2015/08/15(土)<「70年前の恋を教えてください」広瀬すず>
【私たちに戦争を教えてください】
http://www.fujitv.co.jp/sensou_oshiete/navigator.html
*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。
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終戦70年ドキュメンタリー
┏┓ <「私たちに戦争を教えてください」>
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この番組は戦争が本当はどんなものだったのか
体験した人々に話を聞きその悲惨さや
虚しさを伝えることを意図しています。
そのため実際の戦闘場面や遺体の映像なども含まれます。
特にお子様等の視聴にはご注意ください。
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広瀬すず
┣「70年前の恋を教えてください」 ~70年前16歳の少女 心の記録
◆特攻隊を見送った16歳の少女
<16歳の少女の悲しい日記>
「胸がうずく。
ミキちゃんを好きだとか言ったったとの話を聞いた。
胸がドキンとしてしまう。
20分前、10分前。時間は迫る。 」
・戦時中、一人の少女が愛しい人達への揺れる思いを綴ったもの。
飛び立つ特攻隊員の姿を見送った少女の名は
◇加藤美喜子さん(当時16歳) ※スラリとした和風美少女
竹下夢二に描かれる女性像によく似てる
・終戦を迎えるまで彼女は若い多くの特攻隊員をひたすら見送り続けた。
【福島県原町】
飛行場を出発する多くの若い特攻隊員。
<加藤美喜子さん(当時16歳)の日記>
戦果を挙げる時・・・ それはすなわち死・・・
-特攻なんて、
-私の本当の心がこわれる。
◇広瀬すず(17)
なんか一つ一つにすごい重みが・・・ ありますぅ、、よね。ウン。*うつむく*
すごい、その瞬間の思いが、書かれているから、 *おっとりした口調*
う~ん。。。すごくズッシリとくるものがあるなぁって感じました。*笑み*
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【福島県南相馬市原町区】
・日記の少女は70年前と変わらず、この町に暮らしていた。
◇八牧美喜子さん(86) ※旧姓加藤。16歳の頃に特攻隊員を見送った
(今回取材を受けた理由)
亡くなった方は「忘れられる」のが一番寂しいだろうと思いますので、
歳月が過ぎたら忘れられますのでね。あのまだほら原町は残ってるんですよ。
こういう格納庫の跡とか。(新聞紙面を見せながら)これ格納庫の一部なんです。
これに屋根が付いてて。
◇広瀬すず(17)
行けますよ。うん。 こういう所には行けるんですか? フゥ~ン
福島県南相馬市
【原町 陸軍飛行場跡地】
・かつて陸軍飛行兵を養成するための訓練飛行場があった。
そこに全国から多くの若者が集められ、戦況の悪化とともに彼らは特攻隊員となった
・そして出撃までの時間をこの【原町】で過ごした。
飛行場のすぐ近くにあった美喜子さんの家は
町で唯一のミルクパーラーとして牛を意味する“ベコ屋”の愛称で親しまれていた。
店にはよく歌謡曲が流れていて、
隊員さん達も訓練の合間によく遊びに来ていたという。
その“ベコ屋”の看板娘だったのが
◇加藤美喜子さん(当時16歳) ※スラリとした和風美少女
少し年上の隊員さん達から“ミキちゃん”と呼ばれ、可愛がられたという。
私の実家っていうのは夏だけアイスクリームとかなんか売る喫茶店。
母とかは世話好きな人だから、
「上がってきて、ここでお弁当食べなさーい」とか言うて ◇広瀬すず(17)
お弁当食べたりなんかしてそれで段々(特攻隊員と)親しくなったの。 フゥ~ン。
ここにみんな遺品があるんですよ。 フゥ~ン。
・そんな兵隊さん達との“思い出の品”が大切に取ってあった。※1箱ずつ風呂敷包む
この箱(1つの黒い箱)に納められている手紙こそ、
ほのかな恋心を感じていた、ある人から届いたものだという。
これ、久木元さんのですね。
もうボロボロになっちゃってるからね。 ※日に焼けているが保存状態は良好
「加藤美喜子様」私の名前です。 大事に保管されていたことが十分伝わる
◇久木元延秀 少尉(当時21歳)
陸軍士官学校57期。終戦の1年前に【原町 陸軍飛行場】へやって来た。
美喜子さんにとって忘れられない人。
◇八牧美喜子さん(86) ※旧姓加藤。 ◇広瀬すず(17)
久木元さんって 久木元さんってどんな方なんですか?
やんちゃ坊主だったんです、本当は。
うははははは(笑) エッへへへ(笑) やんちゃ坊主。
やんちゃ坊主さんで
お酒飲んで踊ったり歌ったり賑やかで フゥ~ン。
お酒も結構飲みましたし、あと
喧嘩した話も聞いたことありますから へぇ~
だったんですけど、あのね
二人だけの時もたまにはあったんですよ。
レコード掛けたり。その時ね、全然人が変わったように静かなのね。
んで、お酒飲んでいる時と全然違う人だって感じは持ってたんですよ。
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◆そんな久木元さんの名前が美喜子さんの日記に初めて出てくるのは
特攻出撃の命令が下る2ヵ月前のこと。
<加藤美喜子さん(当時16歳)の日記>
久木元さんが近頃しょっちゅう来る
-すっかり親しくなり
-お兄さんの様なつもり
-日頃悩み苦しんで居るをすっかり話した
久木元さんはよっちゃふと
人を見つめる時
とてもやさしい目を
するんだっけね
・二人は手紙でお互いに気持ちを交わしていた。
◇広瀬すず(17)
ウワー、かわいい。 ※竹下夢二と思われる絵柄の栞、絵葉書が多数。
やはり美喜子さんが絵柄の女性によく似ているからかな?
・手紙の返事を書く時には気持ちが少しでも晴れるようにと
当時少女達に人気だった明るいデザインの便箋や葉書にしたという。
◇広瀬すず(17)
戦時なんかこういうちょっと無地のイメージが、ちょっと勝手に・・・
でもやっぱ素材とかはその時代ならではというか。(そうよねぇ)
うん。。。(笑み) すごい素敵。
◇八牧美喜子さん(86) ※旧姓加藤。
薄ーい。 見て、コレ。
『巻紙』ですよ。
※手紙などを書く丈夫な和紙。
すごーい、コレ。*ペラペラ音* コレに書いてたの。
い”ー。半透明な紙 *ジロジロ* 本当だ。 みんな模様が違うのね。
大事に持ってってくれたみたい。
(満面笑み) ポケットに入ってたっていうから。
・この時代の若者達もやっぱり可愛いモノが
好きだったんだ。
◇久木元延秀 少尉(当時21歳)
♪『麦と兵隊』 ※好んで聴いていたという。
<加藤美喜子さん(当時16歳)の日記>
久木元さんの踊りを見ていると
いつかはこんなことも踊りも
思い出になってしまうんじゃないか・・・
ああ、何だかわからなくなっちゃう
・彼のほのかな気持ちに美喜子さんも気付き始めた。
そんな矢先・・・
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◆久木元延秀 少尉に“出撃命令”
・特攻隊員が最後の心のよりどころにした牛乳屋さんの看板娘。
彼女のところに最後に届いたのは、
◇八牧美喜子さん(86) ※旧姓加藤。 ◇広瀬すず(17)
これね、お別れの時、私ね
「歌を書いて下さい」って言ったらね。
こんな小さいのによく書けたわねぇ。 !? うふふふふふ(笑)
書いてくれたんですよぉ。 へぇ~。。。
※まさに付箋ほどの大きさの可愛らしい紙に沢山
細くて小さく、それでいて達筆で書かれている。 アップで映されたら
強い思いが込められていることが伺い知れる。 習字だった(驚)
・彼女への歌を送ったのは特攻隊員の久木元延秀さん。
綴られていたのは面と向かっては言えなかった“儚い思い”。
「 みちのくの 國見をこへて さに恋ゆる
今宵いかにと 吾こひやまぬ
加藤美喜子様 延秀 」
◇八牧美喜子さん(86) ※旧姓加藤。 ◇広瀬すず(17)
私への『恋歌』みたい。 へぇ~どういう意味ですか?
「みちのくを遥か離れて来たけど
今宵あの人はどうしていますか」 へぇ~
そういう歌です。分かります?*2 なんか、なんとなくですけど(苦笑)
※まだ全然分かってなさそう顔してた(笑)
事務所サイドもひと安心?(大笑)
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◆永遠の別れが近いことを知りながらも、淡々と流れる時間。
最後の日のことを美喜子さんは今も鮮明に記憶していた。
◇広瀬すず(17)
久木元さんとはどんな風にお別れしたんですか?
◇八牧美喜子さん(86) ※旧姓加藤。16歳の頃に特攻隊員を見送った
一晩で別れちゃったんですよね。
だからね、最後のその電話頂いたんです。
あのもう立って、飛行場から電話が来たんですけどね。
「もしもし」って言って、でも何を話していいか分からない。
最後だって分かってるし、
あちらも何も、言えないんですよ。
二人でズーッとそうやってどのくらい(受話器)持ってたんですかねぇ。
で、こうやっている内は向こうにいるっていうのが分かるんです。
向こうもそういう感じだったと思う。
置いたら終わりなの、もう一生終わり。
ね? もう会うことも声聞くことも
もう何も、もうできないの。
だから受話器置けない!(悲痛)
どーのくらいそうやっていたのかは、私にも分からないけど、、、、、
どうやっていいか分からなくなった、最後!
それで私の方からもう切っちゃった「さよなら」ってもう切っちゃったんですけど
それからもぉー、だから一生それがほら、私の方から切ったんでね、
だけどその最後にそうやって、しゃべれない時をそうやって過ごしたというのは
やっぱり忘れられないですね。*頷く*
◇広瀬すず(17)
その時のこと今思うとどう思いますか?
◇八牧美喜子さん(86) ※16歳の頃に特攻隊員を見送った
いやー、今でも話せない。*大きく首を横に振る* ◇広瀬すず(17)
何話せる?あなた。 そうですよねぇ。
それはやっぱり、今でもだから心に残ってねぇ
あちらも何を言いたかったのか言えなかったでしょうしね。 *頷く*
私も言えなかったし、何にも言えなかったです。 *頷く*
※現代の少女も
ただ頷くしかなかった。
<加藤美喜子さん(当時16歳)の日記>
十二時 二十分前 十分前
時間はせまる
久木元さんが原の町を
永久に別れる時は今何分
胸がキリキリ、キリキリと責められそうだ
何か言うと涙が出て来そう。
十二時ちょっきりだった
そんな低空でもなく
原の町上空を二度ばかり廻って
ついに南のほうに消え去った
・そして、、、
◇久木元延秀 少尉(当時21歳)
1944年12月30日
フィリピン・ミンドロ島沖で特攻作戦を敢行。
その胸には美喜子さんの手紙を偲ばせていたという。
「春になったら一緒に桜を見に行こう」と約束していた二人。
その約束は蕾のまま、命と共に散った。◇久木元延秀 少尉(享年21)
◇広瀬すず(17)
なんか、たぶん、帰ってこなくなっちゃって、それが分かった時に
なんかそのための日記だとか書けないって書いてあって、その、
「書いたら涙が止まらなくなったり」とか、
「本当の心が壊れる」って書いてあったのが、すごい「本当の心」って何だろうって
※疑問に満ちた笑みを浮かべる
◇八牧美喜子さん(86) ※16歳の頃に特攻隊員を見送った
思ってる? (ハイ。)
本当、本音を言ったら死なせたくなかった。みんな。
そんな世界に置きたくなかったの。ねぇ。
私もそんな世界に、涙を流すような世界に生きたくはなかったし、
あの人達もそんな戦場でそんな死に方させたくはなかったんだけど
それは言えないでしょ? ◇広瀬すず(17)
※盛んに聞き入っている
言えないし、言ったって仕方がないことなの。
だから「本当の心は壊れる」って書いたんじゃないかな。
たまたま巡り合って、付き合って
本当に実現するのかどうか分からない話なんだけど
もうあちらもねぇ、命をいつ絶たれるか分からない状態で
あの会ってるわけだからね。
それは本当の夢物語かもしれないけど、
それだけにまた、純粋ではあるわけだわ、ね。
本当の気持ちを言ってくれてるわけだから、ねぇ ◇広瀬すず(17)
それはやっぱり嬉しかったですよね。 ※頷き聞き入るしかなかった
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◆町を一望する小高い丘に
この【原の町】を飛び立ち戦死を遂げた人々の名前が刻まれている。
『原町飛行場関係戦没者慰霊碑』
久木元延秀 少尉(享年21)の名前も刻まれている。
進襲隊
陸士57期
久木元延秀(鹿児島)
昭和十九年十二月七日 ミンドロ島
?
◇八牧美喜子さん(86) ※旧姓加藤。 ◇広瀬すず(17)
名前覚えていただいて喜んでる。(笑) ふははははは。(笑み)
(特攻出撃の)何日って書いてあるでしょ? *ジー*
薄れちゃった? 12月って書いてある。昭和19年
来ましたよ。(笑顔)
・70年前、たった数ヶ月、時を共に過ごしてきた人を
今もこうして見守る人がいる。
◇八牧美喜子さん(86) ※旧姓加藤。 ◇広瀬すず(17)
どうもご苦労様です。 なんかすごい・・・
びっくりしたでしょ。 びっくりもしましたし
私達10代があんまり感じられない
そうですか。なんかまたねぇあのぉ 聞けないお話とか沢山聞いて
あなたの生きていく内の一頁にねぇ ハイ。
こんなことがあったってね、思ってもらえれば
そんでなかったらこんなとこ・・・ ※カット(苦笑)
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◇広瀬すず(17)
なんか実際こう話を聞いていくと、いろんなことをお話してくださって
なんかすごい、終始泣きそうになっちゃってて。(苦笑)
すごいなんか一杯一杯で苦しくなっちゃって、
でもそれを美喜子さんは少女時代にこう沢山感じて
う~ん、なんか久木元さんのこともそうですけど、
なんかいろんな人を愛そうとも思ったし、強くも生きようと思ったし、
今の時代とはちょっと違うから、
若い私達が特に感じなくちゃいけないことがすごい多いなぁってなんかそう
思いました。*ウンウン頷く*
1901rjtt-to-roah.blog.so-net.ne.jp
◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
┣・この娘・女優、広瀬すず(17)って可愛いですね。少女が戦争のことを教えてもらうと
実際こんな感じなのかもね。(笑) とても素直な感想・表情を浮かべていてオジサン
大変好感が持てました。 今、人気がある若手女優だと言われるだけのことはある。
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※可愛い画像先のリンクを張ろうと検索してたら“炎上”してた。(爆)(苦笑)
どうやらこの娘、思ったことを即口にする天然系らしい。問題となった発言も
そんなに悪気があって・バカにして言ったとは思えないなぁ。
裏方稼業という存在意義をまだ本当に知らないだけなんじゃなかろうか?
「知らぬが仏」とでも言いましょうか、知らないことで他とは違った面が出せる
とも思うんですよねー。とくに芸能界という場所柄、皆同一だったらば面白くも
なんともないでしょう。本当に純粋無垢な少女がどう成長していくのか。
四十過ぎのオジサンはとりあえず優しく見守ろうかと考えています。(苦笑)
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┣・今回取材を受けた八牧美喜子さん(86)が出版された本を元に、
広瀬すず(17)が本人を尋ねるという設定になっていました。
『いのち 戦時下の一少女の日記』 出版社: 白帝社 (1996/08)
この八牧美喜子さんの若かりし頃の姿は、驚くくらい本当に竹下夢二に描かれる
女性像によく似ていました。竹久夢二自身は大戦前に既に亡くなっていますが、
◇久木元延秀 少尉(享年21) が竹久夢二の作(影響を色濃く受けた)物を彼女へ
渡していたという行動に、ちょっと男ながらに感動してしまいましたね。普段は
やんちゃでも、彼女の前では押し黙っているような純朴な人だったのでしょう。
もし、もう一時の間、時が許してくれていたらと思うと切なくなります。
┗・当時の日記が綴られているという本書。近々私も手に取ってみたいと思います。