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戦艦『陸奥』 隠された爆沈

2015/07/18(土)<戦艦『陸奥』 隠された爆沈>
報道特集】 http://www.tbs.co.jp/houtoku/

www.tbs.co.jp


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓特集アーカイブ <戦艦『陸奥』 隠された爆沈>
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         戦時中に沈没した戦艦『陸奥』をご存知か。

         1000人以上が亡くなった大惨事だが
           軍が徹底的な隠蔽工作を行い、
       当時ほとんどの国民がその事実を知ることはなかった。


          戦後70年にこの『陸奥』の運命は
       今を生きる私達に何を問いかけているのだろうか。

 

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┣■戦艦「陸奥」 謎の爆沈


 ◆若者たちの間で大流行しているゲームがある。


 『艦隊これくしょん
  大和や武蔵など実在した旧日本海軍の『戦艦』を
  少女のキャラクターに“擬人化”し、仮想の敵と戦うゲーム。


 ・登場するキャラクターの中で“コアなファン”に人気なのが
  『陸奥』だ。

 ◇会社員 男性(25)
  (戦艦『陸奥』は)戦って沈んだわけではなくて「謎の爆沈」ですよね。
  未だに原因が判っていない。

  悲しい歴史をはらんでいるからこそ、ちょっとまた
  キャラの魅力もあるんじゃないかと思います。


 ・未だに謎の多い戦艦『陸奥』
  どんな運命を辿ったのであろうか。


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  今年2015年3月
 【山口県岩国市沖】
 ・【海上保安庁】による海底の調査が行われた。

  (ソナー?)画面に浮かび上がった巨大な物体。
  沈没した旧日本海軍の戦艦『陸奥』の船影だ。
            長さ120m/幅30mに及んでいた。


 ・海図に示された「104Wk」= 水深10.4mにWreck(沈没船・陸奥)あり


 ・今も海底に沈む『陸奥』。ここは旧日本海軍の戦艦を見ることが出来る
  数少ないダイビングスポットとなっている。


 ◇初老のダイバー
  よく見えましたよ。(見たいモノはちゃんと?)
  そうですね。浴槽とかトイレとか。・・・

 ◇神戸市のダイバー 男性(30)
  この戦艦『陸奥』っていうのはやっぱココにしかないですし(笑)、
  で、特に戦艦っていうのは珍しいんで、絶対に潜ってみたいなって思っていたものが
  見られたので良かったです。*満面の笑顔*


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 ◆戦艦『陸奥』
  1921年に完成。全長225m・幅35m(改装後)
  当時の日本が持てる最新鋭の技術を駆使して造られた。
  姉妹艦『長門』とともに連合艦隊の旗艦として「世界最強の戦艦」と言われていた。


 ◇戸高一成 海軍史研究家 大和ミュージアム館長
  国民はまぁ「『陸奥』『長門』があるから日本は安泰なんだ」という風に
  考えられていた時代でしたね。日本のいわゆる海上防衛の本当の“シンボル”だった
  んですね。


 【長野県・小梅町】

 ◇篠原喜一さん(93) 戦艦『陸奥』元乗組員
  21歳の時に『陸奥』の乗組員となった。

 Q.初めて『陸奥』を呉で見た時、そのことって覚えてますか?

 A.いやーそのデカイのでね、山のように聞いて(?)、
   ちょうどあの山のように見えたですよ。     ※受け答えハッキリされている
   あの山のように。えぇ。            ※裏山、断崖絶壁で結構高い山


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 ◆最強の戦艦と言われた『陸奥』だが、
  1943年6月8日、運命の日を迎える。

 ・正午過ぎ、瀬戸内海に停泊中に艦隊の後方で大爆発が起きた。
  その時篠原さんは碇を上げる準備をしていたという。


 ◇篠原喜一さん(93) 戦艦『陸奥』元乗組員
  なんだかその聞いたことがねぇような「ドーン」という音がしただよ。
  見たら船が左の方へ傾いて、水が、海水が足にバシャンバシャン来る。
  あっコレなーにしたんだ・・・

 ・船が傾き、篠原さんは海に投げ出されたが姉妹艦の『長門』に救出された。


  近くに停泊していた戦艦『扶桑』の元乗組員の小松原さんも爆発の様子を
  鮮明に覚えているという。


 ◇小松原太さん(93) 戦艦『扶桑』元乗組員
  「ドーン」と言うて、それからすぐ舷窓から見たらあのぉ『陸奥』が、ンモオォ
  見えんのじゃ、真っ黒ぅく煙が上がって!・・・  ※手振りでハッキリと伝える


 ・小松原さんらはすぐに救出活動に当たったという。

 ◇小松原太さん(93) 戦艦『扶桑』元乗組員
  せやからモォ(救出した人は)皆、朝までには、息引き取っとるんやからな。
  せやから140~150人助けたのに、100何人か死んで・・・


 ・爆沈による犠牲者は1121人に上り、
  そのほとんどが10代から20代の若者だった。


 ◇篠原喜一さん(93) 戦艦『陸奥』元乗組員
  沈まねぇっつー船が二つに分かれて、あっという間に沈んじゃったんだから
  アタマ空っぽになっちゃってるわけ・・・    ※かなり強い語気で語っていた。


 【呉鎮守府】(現在は【海自呉地方総監部】)
 ・爆沈の情報はこの海域を管轄してた広島県の【呉鎮守府】に伝えられた。
  軍内部の記録には「潜水艦からの攻撃」を疑う記述が残されている。


   『呉鎮守府戦時日誌』(所蔵/【防衛研究所】)

    内海西部 ニ 敵潜水艦侵入 ノ 疑 ヒアリ 一八一0内


 ・その後の調査で攻撃を受けた形跡は無く、
  「第三砲塔」付近で何らかの爆発が起きたことが判った。

  放火や火薬の自然発火などが取り沙汰されたが、真相は不明。


 ・海軍のシンボルだった戦艦『陸奥』の爆沈。
  決して国民には知られてはならない事実だった・・・

 

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┣■国民に隠された『陸奥』爆沈


 【柱島】 ※広島県瀬戸内海沖
 ・人口170人余り。

 ・高台に残るレンガ造りの建物は、旧海軍の見張り所跡。

 ・戦時中【柱島】周辺は連合艦隊の重要な停泊地だった。
  戦艦『陸奥』の他、『大和』や『武蔵』など、多い時には数十隻の軍艦が
  停泊していた。


 ◇鳴海陽さん(85) 【柱島】島民 ※当時、爆発音を聞いた
 ・当時、乗組員の遺体や重油が流れ着いたのを覚えている。
  『陸奥』の爆沈が囁かれたが、公に話す人は少なかったという。

 ・“秘密”じゃったけん。また『陸奥』が爆発っちゅうのはエェ~・・国を挙げての
  アレでしょう(秘密)。怖がらされちょったわけよね。ウン(学校で?)学校で。
  大体“秘密”せにゃいかんと。*ウンウンと頷く*


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 ◆国民の士気低下や責任追及などを懸念した【軍部】は
  この事実を徹底的に封じ込めた。

 ・島には緘口令が布かれ、『陸奥』について話す人を憲兵が次々と連行していった
  という。

  1943年6月9日の朝刊
 【中國新聞】 ※【中国新聞社】提供
  <一面>
       敵機撃墜八十機
         六十二機を撃破炎上


 ・戦艦『陸奥』が沈んだ翌日。地元新聞の一面に躍るのは
  大本営発表の日本軍の戦果を伝える見出しだった。
  『陸奥』の爆沈に触れる記事は見当たらない。


 ◇戸高一成 海軍史研究家 大和ミュージアム館長
  当時の新聞とラジオですけれど「一切触れていない」ですね。
  国民にとってですね、日本の海軍のシンボルであった船が
  何もせずに沈んでしまったなんてのはもう、とても発表できるような状況では
  なかったと思いますね。


  1943年6月17日の朝刊
 【中國新聞】 ※【中国新聞社】提供
  <一面>
       防諜意識を徹底
         流言蜚語は特に十分警戒せよ    ※根拠のない噂
           鈴木市長が指令を


 ・戦艦『陸奥』爆沈から九日後、地元新聞の一面には「防諜意識」を徹底するよう
  呼び掛ける記事が掲載されている。


       一、流言蜚語は迷はされないこと。

       二、流言をなすものの本体を捕へること。

       三、諜者または挙動不審者の発見。


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 ◆隠蔽工作は乗組員の遺体処理にも徹底された。


 【続島】
 ・回収された遺体は全て近くの無人島【続島】へ運ばれ、荼毘に付された。


 ◇冨野嘉明さん(83)
 ・軍の要請で犠牲者の祭壇作りに駆り出された父親と一緒に
  一度だけ【続島】に上陸したことがあるという。

 ・ここの辺りでも(遺体を)やっとったんですよね。(焼いていた。)

  砂浜には乗組員の遺体が整然と並んでいたという。


 Q.兵隊さんに怒られなかったですか?

 A.おう、怒られた。うん、そりゃ怒られるわいね。うん、うん。*頷く*
   絶対に何をしてもね、ここ(【続島】)に来たことを話してはいけんち!
   それを言うたらいけんど!ちってね。(と兵隊さんに言われた。)
   そやけん、子供やけん恐ろしいけにね。そやけん「話すなー」言うけ、
   絶対話さなかった、私らは。うん・・・


 ◇篠原喜一さん(93) 戦艦『陸奥』元乗組員
 ・救助された後【続島】で乗組員184人の遺体を火葬し続けた。
  過酷な作業だったという。
                       満足に
 ・取り急ぎで、重油掛けた建物で焼いてたから、まんじょして焼けないですよ。


 Q.どういう気持ちで焼いてました?

 A.“どういう気持ち”たって、それを全然それを、何の気持ちもーねぇよね。
   「あーこれよく焼けたわい」「まだだぞ」なんて言っちてね。・・・ 少し涙目
   魚を焼くと同じですよ。 ※急に現代っぽく冷めた口調に変わった。
                不躾な質問に呆れ怒ったような感じに見受けられた。

   またサンマの臭いがするだ、人間はね。焼くと。そっくり*頷く*サンマの臭いと
   ・・・ 頷く


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  山口県周防大島町
 【陸奥記念館】
 ・隠蔽された『陸奥』の爆沈。遺族に対しても同じだった。

  『遺族に届いた戦死公報』 ※所蔵【陸奥記念館】
  ・爆沈から8ヵ月後にある遺族に届いた戦死公報。

    昭和十九年 二月

    六月八日 本邦西方海面 ニ 於テ 作戦 ニ 従事中 公務殉職セラレ候


  ・死亡した場所や理由が曖昧に記されている。爆沈の事実を隠すためだ。


  ◇箕浦真一さん 元乗組員 犠牲者
  ・弟の達二さんは当時子供ながらに軍からの知らせに疑問を感じたという。

  ◇箕浦達二さん(83) ※『陸奥』爆沈で兄を亡くした
  ・引っ掛かりましたね。えぇ。日にちはね、ハッキリしてたんですよ。
   ところが西方海上に於いてというのがまず曖昧でしょう。ねっ?
   で、普通だったらまぁ「米軍と」とか「米英と戦って」とかね、あるのにね、
   それがないわけだ、そういう表現は・・・


  ・海に憧れていた兄の真一さんは17歳で海軍へ志願。『陸奥』の乗組員になった。
   死亡の通知が届いたのは手紙が途絶えて半年以上経った頃だった。

   親父もお袋も、本ッ当に目を真っ赤にして、もう涙拭って、拭っても拭っても、
   そういう・・・ 感極まって涙する ハァァ、その姿はね、今でも忘れません!(泣)


  ・その後届いた骨壺。中に入っていたのは二つの小さな“石ころ”だった。

   いやコレがねぇ「遺骨かよ!」ってね、まっそん時ねぇ、本当にね、
   【軍部】ってのはね、あのぉ“身勝手だなぁ”と。首を捻る
   もの凄く「嘘をつく」なと。ねぇ。*深く頷く*


  ・結局遺骨は帰って来ず、肩身はこのハーモニカだけ。

   『ふるさと』。コレ好きだったんですよね、兄がね。

   ※だいぶ赤錆びたハーモニカだったが、とても綺麗な音色が今も出る。

     ♪兎(うさぎ) 追いし かの山
      小鮒(こぶな)釣りし かの川   ※番組内では第二節まで
      夢は今も めぐりて、        演奏が流された。
      忘れがたき 故郷(ふるさと) ♪

 

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┣■戦後に明かされた真実


 ◆1945年
  終戦と同時に連合国軍総司令【GHQ】の占領政策が始まった。

 ・戦時中“極秘”とされてきた情報が【GHQ】によって
  徐々に明らかにされていく。
  『陸奥』の爆沈も例外ではなかった。


 『眞相はかうだ』 ※所蔵【国立国会図書館
  戦後放送された【GHQ】製作のラジオ番組。(東京・総合プレス社 発行。)
  国民からの質問に答える形で、戦時中の軍事機密などを伝える内容となっている。

  「本書は昭和二十一年一月十八日以来ラヂオ放送による眞相箱の再録であって
   一般聴取者よりの質問に対する解答である。解答は全部戦争中の軍際記録?から
   得たものであり、連合軍最高司令部民間情報教育局により、調査、作成、提供
   されたる眞相である。」

  「眞賓こそ如何なる國家にとつ
   ても最も強い同盟國である」


 ・その貴重な音声が残っている。

  1946年11月22日放送
  『真相箱 第41回』 ※音声提供【NHK】

   軽快な音楽リズムの後~

   男性:では次のご質問は、横須賀にお住まいの聴取者の方からでございます。

   女性:戦艦『陸奥』は、いつ・どこで・撃沈されましたか?お知らせ下さい。

               1943年      廣島
   男性:戦艦『陸奥』は昭和18年6月の8日に広島湾で爆発事故により
      沈没しました。

   ~たった一文のみの解答だった。軽快な音楽リズムで締めくくられている。


 ・戦艦『陸奥』爆沈の事実が、これでようやく国民に知れ渡った。


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 ◆1970年
  戦艦『陸奥』の引き揚げ

 ・『陸奥』が27年ぶりに姿を現した。遺族の強い要望により艦隊が引き揚げられた。

  引き揚げを行ったのは遺族の強い熱意に押されたサルベージ会社。
  利益度外視のプロジェクトだった。


 【深田サルベージ】
 ◇花戸忠明さん
  内心はもぉとにかく、皆が歓喜の声を上げてですね、あのぉ家族の名前を呼んだり
  まぁ息子の名前か、ね、お父さんの名前か。こう皆、手を合わせてね、あのぉ・・・
  皆ぁ、大きな叫びを上げておられたとですね。ウン。そりゃ凄かったですよ。


  ※鮮明なカラー映像。白いハンカチで目や口を覆いながら作業を見守る大勢の遺族。
   大型クレーン船で引き揚げられる赤錆びた大きな船体。砲台も引き揚げられた。
   引き揚げられた船体の穴からは真っ黒い土が流れ落ちる。重油塗れ? 
   黒く染み込んでしまった骸骨の頭部がクッキリと映し出されている。 *合掌*


 ・その後『第一次オイルショック』がサルベージ会社の経営を圧迫。作業は中断した。
  現在も艦隊の3分の1は瀬戸内海に沈んだままだという。

 

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┣■「陸奥」が問う“戦争と秘密”


  今年2015年5月

  山口県周防大島町
 【陸奥記念館】
 ・戦後70年となる今年。【海上自衛隊】の幹部候補生が初めて視察した。


 ◇館内での説明
  戦争を前にして運命が終わったんじゃなくて、この静かな海に停泊しておった
  その船が突如爆発するわけです。ねっ。・・・


 ・幹部候補生らは爆沈で犠牲になった若者たちと同世代。

 ◇海自幹部候補生 女性(25)
  沢山の若い方々が亡くなったんだということを、※少し涙声
  胸に伝わったというか、ヒシヒシと感じました。


 ・国民に対して隠され続けた『陸奥』の爆沈。将来日本の安全保障に第一線に立つ
  自衛官たちはどう受け止めたのであろうか。

 ◇海自幹部候補生 男性(24)
  当時戦争中だったということもあり、『陸奥』という重要な艦が沈んでしまった
  ということ。それ自体は隠さなければいけなかったってことですので、エーそれは
  妥当な判断であったのではないかと思います。


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 ◆戦時中の“機密”の重要性に理解を示す若き自衛官
  その一方で乗組員の遺族達は今も複雑な思いを抱えている。


  先月2015年6月8日
 ・戦艦『陸奥』慰霊祭

  『陸奥』の爆沈から72年目の慰霊祭が開かれた。 ※自衛官らも多数同席


 ・遺族席には兄の死の真相を戦後まで知ることができなかった箕浦達二さん(83)
  の姿もあった。国防という大義の下、どんな秘密も正当化されていたあの時代を
  今と重ね合わせ、危機感を抱いている。

  ◇箕浦達二さん(83) ※『陸奥』爆沈で兄を亡くした
   もう騙されたくないし、あのぉまたね、騙されるのも罪だって言葉もあるんですよ
   騙されたって受け身だけでね、こう被害者ぶっていてもいけないですね。
   やっぱりあの騙されたっていうのはひとつのね、なんて言うかな「共謀者」のね
   一端ですよ!

   だから騙されないように、これからは自分たちもね、シッカリしたその何というか
   自覚とそれから知識を持ってね、立ち向かっていかないとまた騙されちゃうわけ
   ですね。だから騙されないようにしようと、いう覚悟が必要ですよね。※力強い
   そう思います・・・ 。*頷く*

 

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┗■スタジオにて


 ◇日下部正樹 MC
  私、以前にね『ミッドウェイ海戦』に参加した「零戦パイロット」に取材をした
  ことがあるんですけれども、実はですね、この『ミッドウェイ海戦』の惨敗を
  隠すためにですね、パイロットの人が国内の軍の施設に暫く軟禁されてたって
  言うんですね。つまり身内の兵隊も信じていなかったわけですよね。

  まあとにかく【国家権力】っていうのは「不都合なこと」を隠すためには
  「何でもやる」んだなぁという印象を持ちましたね。


  今回取材に当たった
 ◇吉住啓一 記者 RCC
  そうですね。それと同じようなことが『陸奥』の爆沈でも起きているんですね。
  あのぉ生き残ったほとんどの乗組員が秘密保持のために上陸することが許されず
  船に軟禁されて、その後“激戦地”に送られたという話があるんです。

  まぁ70年前の戦時中に起きたことと思われるかもしれませんけれども、一昨年の
  『特定秘密保護法』の成立とかですね、今週の『安保関連法案』の衆議院通過など
  の動きをみるとですね、国防とか安全保障という『大義』があれば今でも同じような
  ことが起きかねない。もしかしたら既にそういうことが起きているのかもしれないな
  と凄く怖く感じましたね。*頷く*


 ◇金平茂紀 キャスター
  まさに前半の特集でね、イラク戦争に関する文章の不都合な部分を全部塗り潰してね
  隠蔽されていたってことが明らかになって、とっても怖いですよね。


 ◇吉住啓一 記者 RCC
  頷く それと同時に私が印象に残ったのが、兄を亡くされた箕浦達二さん(83) が
  「騙される罪」ということを言われてたんですけれども、箕浦達二さん(83) が
  こういう風に言われているんですが、

  「傍観するだけではなくて、シッカリした自覚と知識を持って立ち向かわなければ
   また騙されてしまう。」

  という風に仰いました。兄さんの死の真相を隠されるという経験をされた方の言葉が
  とても重かったんですけれども、自分に、私に言われているようにドキッとさせられ
  たんですよね。まっこういうことっていうのはですね、特にメディアの仕事に携わる
  我々はですね、本当にこういう言葉を肝に銘じないといけないなという風に思います


  ※全員が、真剣な面持ちで深く頷いた。

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・とてもいい特集だったと思う。正直この日前半の『安保法制、衆議院通過」は
  飽食気味でメモらなかったのだが、この隠蔽された戦時中の実話は各証拠等も
  出揃っていて大変興味深かったし、同時に真剣に考えさせられた。これらの事実を
  知ってから戦争当時の記録を読み返すとまた違った思いにさせられるはずだ。
  まだまだ我々が知らない真相が隠されているように思えてならない・・・ (哀)

┣・当時のことを鮮明に記憶する世代は80代を過ぎた。70代だと幼すぎてよく
  覚えていない人も多いことだと思う。自分も一度満州から引き揚げてきたという
  伯母や、その家系の人に詳しく質問してみたことがあるが、深掘りしすぎると
  辛い思いを振り返させてしまい口を閉ざしがちで、それ以上は安易に立ち入れ
  られなかった。その貴重な遺産を持つ方々が徐々にだがこの世から去って行って
  しまう。少しでも残して頂くためにもメディアの方々には尽力して貰いたいものだ。

┗・法案等を決めた者達がまずはその最前線に立つ。そこから始めてみてほしい。
  「何をバカなことを」という決め台詞が聞こえてきそうだが、法などと言う決め事は
  それを信じる者がいてこそ成り立つ代物。自国で決める前に他所の国で宣言する
  愚か者の発する言葉などどれだけ付いていくと思っているのか。情けない首領だよ。