦ってはいましたけれど、あのぉ
   私が居たのは【免震棟】なんですよ。現場に行ってもらった人間に、*何度も頷く*
   それは“信頼して待つしかない”わけですよ。

   “待つしかない”っていうか“なかった”ですねぇ。エェ・・・


 ・2号機の燃料の露出が始まって約40分-
  事態が進展する。

  仮設の電源がようやく繋がり、弁が開き、原子炉の圧力が下がった。 ※気体排出

   「これで水が入る」「2号機の暴走は止められる」

  と、吉田は思った。


  だが圧力は下がったのに、なぜか水が入らなかった-


  2011年3月14日夜
 【首相官邸

  ◇細野豪志 首相補佐官
   吉田所長から携帯電話へ連絡が入る。

               ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   もしもし、細野です。   吉田です。 *周りを気にし、小声に・・・ *
    !?            マズいです。2号機が危機的な状態です。
                これで水が入らなければ、大変なことになってしまう
   *唾を飲み込む*      これはもう、ダメかもしれません。。
   とにかく諦めないで
   頑張って下さい。*小声*
   こちらもやれることは
   やりますので。      ・・・ *頷く* もう少し頑張ってみます。※弱々し返答
                とにかくやってみます。*意を決した仕草*


  ◇細野豪志 首相補佐官
   あの左で電話を持ちながら。もう短い電話です、1分ないと思いますね。
   吉田所長からそういう話を聞いて、で、こちらももちろん非常に衝撃を受けました
   けれども-

  ・それは日本が経験した“戦後最大の危機”だったかもしれない。

   想像できる中でいうと“最もシビア”な話をされてましたのでねぇ・・・
   つまりそういう状態が進行すると現場で作業を続けるのが難しくなるかもしれない
   と、その時私は感じたんですね。


 ・2号機の水位低下から7時間
  2011年3月14日午後7時前
 【東電テレビ会議】より
  出来ることは全てやった。だが-


   本店非常災害対策室         福島免震重要棟・緊急対策室本部
  「(水が)入ってないわけ、要は?」 「かもしれない。入ってない」
                    「入ってないし、ベントも効いてないし」
  「ダメじゃん」
  「最後の最後コレかい」
  「最後これかよって感じだな」「これさっきの爆発よりヤバイよ」
  「アーァァ、もう早く入ってくれ」


   “焦り”と“祈り”の中に、“絶望”が見え隠れした。


  2011年11月
 ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
  2号機の、原子炉注水をする時になかなか水が入りませんでですね、
  最悪外もホントに「メルトダウン」がドンドン進んで行ってですね
  “コントロール不能になる”という状態を感じましたので、
  そういう時にエェ「もうこれで終わりかな」という感じでした・・・ ハイ。

             ※言い終えて口元をへの字に。脱し切った感が伺い知れた。


 ・吉田の脳裏に浮かんだ“東日本壊滅”が現実味を帯びて迫っていた。


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 ◆【政府】が事故の最中に作成した“最悪のシナリオ”


 ・【福島第一原発】での冷却作業が出来なくなった場合

   少なくとも半径170kmは「強制移転」。
        半径250kmは「避難」を認めるべきエリアとした。

   ※「強制移転」は宮城県から山形県南半分・新潟県東半分、
           福島県茨城県、栃木県、群馬県東半分の辺り

   ※「避難」居住不可は、東京都から新潟県
              秋田県岩手県の南半分、千葉県の北半分を覆う。


 ・そこには【首都圏】も含めれ「数千万人の避難」を示唆するものだった。
                    *居住不可*

  ◇菅直人 元首相
   人っ子一人いない【東京】。人っ子一人いない、この【首都圏】を考えた時に
   ・・・ 本当に恐怖でした-

  ・それは“国家存亡の危機”に他ならなかった-

   日本の面積で言って「半分」。人口で言って「4割」。しかも首都を含みますから
   それから何十年と人々が、エー“逃げなきゃいけない”ってなった時に、
   日本という国そのものが、言ってみればまあ

   “放射能に、30年間50年間、占領されたようなもの”なのです。

   ある意味ではそういう“大きな戦争に敗れるのと同じ”ぐらい大きなですね
   被害に繋がったと。そう思います。


  2011年5月
 【福島第一原子力発電所
  事故後の原子炉建屋を間近で捉えた貴重な映像が流された。※車中から撮影したもの

  『福島第一原子力発電所事故』
   幾つかの“偶然”が、最悪なシナリオを回避してくれていた。


  ◇福良昌敏 ユニット所長(当時)
   1号、2号、3号っていう風に、まあ複数なんですけど、
   時間的にズレているんですねぇ。今回のは。多分たまたまだと思うんですけれども
   ですからまあ、あの何とかなったという面もあると思います。


 Q.もし3つのプラントが同時に、同じ状態で進行してしまった場合だと
   対応は厳しかったと思いますか?

 A.
  ◇福良昌敏 ユニット所長(当時)
   ムチャクチャ厳しかったでしょうね。*力強く頷く*
   それは「人の面」でも。あと「使える機材」とか。
   かなり厳しかったと思いますよ。


 ・危機が“時間差”で訪れたという偶然。しかし同時に発生した可能性も十分にあった

  あの日水が入らず、吉田が“東日本壊滅”を意識した2号機。

  2号機への注水が間に合ったのも、偶然だったのかもしれない。


  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   本当に「髪の毛一筋の幸運」みたいなところで今に至っている。


 ・最大の危機は免れ、東日本は壊滅しなかった。

 

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 “東日本壊滅”の危機
┣<4> なぜ住民は“北西”へ逃げた?


   <立て看板>より

    この区域は、年間積算線量が
    50ミリシーベルトを超える
    場所が含まれるため、
    帰還困難区域に指定されて
    います。

    原子力災害現地対策本部
       浪江町


 ◆【福島】では今なお「約10万人」が避難生活を強いられている。


  2011年3月13日
 【福島県浪江町津島地区】

  ◇男性住民
   男性の家族はこの津島地区にようやく辿り着いた。


  ・この辺りは現在も“放射線量が高く”住民帰還の目処は立っていない-

   ここ初めてでしたね。(笑) (震災)3日目で電気がちゃんとあって
   暖房があってというのはね・・・


  ・当時【津島地区】には約8000人が押し寄せ、避難所はパンク状態になっていた


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 ◆なぜ住民は“北西”へ逃げたのか?


  ◇馬場有 町長 浪江町
   (住民の)大多数の方が10km圏内に入っているものですから、ですからもう
   「とにかく外に出さなくちゃダメだ」ということで-


 【浪江町役場】
  町には『原発事故』の情報が届かず「独自の判断」での避難が迫られた。


 ・【浪江町】と【東京電力】の間には【原発】で何か問題があれば必ず連絡するという
  『通報連絡協定』があった。

  ◇馬場有 町長 浪江町
   震災前はね、些細な、例えば「(作業中に)指を切った」とか
   そういう風なことは毎回連絡があのぉ来てました。

   しかし残念ながらそういう“重要な事象が起きた時に連絡が無かった”-


  【東京電力
   FAX送電を試み、連絡を取ろうとしたが通信の不通により
   「結果として連絡が取れなかった」としている。      ※バカじゃねぇの?
                                幼児の言い訳か?

  【福島県庁】
   専用回線がダウンし可能な限り連絡に努めたが、当時の記録が無く
   「役場に伝わったか確認できていない」としている。    ※役人とは人力です
                                人力網を築けずに
                                存在価値はない!

  2011年3月15日
 ・【原発】から出た大量の放射性物質が【津島地区】のある北西方向へ流れ
  “高線量の汚染”を引き起こした。

  しかしそのことを町が知るのは「3月下旬」になってからのことだった。

  ◇馬場有 町長 浪江町
   (話を聞いた)もうその時は頭が真っ白になってね。(涙目)
   一体、私どもの命をね、何と考えているのかな【政府】は。(怒涙)
   あるいはあのぉ【東京電力】はね。
   「知ってるくせに何で出さなかったんだ!」ってことでね。-


 ・「【津島地区】が高線量だ」と最初に伝えたのは
  【福島大学】の『放射線計測チーム』だった。

  ◇渡邊明 名誉教授 福島大学
   私達のデータがきっかけになる前にね、きちんとやっぱり測定して
   測定データを生かせばですね、もっと早く避難できたと思うんですよ。

   データを出さないでね、まあそれは「混乱していた」というひと言で済まされる
   問題ではないと私は思いますよ! つくづくこの問題というのは・・・


  ◇馬場有 町長 浪江町
   非常に悔やまれるんですよ。(苦涙) もう本当に「悔やまれる」という言葉では
   言い尽くせないほどやっぱり・・・
                   ※感情的だったためかカットされていた。

www.youtube.com

 

 ・情報さえあれば-

  “避けられた被爆”は少なくない。


  ◇男性住民
   あぁ、ビックリしましたよね。だからね。「エッ」と思いましたね、その。
   やっぱ「子供、第一」に考えるので。それは皆一緒なんですね。

   知らんかったからココに来ただけで、知ってたらココにいるわけがないんで。

 

  ※別の番組では「白い防護服を着込んだ」自衛隊員が避難地区を通りかかり、
   「なぜココから避難していないんだ」と驚きの表情・言葉を発したという。

   連絡の届いていない避難住民にしてみれば宇宙人のような恰好をした集団こそ
   「何やってんだ。何事が起こったんだ」という心境だったという。

   首都近郊での“放射線量パニック”を恐れて、情報隠蔽してたとしか思えない。
   確かに物資不足でスーパーに買い出し行列を作る等“貧弱な心”をしか持たない
   都会の人間を考慮すればね・・・ 。人間としてとても恥ずべきことをしました。
                                   <(_ _)>

 

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 “東日本壊滅”の危機
┣<5> なぜ“津波被害”を防げなかった?


  ◇膳場貴子 MC
   “東日本壊滅”の危機にまで陥った事故の経緯を検証してきました。


  ◇岸井成格 アンカー
   全ての始まりは電源を奪った『巨大津波』でした。


  ◇膳場貴子 MC
   ではここで時間を一気に「2008年」まで遡ります。

   【東京電力】は『巨大津波』を「想定外だった」と説明していますが
   本当に想定外だったのか。独自に入手した内部資料から迫ります。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆1つの映像が残されている


  「新しいエネルギー。原子力による発電所を建設するのはそのためである」


                    ※提供【科学映像館】株式会社オール
 ・【東京電力】【福島第一原子力発電所】の建設を記録した映像。


  「過去数百年に渡って地震や台風、
   津波などによる大きな被害を受けたことがない」


 ・それが約50年後『巨大津波』(13m)に襲われた。

  施設全域が浸水し、非常用の電源までもが水没。


  2013年3月13日
 【東京電力】会見

  ◇清水正孝 社長 東京電力
   「想定を大きく超える水準」であったと。


  ◇勝俣恒久 会長 東京電力
   13mの津波が来るということを、まあいわば「想定していなかった」と。


 ・確かに当時、対策の基準は「6.1m」だった。

  しかし本当にそれ以上の津波は想定されていなかったのか?


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆独自入手【東京電力】「内部資料」

 

             新潟県中越沖地震を踏まえた

         福島第一・第二原子力発電所津波評価委託


              第2回 打合せ資料

  資料2 福島第一発電所 日本海溝寄りの想定津波の検討 Rev.1


   1 断層モデルの設定

     ①プレート間(津波地震モデル)
     ②プレート内(正断層モデル)


   2 概略及び詳細パラスタの??

     ・概略検討結果一覧表
     ・詳細検討結果一覧表
      朔望平均満潮位時の津波高さ分布、浸水深分布図及び主要位置の波形等

 


             平成20年4月18日

              東電設計株式会社

 

 ・【福島第一発電所】想定津波の検討
  日付は平成20年。つまり事故が起こる3年前2008年。


  その資料には『巨大津波』が試算されていた。


  朔望平均満潮位時 OP+1.490m

  敷地南側の津波の高さ(OPm)

  南護岸前 南側道路 敷地 OP10m #4R/B  #4T/B
   17.645  13.978   15.707 12.604 12.026


  敷地南側の津波高さ「15.707m」

  これは『政府・地震調査研究推進本部』の指摘を元に
  様々な条件で試算された末での数字。


  数字だけではない。

  見取り図
  「1F 詳細パラスタ 最大浸水深分布図 上昇側最大値ケース」

  では、予想された浸水を色分けして示している。

  実際の浸水図に垂らし合わせると、ほぼ重なるものだった。


  また津波がどう押し寄せるか「10秒刻み」で予想した図データもあった。
  連続して見てみると敷地が、アッという間に津波に呑み込まれていくことが分かる。


 ・この時【東京電力】で津波対策の責任者だった人物は皮肉にも
  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発

   「15.7m」という報告を受けていた。


 『吉田調書』より

 Q.初めてこの数字を聞かれた時に、どういう印象でしたか?

 A.
  ◇吉田昌郎 所長(当時) 福島第一原発
   それは「うわぁ」ですね。「そんなのって来るの」と。

  ・当然、上司である◇武藤栄 副社長(当時)にも報告された。
   さらに◇勝俣恒久 会長(当時)や◇清水正孝 社長(当時)にも

   「今の設計よりも大きい津波が来る可能性が否定できない。
    そういう学説が出ている」と説明したという。


 ・この試算は【福島第一原発】の職員にも説明されていたことが判った。


  <「会議後回収」と書かれた内部資料>より

  津波の高さ O.P.10.2m 津波の高さ O.P.9.3m 津波の高さ O.P.15.7m 
  敷地の高さ O.P.4m   敷地の高さ O.P.4m  敷地の高さ O.P.10m 
  浸水深 6.2m      浸水深 5.3m     浸水深 5.7m 

  6号機 7号機    1号機~4号機     


   「敷地北部・南部から敷地への遡上及び湾内からO.P.4mの遡上
    について対策が必要」


  ※海岸べったりにある原子炉建屋はいずれも「真っ赤~黄色」。
   後方にあると思われる電源施設も「真っ青」と浸水されることを示している。

   海に向かって右端の、原子炉建屋がない部分は、前方に防波堤がないために
   津波の高さが一段と高くなっている(モロ受ける)ものと思われる。


 ・「会議後回収」と記された内部資料にはこうあった

  今後の予定

  ○推本がどこでもおきるとした領域に設定する波源モデルについて、
   今後2~3年間かかて電共研で検討することとし『原子力発電所津波評価技術』
   を改訂予定。

  ○電共研の実施について各社両会後、速やかに学識経験者へ推本の知見の取扱に
   ついて説明・折衝を行う。

  ○改訂された『原子力発電所津波評価技術』によりバックチェックを実施。

  ○ただし、地震及び津波に関する学識経験者のこれまでの見解及び推本の知見を
   完全に否定することが難しいことを考慮すると、現状より大きな津波高を評価
   せざるを得ないと推定され、津波対策は不可避。


  「現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと推定され、津波対策は不可避。」


 ・だが、具体的な対策は取られなかった。


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 ◆その後、今度は過去に福島を襲った『巨大津波』の“証拠”が見つかる


 【産総研・地質調査総合センター】

  産総研地質調査総合センター / Geological Survey of Japan, AIST

  ◇岡村行信 首席研究員
   この辺りに西暦869年の『貞観地震』によって形成された
   “津波堆積物”があります。


 【福島県・小高地区】
  【福島第一原発】の10km北側で発見された地層。

  それは紛れもなく津波がその場所を襲った痕跡だった。

 ・約1200年前『貞観津波』と言った。

       ・「非常に大きい津波」と古文書に記してある。
       ・被害範囲など不明点が多く、詳細は分かっていなかった。

www.hazardlab.jp

 


  ◇岡村行信 首席研究員らのチームは、

   「M8.4の巨大地震によって【福島】にも大きな津波が押し寄せた」

   という研究をまとめた。


  【東京電力】はこの研究に当初から関心を示していたという-


 ◇佐竹健治 教授 東京大学 ※岡村氏と共同研究
  特に【東京電力】の人は興味を持たれて、

  「(論文を)出来たら下さい」と言ったので差し上げたと思います。


 ・ところが、
  2009年6月
 『原子力安全・保安院』での「地震対策」の話し合いの場で
  【東京電力】はなぜか『貞観津波』には触れなかった。


 ・委員だった岡村氏は【東京電力】に詰め寄った。

  ◇岡村行信 首席研究員らのチームは、
   当時の最新の知見は全部考慮するべきだと。
   どうしてあれだけ研究しているのに「考慮しないのだ」という・・・


 ・岡村氏の指摘を受けた後に『保安院』と【東京電力】のやりとりが
  最近になって明らかになった。

  『原子力安全・保安院』は『貞観津波』を試算を元に
  【東京電力】は津波は「最大8.9m」と試算結果を報告した。


  ◇名倉繁樹 審査官の調書
   【東電】は「土木学会の結果を踏まえないことには、会社として判断できない」
   と話した。

   認識の無い【東電】の出席者が「炉を止めることができるんですか」と
   私に言ったので、なんでこんなことを言われなければいけないのかと
   思った記憶がある。


 ・当時の『原子力安全・保安院』幹部は取材に対し、

  「当時は具体的な対策を指示する立場になかった」と話した。


 ・また【東京電力】はこの答弁(◇名倉繁樹 審査官の調書)について

  「回答を控える」としている。


 Q.『巨大津波』の想定はされていたと思うのですが、
   具体的な対策に至らなかったのはなぜなんでしょうか?

 A.
   試算の報告を受けていた
  ◇武藤栄 副社長(当時) 東京電力
   エェ、これから裁判になる話ですので、
   ここで意見を申し上げるのは控えたいと思います。*何度も頷く*www.huffingtonpost.jp


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆想定は生かされないまま、【原発】は2011年3月11日を迎える-


  ◇膳場貴子 MC
   この「津波想定」の問題は、強制起訴された当時の【東京電力】旧経営陣の裁判で
   究明されることになります。


  ◇岸井成格 アンカー
   そうですね。まあそれにしてもコレ見てて分かるんですけど、この事故っていう
   のは背筋がゾッとするぐらい場面っていうのが本当に連続だったんですよね。

   それが吉田所長も言ってましたけど「偶然の重なりで最悪の事態を免れた」という
   ような形なんですよね。

   だからハッキリしているのは「原発安全神話は崩壊した」ということは言えると
   思います。


  ◇膳場貴子 MC
   そして多くの貴重な教訓も読み取ることができました。あの私は全体的に
   “情報を出さない”っていう姿勢が気になりましたね。


  ◇岸井成格 アンカー
   そう、そうですね。やっぱり「情報公開」の在り方の問題がありまして、特に
   「メルトダウン」の問題、非常にこれ取材する方も非ー常に深刻な問題でした
   からね。

   少なくとも【政府】【電力会社】そして【住民】の間で「情報を共有する」って
   ことが非常に重要になってきますよね。


  ◇膳場貴子 MC
   ハイ。当時事故現場にいた【東京電力】の幹部がこう言ってましたよね。

   「危機が同時に進んだら、極めて厳しかった」と。


  ◇岸井成格 アンカー
   まさにそこはね“偶然の重なり”でね、そうならなかったってだけで日本ではね
   1ヵ所に多くのプラントを作るっていう【原発】が多いんですよね。

   <【原発】の「多重立地」問題>

blog.goo.ne.jp

 

  ◇膳場貴子 MC
   この【福島第一原発】も1号機から6号機までありますものね。


  ◇岸井成格 アンカー
   ハイ。再稼働を進める前にね、この地震大国です。本当に日本は地震大国ですから
   「原発の想定外」とか、そういうことには本当に備えることができるのかどうかね
   再稼働前のそのことはもう一回ご覧になってね、考え直して欲しいなと思います。

 

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┣■震災5年を前に首相会見 「再稼働進める方針に変わりない」


 ◆『東日本大震災』から明日で「5年」


  2016年3月10日
 『首相会見』

www.kantei.go.jp

  ◇安倍晋三 首相
   被災したお一人お一人にとって、この5年間は
   つらく苦しい日々であったことでしょう。

   それでもその皆さんの故郷への熱い思いが大きな力となって
   復興は一歩一歩、確実に前進しています。

   「東北の復興なくして、日本の再生なし」

   その揺るぎない信念の下に、希望に満ち溢れた東北を作り上げていく。


 ・安倍総理は会見で、

  「今後5年間を『復興・創生期間』と位置付け、
   復興に繋がる支援を行なう」と表明。

  原発事故の起きた【福島県】については

  「来年2017年春までに『帰還困難区域』を除き、避難指示を解除する方針」を示した


  また『帰還困難区域』についても ※【福島県浪江町津島地区】など
     見直しに向けた国の考え方を
     今年2016年夏までに示す方針。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆一方、【高浜原発】3号機の原子炉停止も・・・


  「いのちと琵琶湖を守る 運転差し止め決定!」

  「再稼働差し止め 画期的決定!」


  2016年3月9日
 【大津地方裁判所
  【高浜原発】運転差し止めの仮処分を決定。


  翌日2016年3月10日午後7時59分
 【福井県・高浜原発
  3号機が運転停止。

  ◇安倍晋三 首相
   「地元理解を得ながら、再稼働を進める」というのが政府の一貫した方針であり
   この方針には変わりはありません。


  ・その上で

   「【関西電力】には安全性に関する説明を尽くしていくことを期待したいと思う」

   とした。 さらに、


   「(原発の)依存度はできる限り低減させていく」としながらも、

   「エネルギー供給の安全性を確保するために、原子力を欠かすことはできない」


   と述べた。

再稼働進める方針に変わりない=高浜原発差し止め決定で官房長官 | ロイター

 

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┣■福島産食品 約15%が「購入ためらう」


  2016年3月10日
 【消費者庁】会見

 ・『福島第一原発事故』が消費者にどのような影響を与えるのかについて
  同庁が先月2016年2月に調査したところ、

www.sankei.com


  「福島県産の食べ物の購入をためらう」と答えた人が、15,7%。

                     3年前に比べ、3.7%↓減った。


  しかし、今も買い控える消費者の意識があることが判った。


 ・また「検査が行われていることを知らない」と答えた人が過去最多となる
                            36.7%。

                     ※時が経つにつれて増加している。

 

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┗■40年続く廃炉作業 原発事故からまだ5年

 

  ◇膳場貴子 MC
   今日は『福島第一原発の事故』についても見てきました。
   本当にまだ終わらない『震災』の被害は終わらないと-


  ◇岸井成格 アンカー
   まだまだ終わらない! 日本人としてこの『原発の事故』をどう考えるか。
   そこから何を学ぶか、あるいは学ばないか。非ー常に大事なことなんですよ。
   それが問われ続けるのだと思います。*力強く頷く*

 

  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 【福島第一原子力発電所

 ・1日「7000人」が廃炉作業に従事している。


 ・福島県出身の【東京電力】若手社員2人
  ◇鈴木賢人さん(22)  ◇菜花良平さん(22)


  ◇鈴木賢人さん(22) 福島県出身の【東京電力】若手社員
   いち早く廃炉にすることができたら、
   地域住民の方々が安心して暮らせることができると思ってます。

 

  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆福島の今・・・

 ・現在も「9市町村」に避難区域。

 ・除染作業が続く・・・

 ・40年続く「廃炉作業」。


 ・『原発事故』からまだ「5年」

 

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・メモを取りながら己の感想を挟んでいるので、取り立ててここで述べることもない
  のだけれど「情報を公開しない・封鎖する」ことが実際に行われるのだという認識
  を持つべきだと思いますね。さりげなく【東京都】は防災本を全都民に配布しました
  けれど、コレってより大きな災害が今度は首都圏で起こることが導き出された為かも
  しれません。役人らがまず第一に考えるのが「己の責任逃れ」作りですから。


┣・『SPEEDI』緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム
  “宝の持ち腐れ”でしたよね。パニックを恐れたようですけど。

www.nsr.go.jp

┣・震災直後に帰宅途中でいつも通りに国会議事堂脇を歩いていたのですが、街路樹に
  いかにも測定器みたいなのが置かれ、木にくくりつけられていたのを見た時には
  不安になりましたけどね。【霞ヶ関】に出勤してくる連中を観察して、マスクなど
  過剰な防護をしていたら「危ない」と判断しようと考えてましたが、幸いそうした
  服装は見られませんでした。警官も普段のままでしたしね。まぁ国としてはヒラ等は
  どうでもいいのかもしれませんけど。(苦笑)

┗・故郷を強制的に奪われた思いは、実際にそうならないと分からないものなのかも
  しれません。「明日は我が身」であることを考えて生きられるか否かがこれから
  生活していく上で大事になってくるのではないでしょうか。ひと昔前までは食うのに
  困るほど皆そうした思いでいたはずなんですけどね。


  「豊かさが、いつまでも続くと、思うなよ」


  1936年(昭和11年)『二・二六事件』の頃までは貧しい世帯がまだ多かったんだから。

二・二六事件 - Wikipedia

www.huffingtonpost.jp