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「真珠湾攻撃」×「英雄パイロット」×小栗旬

2015/08/15(土)<「真珠湾攻撃」×「英雄パイロット」×小栗旬
【私たちに戦争を教えてください】
 http://www.fujitv.co.jp/sensou_oshiete/navigator.html

www.fujitv.co.jp


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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  終戦70年ドキュメンタリー
┏┓   <「私たちに戦争を教えてください」>
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    この番組は戦争が本当はどんなものだったのか
      体験した人々に話を聞きその悲惨さや
      虚しさを伝えることを意図しています。

  そのため実際の戦闘場面や遺体の映像なども含まれます。
     特にお子様等の視聴にはご注意ください。

 

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 小栗旬
┣「真珠湾攻撃

 ◆なぜ戦争は始まった?

  アメリカ合衆国
 【ハワイ真珠湾

 ・この地上の楽園で70年以上前に、日本人が何をしたのか。
  ビーチの前を素通りしながら、ハワイに来る前、珍しく一生懸命に読んだ本の
  内容を思い返していた。

 ◇小栗旬(32)
  絶対勝てる見込みないのに、なんで(アメリカと)戦ったんだろうって。
  思いますよねぇ。。。だって連合軍なんてやられちゃったらもう、とてつもない・・・


 1941年12月8日
 【真珠湾攻撃
  ハワイの真珠湾にあるアメリカ軍基地を日本軍の戦闘機など約350機が突如襲った
  日本軍の攻撃で米戦艦4隻が沈没。僅か2時間程の攻撃で米国人の死者2千人以上。
  アメリカに大打撃を与えた。3年8ヵ月に渡る【太平洋戦争】の始まりだった。

 ◇フランクリン・ルーズベルト 第32代アメリカ大統領
  日本が卑怯な奇襲を仕掛けてきた。
  アメリカはこの戦いに必ず勝つ。


 ・それから70数年。
  日本の“加害者としての横顔”をシッカリと見ておこうと思い、初めて現地を訪れた

  ハワイ諸島
 【オアフ島真珠湾
 ・ヘッドホンから流れてくる音声ガイドによれば、
  この海にまだ多くの遺体が眠っているという。

 【戦艦アリゾナ記念館】

  パールハーバー/アリゾナ記念館

 ・あの時、日本の攻撃がいかに凄まじいものであったかを物語る記念碑。
  この建物の下に眠るのは日本軍の奇襲攻撃で沈められた戦艦アリゾナそのままの姿。
  あの日、何があったのか、静かに伝えている。

 ◇小栗旬(32)
  あそこから油が出てますもんね。

 ・波間から浮かんでくる“黒い油”。沈んだ戦艦に積まれていた燃料が、
  70年以上経った今も、少しずつ漏れ出しているのだという。

  (この戦艦には)全体で何人ぐらい乗ってたんですか?

 ・トータルで1100人以上。ただこの中にまだ沈んでいるのは約900人ぐらい。

  (ああいう戦艦が)沈んじゃうんですもんね。


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 ◆日本の奇襲攻撃を、アメリカの兵士達はどう受け止めてたのか。


 ・実際に体験した人を訪ねた。

 ◇アル・ロドリゲスさん(95) 元米国海軍 ※真珠湾攻撃の目撃者
  *グラサン&アロハシャツ*  ◇小栗旬(32)
  オハヨウゴザイマス。(笑)   おはようございます。(笑) *握手*
  Nice to meet you.      Nice to meet you. *一礼*


 ・【真珠湾攻撃】は軍に入隊して2年目のことだったという。

 ◇アル・ロドリゲスさん(95) 元米国海軍
  朝食を食べようとした時、沢山の爆撃音が聞こえ、警報が鳴り響いたんだ。
  飛行機の底に赤いマークが見えた。それで日本軍と分かったんだ。
  ヤシの木の高さほどの低空飛行でやってきた。
  パイロットの顔はもちろん帽子だって見えたよ。

 ◇アル・ロドリゲスさん(95) 元米国海軍 ◇小栗旬(32)
  頭の中には「なせ?」ということだけ  顔が見えた時はどんな気持ちなんだろう?
  なせこんなことが起きてるんだと。


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 ◆「なぜ?」実はその思いをさらに強く抱いた人がいた。


 ・当時ハワイは日本からの移民も多く、ハワイの全人口の実に約37%が日系人だった
  開戦の原因となった1つに、「米国から日本への石油の輸出を禁じた」ことがあると
  いうが、まさか「ハワイが戦場になる」と考える人は少なかったという。

  しかし、そのまさかは起こった。

 ◇ヨシノブ・オオシロさん(87) ※真珠湾攻撃を目撃した日系2世
 ・その朝、真珠湾の近くに住んでいたオオシロさんは
  友達と一緒に戦闘機が低空でやって来るのを見たという。

  誰かが屋根に上がって見ようとしたらパイロットが
  「屋根から下りろ、下りろ」と手で制したんだ。

  友達が「日の丸じゃないか。日本の戦闘機は帰れ、帰れ、帰れ!」と言った。

 ・当時、日系人にとってアメリカ人は良き隣人。
  日本が攻撃してくることが信じられなかった。
  オオシロさんと同世代の日系人達も突然の攻撃に戸惑ったという。


 ◇小栗旬(32)
  戦争が始まる前と始まった後では、大きく生活が変わってしまいましたか?

 ◇バニース・ヒライさん(90)       ◇グレン・マスナガさん(??)
       同世代の日系人・女性         と同世代の日系人・男性
  そうですね。              ものすごく変わったと思う。
  いつも「ジャップ、ジャップ」ですね。


 ◇小栗旬(32)
  それを二人が言われる時もありましたか?

 ◇バニース・ヒライさん(90)
  日本は“敵”
  それだけはハッキリしましたね。


 ・もう一つ大きかったのは「日本人は何をするか分からない」
  という印象を与えたことだという。

 ◇バニース・ヒライさん(90)
  学生さん達はみんな『ガスマスク』。
  夜昼、夜昼。             ◇グレン・マスナガさん(??)
  そうそう。(苦笑)            ガスマスク忘れたらね「家に帰れ」って


 ・そうした恐怖を彼らに与えた原因は、
  【真珠湾攻撃】のやり方、そのものにもあったのかもしれない。

 

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┣■小栗旬×「真珠湾攻撃


 【真珠湾攻撃
  それが突然だったこと以外にもアメリカを驚かせるものだった。

  真珠湾攻撃 (太平洋戦争始まる)

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 ・真珠湾の水深 約12m(魚雷攻撃に必要な水深 約60m。)
  何より真珠湾は極めて浅瀬であるため、
  ある程度の水深を必要とする『魚雷』は使えないはずだった。

  ところが日本軍は魚雷を当てることに成功する。「なぜか?」


 ◇アル・ロドリゲスさん(95) 元米国海軍
  “ヤシの木の高さほどの低空飛行”でやってきた。
  “パイロットの顔”はもちろん帽子だって見えたよ。


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 ◆“低空飛行”それが秘密だった。
  その攻撃は一体いかなるものだったのか。CGで再現した。


 ・機体の下に魚雷を抱えた『旧七式の攻撃機』が先陣を切ってやって来る。
  浅瀬に魚雷がぶつかるのを防ぐため、機体は一気に急降下。
  スピードを落とさず、超低空で魚雷を発射。魚雷は水面ギリギリを進んでいく。
  日本軍はその特訓を積み重ねていたという。

 ・今度は上空から爆弾を投下。戦艦アリゾナは1千人の乗組員と共に沈んでいった


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 ◆実はこの【真珠湾攻撃
  それまでの戦術を一変させるような作戦があった。
  それが「航空機による空からの攻撃」。

        ゼロ
  主役の1つが『零戦』。             れいしき
         地上の基地や戦闘員への攻撃を任された零式艦上戦闘機

  日本にこの『零戦』はなければ、真珠湾への攻撃を考えなかったとまで言われている

  真珠湾への攻撃を可能にしたのが“軽さ”。
  “軽さ”を追求したボディーはとても薄いジュラルミン
  場所によっても違うが、厚さが僅か0.5mmしかなかった。


 ◇竹田圭吾 ジャーナリスト Newsweek日本版 元編集長
  この“薄さ”はある意味で、
  日本がやった戦争の“無謀さ”を象徴している面もあると思います。
  当時の日本の“技術力の高さ”。それからその戦闘機を使いこなした
  当時の“パイロット達の技能の高さ”といったものが【真珠湾攻撃】を成功させて
  「ひょっとしたら戦争に勝てるのではないか」という風に日本を思わせてしまった
  かもしれません。

 

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┗■小栗旬×「英雄パイロット」


 ◆空の王者“零戦”を操る男

 ・そしてその“零戦”が、一人のパイロットの人生をも左右していた。


 【長野県長野市

 ◇原田要さん(99) 元零戦パイロット ※真珠湾攻撃に参加
  昔はこれである程度、自分の身分を証明できた。

  『海軍 将校ベルト』
   士官以上が着用を許された。    ※黒くて太く、金具は金色。
                     チャンピオンベルトみたいだ
  しょっちゅう見てるんです。(笑)
  こういう人生も“珍しい”です。   ※饒舌。立ってベルトを巻いていた。
                     聡明。相当優秀な方なのだろう。

 ・“珍しい”との言葉の陰には、自らの軍人としての人生に対する
  複雑な思いがある。


 ◇原田要さん(当時25歳) ※真珠湾攻撃に参加した零戦パイロット
  太平洋戦争中19機もの敵機を撃墜。“英雄”としてもてはやされた。


 ・しかし、ある時期を境に“後悔の念”に駆られるようになったという。

  世界中から嫌がられる。零戦パイロットは“人殺しロボット”だって。
  言われる人間になっちゃったのよ。
 (とても悲しげな口調で)自信だとか誇りだとか、これがもうガタガターと
  萎んじゃうんですよ。本当にもうガッカリ!


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆なぜ自らを「人殺しに過ぎない」と思うようになったのか?
  その道筋に「戦争の真実」があるのではないか?


 ・本人から直接訊きたくて、原田さん宅を小栗旬が訪ねた。

  ※玄関先で原田さん本人自ら出迎えてご挨拶。杖を携えてはいるものの、
   背筋はピンと伸びており、心身共に聡明なことが分かる。


 ・その柔らかな物腰は“人殺しロボット”という言葉とは不釣り合いだった。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◇小栗旬(32)
  【真珠湾】の話を聞かせて頂きたいんですけども、
  戦っている当時はアメリカを「憎い」と思っていましたか?

 ◇原田要さん(99) 元零戦パイロット ※真珠湾攻撃に参加
  いえいえ「アメリカさえやっちゃえば!」と、*腕を力強く振り落とす*


 ◇小栗旬(32)
  「恐怖」みたいなものはなかったんですか? 原田さんの中に?

 ◇原田要さん(99) 元零戦パイロット ※真珠湾攻撃に参加
  「恐怖心」? 恐怖心はね、もう全然。戦争のその「命」に対する心配だとか
  自分の「技術」に対する心配。そうしたものは全然持ってません。*首を横に振る*

  とにかく「負けない」んだと。そういう「自信」過剰もありました。


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 ・その「自信」を支えたのが、当時空中戦では無敵と言われた
  『零式艦上戦闘機』通称“零戦”だ。
   (その『五十二型』は【海上自衛隊鹿屋航空基地資料館】に展示されている。)

  機体に使われたジュラルミンの暑さは僅か0.5mm。徹底的に軽量化することで
  可能になった抜群の操縦性で敵を追い掛け、照準器で狙いを定め、20mm機銃で
  撃ち落とす。

  当時『零戦』のパイロットに成れるのは、確かな操縦技術を持つエリートだけだった
  (原田要さんは元海軍中尉。)原田さんはその誇りを胸に、ドンドン零戦での戦いに
  のめり込んでいった。


 ◇小栗旬(32)
  『零戦』に初めて乗った時はどんな気分でしたか?

 ◇原田要さん(99) 元零戦パイロット ※真珠湾攻撃に参加
  だからね、『零戦』に乗った時にはねぇ。もうすごいスピードは全然今までの飛行機
  とは違う。しかも操作があの大きな重量感のある飛行機の割には、非常に滑らかで、
  一番大事なのは、攻撃兵器が20mm(機銃)という大きな炸裂弾を撃てると!
  これは「鬼に金棒」だなぁ。それで私もスッカリもうこの戦闘機と私の一生をここに
  捧げちゃおうと。


 ・そしてパイロット同士で『零戦』の操縦技術を競い合い、次々と敵機を撃ち落とせる
  ようになっていた頃、逆に原田さんには“別な思い”も生まれ始めていた。


   <原田さんの戦闘詳報>

   貸施年月日     任務
   昭和17年4月5日  「コロンボ」空地・敵機殲滅

   管轄 飛龍
                   天候
   -------------------------------------
   上官 戦4機隊大尉 森 茂   参加機種 艦戦機 6機
      攻撃機隊大尉 友永?市  及ビ機數 艦攻機 4機

   -------------------------------------
    交戦セル  F4F 約30機
    敵種機數

    仝上戦果  敵機撃墜 13機

   -------------------------------------
    攻撃目標

    仝上戦果  エンタープライズ型(第一次のモノト別ノ艦)空母=魚雷3本命中
          サンフランシスコ型重巡 大爆発.


 ◇原田要さん(99) 元零戦パイロット ※真珠湾攻撃に参加
  一般の人達に「兵隊さん、相手を落とした時に気持ちが良いでしょうね?」と
  言われるが、いやところが「気持ちはちっとも良くないですよ」と。(苦)


 ・そのきっかけとなったのは、自慢の操縦技術で敵を追い掛け撃ち合っていた時、
  偶然目にしたモノだった。


 ◇原田要さん(99) 元零戦パイロット ※真珠湾攻撃に参加
  え~これが敵の飛行機だとします。 ※2機の模型を手で操って説明している。
                    敵機を上空から追い詰める原田さんの零戦

  カツカツで逃げるから、相手の顔がねぇ本当によく見えるんですよ。(苦)
  で、まっ国は違っても同じ人間なんです、同じ年齢なんですよ。
  それがですね、“やめてくれー”“苦しいー”。そういう顔をこっちの向けて
  落ちていく。それを未だに頭から抜けないんですね。

  火だるまになって、熱くて、それで落ちていく。
  そういう人の顔なんかね、想像以上に苦しそうな顔がハッキリしてるんです。(悲)

  俺だったら“苦しいなぁ”と思うことが順に重なってくると、今度は夜、寝ると
  うなされるんです。(苦) それが人間的に見た時に、人間としてあるまじき最低の
  “人殺し”。人の命を殺めることに、自分の人生全部を注ぎ込んだ。
  情けなくなりました。。。


 ◇小栗旬(32)
  そのぉ「自分は人殺しなんじゃないか」と気づいた時はどういうお気持ちでしたか?

 ◇原田要さん(99) 元零戦パイロット ※真珠湾攻撃に参加
  だからね、それはきっと皆さんお分かりにならないと思う。とにかくね、戦争、
  戦場で会う人がもし外国の人であったら相手は誰でも構わない。
  早く殺めなければ自分がやられてしまう。相手の人と会ったらその人と一緒に生きる
  ことはもう駄目なの。*手で×* 「それが戦争なんです」。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆戦後、職業軍人だった原田さんは公職には就けなかったという。


 ・故郷【長野】に帰っても世間の目は冷たく、仕事にも就けなかった。

  やがて原田さんは亡くなった戦友や撃ち落としたパイロットの“罪滅ぼし”のように
  幼稚園を作り“人を育てる”ことに人生を捧げた。

  ※仏壇には「太平洋戦争 戦没将兵之霊位 神風特攻隊」と書かれた位牌が
   添えられている。

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 ◆零戦パイロット99歳 語り継ぐ信念


 ・原田さんはまもなく100歳を迎えようとしている。
  自らの戦争体験を語れる時間は限られている。


  2015年6月14日(日)
  長野県長野市
 【吉田公民館・多目的ホール

  『原田要 講演会』
   零戦誕生から飛び続けた最後のパイロット98歳  ※既に99歳になられている

   「戦争を止められるのは若者とお母さんです」

   入場無料。どなたでもおいでください。


 ・大人から子供まで約300人が集まった。  ※会場はほぼ満席


 ◇原田要さん(当時25歳) ※真珠湾攻撃に参加した零戦パイロット
  私は世界一“非人道的”な人間に成り果ててしまったわけです。
  尊い人命を、私ぐらい“殺めた”人間は恐らくいないんではないか。

  自分の命が与えられる・終わるその瞬間までできれば「戦争を憎む」・・・

 

 ・エリートパイロットとして、それが国のためだと信じ、自らの仕事に情熱を傾けた。

  しかし原田さんの心はいつしか立ち止まった。

  「自分は何のために生きているのか」と。


  戦後70年、今も原田さんは自らの罪と懸命に向き合っている。

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◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・戦後70年【真珠湾攻撃】を題材とした昔の映画など復刻版として売られている
  ようですが、威勢良く「トラ!トラ!トラ!」などと・・・ 検索して調べてみれば
  【KADOKAWA】だった。クソゲーダビスタを平気で出す・センス0の会社。
  やはりどこか感性がおかしいとしか私には思えない。(苦)

 

 

┣・CGで再現された【真珠湾攻撃】は分かりやすかったけれど、迫力は今ひとつ。
  逆に現地ハワイの人が当時零戦が家の屋根上空ギリギリに飛んでいったという
  証言の方が、リアルさが伝わって“低空飛行”だったことがよく理解できた。
  凝ったCGよりも実際の映像でどこら辺を飛んでいったのかを矢印などで指し
  示しただけの方が良かったように思う。「あぁこの上空に実際に飛んだのか」と。

┣・零戦の強さの秘密は非常識とも言える“機体の薄さ”にあった。今でいうなら
  炭素繊維・カーボン素材のように強度が十分にあったわけではない。資材不足と
  たまたま合致したとでも言うべきか、狂信的に“ハリボテ”機体が推し進められて
  いく。それは今回カラー映像化されて明らかとなった。みすぼらしいボロボロの
  機体だった神風特攻隊。(驚) 資料館などに展示されているようなピカピカでは
  なかったのだ。硫黄島でのリヤカーのような貧弱な戦車といい、軍上層部の命令
  など無視して白旗を揚げて逃げて欲しかった。別の意味でも悲しくなる戦争だと
  私は強く思う。

┣・原田要氏は2011年になって初めて自らの著書を出されたようだ。戦記ものでは
  散々名前ばかり挙げられているので、自ら言い伝えたいことも多々あっただろうと
  思われる。前2著書のレビューは相当に高い。遅れませながら私も目を通させて
  頂きます。

 

 

わが誇りの零戦(ZERO)―祖国の為に命を懸けた男たちの物語

わが誇りの零戦(ZERO)―祖国の為に命を懸けた男たちの物語

 

 

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