2015/06/01(月)<奈良の大仏だけじゃない!世界遺産「東大寺」SP>
【お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺】 http://www.tv-asahi.co.jp/bucchakeji/
*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。
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┏┓お坊さんが教える <奈良の大仏だけじゃない!世界遺産「東大寺」SP>
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┣■日本人なら誰でも知っている【東大寺】の“おさらい”
Q.一体いつ誰が何の目的で建てたのか?
A.
◇河合敦 歴史研究家/作家
今から12百数十年前、奈良時代に聖武天皇が仏教を広めるために建立。
701~756
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Q.お坊さんにとって東大寺は?
A.
◇泰丘良玄 臨済宗妙心寺派(愛知)
東大寺のある奈良の都っていうのは、奈良/鎌倉/室町/江戸時代と
全ての時代の建物や仏像がある。まさに“仏教のテーマパーク”
“大仏ランド”。 境内:約10万坪に歴史的建造物が溢れている。
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┣【南大門】
◆東大寺の参道を抜けて南大門へと向かう道中、
「鹿が本当にねぇ、放し飼いというか・・・ 」 (太田光 爆笑問題)
「鹿ってこんなに人に怯えないものなんですか?」(高畑淳子)
・天然記念物に指定される鹿に溢れている。
◆鹿と仏教の“凄く縁が深い関係”
「悟りを導く水先案内人」のような役割が【鹿】にはある。
「お葬式」とか「お通夜」の祭壇には「鹿の角」が置かれている。
・その昔、インドで悟りを開いた釈迦は説法を聞いてくれる人は誰もおらず
鹿を相手に説法をしていた。という説がある。
※という説明の最中に、鹿が番組の台本を加えて周囲を歩くハプニング
「完全に番組に参加しようとしている。
俺にも一言言わせろって。」 (太田光 爆笑問題)*一同笑い*
『鹿せんべい』買って道中、鹿の話を聞くのもいいかもしれない。(笑)
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東大寺
【南大門】に到着
鎌倉時代に建てられたもので、約800年の歴史を持つ。
高さ約25mと巨大。参拝者がとても小さく見える。全て檜で造られている。
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◆Point1
台風に負けない建築技法
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
・元々奈良時代に建てられていたものは平安時代に“台風”で倒壊してしまった。
聖武天皇の命で建てられた寺の大事な門。これは一大事だと再建を志した。
鎌倉時代に立て直したものが今の南大門。鎌倉時代での最先端の風とかに強い
『大仏様』という造りで建てられている。(中国から取り入れた当時最新技術)
・天井がない。屋根まで吹き抜けており柱と柱の間を複数の『貫』でガッチリ補強
手が6つ出ているような「六手先の組物」によって屋根が下から支えられている
・柱は全長20mにも及ぶ巨大な1本の檜。800年以上建っている。
参拝者が触るからツルツル。「時を経てこうやって触れるんだね」(高畑淳子)
・復興を通して技術が導入されてまた進化する。
【東大寺】様は数々の復興を経験しながらどんどん進化して、日本にいろいろな
技術文化を伝えてくれる。復興がかえって進化を遂げる。勇気になりますね。
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◆Point2
超リアルな仁王像のこだわり
・鎌倉時代を代表する有名な仏師【運慶】【快慶】らが造った。
全長約8.4mと向き合う仁王像は東大寺の守護神、日本最大級の大きさ。
・「爪の1つ1つまで細かく」「血管も浮き出ているような」「歩き出しそう」
筋肉ムキムキの肉体、力強い目鼻立ちは鎌倉時代に造られた彫刻の特徴。
“質実剛健”武士の時代を表している。
◇佐保山暁祥 東大寺 録事 ◇高畑淳子
この向き合う2体はどのくらいの期間で 3年半。
造られたと思います?
◇太田光 爆笑問題
69日で造られたんです。 2ヵ月ちょっと。凄いですね
◇河合敦 歴史研究家/作家
20人ぐらいで、集団で。 20人だって2ヵ月じゃコレ
3000パーツぐらいある ◇高畑淳子
◇佐保山暁祥 東大寺 録事 何でくっつけたんですか?
モノではくっつけない。組み合わせで。
※仏師【運慶】【快慶】をはじめとする『慶派』総勢20人が造った。
※平成元年から5年まで行われた「仁王像の修復工事」の映像を紹介。
『寄せ木造り』で3000パーツにも及ぶものをプラモデルのように
組み合わせていた。
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
パーツは20人の内、全員が分かっていたとは思えない。たぶん
【運慶】【快慶】を始めとした上の方だけが分かっていたのだろう。
すごい天才だったんでしょうね。
◇河合敦 歴史研究家/作家
最初は地元奈良で活躍する優秀な仏師だった。
東大寺南大門の仁王像を造ることで一躍有名になった。
その後『慶派』は日本の彫刻の礎になっている。
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Q.なぜこんなに立派な仁王像を造ったのか?
A.平安時代、台風により倒壊した南大門。さらに追い打ちを掛けるように
1180年、平家の焼き討ちにより“東大寺は焼失”してしまった。
南大門が再建されたのは鎌倉時代。東大寺再建にはある武将の狙いがあった。
◇河合敦 歴史研究家/作家
源頼朝がスポンサーとして再建に関わっている。平家が焼き討ちをしたので
源氏がそれ(平家)を討って再建した“天下の象徴”という思いがだぶんあった
◇千葉公慈 曹洞宗(千葉)
後で手直しをされている。乳首の位置をちょっと下げたり
「乳首の位置を?」(太田光 爆笑問題)
(笑)、一度作り上げたものをお参りをした人が
下から見上げた時に良い形になるように(迫力が出るように)・・・
※納得いくまで何度もパーツを付け替えたという。
乳首の位置:若干左右とも外側にずらす。
へその向き:下向き
分厚い瞼を付けた目は“その向き”に意味がある。
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◆Point3
門をくぐる時のマル秘スポット
・南大門の真ん中を通ると、向き合う2体の仁王像の視線が交差するポイント
があることに気付く。パワースポット的な味わいをしつつ中へと進むといい。
・歴史の偉人達も訪れたかもしれない【南大門】。歴史の深みが感じられます。
◇太田光 爆笑問題
アレね(仁王像)、やっぱり実際に見てもらいたいですね。
◇高畑淳子
ちょっと埃が被っているんですけど、その月日の埃がもの凄く陰影になって
立体感がまたグッと上げている。*興奮気味*
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┣■日本人なら誰でも知っている【奈良の大仏】の“おさらい”
Q.奈良の大仏はなぜ造られたんですか?
A.
◇河合敦 歴史研究家/作家
・奈良の大仏は造られた聖武天皇が「本当に自分はもうダメだな」ということで
造った。自分が即位してから『天変地異』や『自然災害』『反乱』などがあり
ずっと起き続けていて、自分の力ではどうしようもないので“仏教の力”
『鎮護国家』という考え方がありますよね。
(仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想。)
国を平和にするために、仏教を盛んにしようということで・・・ 。
・752年“平和の象徴”として造られた【奈良の大仏】だがお坊さんが活躍した
お坊さんが大仏を造るため全国に寄付を募りに回ったんですね。それでみんなが
協力しようということで・・・ 。
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┣【奈良の大仏】
◆南大門を抜け、ぐるりと周りを取り囲む【回廊】と呼ばれる場所から中へと入る。
回廊の中へ入るや、いきなり中の大きな建物に目を奪われる。
【大仏殿】国宝
木造建築としては世界最大級の大きさを誇る。高さ:約48m、横幅:約57m。
思わず見上げてしまう。過去2回火災により焼失。江戸時代に再建されたもの。
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◆Point1
より存在感を出す様々な仕掛け
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
参道の石の色が違う。(真ん中だけ色が濃い)真ん中ははインドの石。
隣が中国、朝鮮半島と分かれてまして(端の菱形の石が日本に当たる。)
日本に仏教が渡ってきた。(伝わった歴史・ルートを表しているという。)
・そして奈良の大仏をご対面。初めて見るという高畑淳子ら暫く見上げたまま
「(なかなか言葉が出ない)・・・ 本当に息を呑む、息を呑むっていうか。」
【奈良の大仏】(毘盧遮那仏)
・修学旅行や教科書で一度は目にしたことがあるはず。世界最大級の金銅仏。
『お身拭い』と言われる大仏を掃除する行事では掃除する人間が小さく見える。
座高:約15m、顔:約5m、耳:約2.5mもある。
・奈良時代、不安を抱える沢山の人たちに拝んでもらいたい。多くの人の祈りを
受け止められるよう、とにかく大きな仏像が造られた。
<大仏の鋳造工程>
まずは『鋳型』と呼ばれる枠組みを作り、そこに銅を流し込む作業が
3年間8回に分けて行われた。
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
大仏様の顔はすごく大きい。立っても約4.5頭身くらいです。
◇太田光 爆笑問題 ◇高畑淳子
高橋英樹さんぐらい。 「そうですね」と言いそうになっちゃった。
(苦笑)。
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
それは何でかと言うと、下から見上げられることを想定して造られているん
ですね、既に。
(本来ならば、遠くにある顔は小さく見える。顔を大きく造ることで、
遠くからでもより完全な姿が見えるように考え抜かれ造られている。)
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
背中に『光背』という金色に輝くモノがあります。『化仏』がですね、
大仏様の分身のような方が16体付いているのですが、『化仏』も
上の方が大きくて、下の方が小さく造られています。遠近法を使って。
さらに天井に付けられた『格子』。こちらも一番奥が最も大きく造られている。
※遠くの物を近くに見せる工夫がなされている。大きく、近くに見せる。
当時の人たちが大仏建立に掛ける強い想いが分かる。
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◆Point2
手の形の深い意味
【奈良の大仏】と言えば、右手は前、左手は膝の上が特徴。
◇泰丘良玄 臨済宗妙心寺派(愛知)
例えば、
右手はこういうような形になっている。
『施無畏印』と言って「恐れる必要はないですよ」と
『施無畏』(怖がらない心をくださること)を表している。
左手はこういうような形ですよね。「中指が全部上がっている」(高畑淳子)
『余願印』と言って「願いを叶えますよ」と。仏教的に言ったら
「苦しみから救われますよ」ということで、
「恐れる必要はないです」「苦しみから救いますよ」という意味が
この手の形には込められているんです。
◇千葉公慈 曹洞宗(千葉) ◇太田光 爆笑問題
手の形がちょっとまあ美しいですよね。 こうなってると思ってた。「ダメよ」
ですから人々の仏像は“演技力の先生”
でもあるわけですよ。言葉を用いずに
“形でメッセージを送る”ということですね。
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◆Point3
頭と体は造った時代が違う
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
大仏様は見て頂いたら「ちょっとお顔がキレイ」他の部位に比べると。
大仏様は最初752年に造られまして、そこから2度火災に遭っているので
その度に“修繕を繰り返して”出来ているんですね。
『胸』とかは安土桃山時代、『お尻』の方は鎌倉時代の部位を使っていて
一番古いのは一番下の『蓮弁』というね、蓮の花に乗ってらっしゃるんですけど
そこには絵が描かれていたりするんですが(奈良時代から残る箇所もある。)
江戸時代の物はやはり研磨されているというか、ちょっと艶感がありますね。
◇高畑淳子 ◇太田光 爆笑問題
時代をずっとこうくぐってきたんだぁ。 歴史そのものですね。
【奈良の大仏】は、火災の度に頭部が焼け落ち、江戸時代に再建されるまで
約120年間、顔は銅板を貼っていた。
江戸時代に修復された頭部は表面が研磨され、綺麗な仕上がりになっている。
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
また最初は奈良時代に大仏様は金色に輝いていたんですよ。鍍金されてました。
一番下の蓮弁には金が少しだけ残っていたりする部分があったりするんですね。
◇高畑淳子 ◇太田光 爆笑問題
金だったんですかぁ? 金だったらどうしてたんだろう?
どうしてたんだろう ?? *ポカーン* どうなんだろうなあ。 *ポカーン*
◇太田光 爆笑問題
修学旅行の、終わったら文集に『修学旅行の思い出』とか書かされるじゃない
ですか? その時に「大仏を見て感動した」って書いたのを僕ハッキリ覚えて
ます。ハイ、書いたんです。僕はねぇ、当時“偏頭痛”が酷くてここのお香が
頭痛に効くっていうのを担任の先生が言ってた、なんかあったらしいんですよ。
「効くらしいぞ」って担任の先生がお賽銭を僕の分まで払ってくれて、やって
くれたのを覚えてます。(いい思い出ですね。)((偏頭痛は)治ったの?)
治らなかった。*一同笑い* でもそれがすごく嬉しかった。*頷く* 嬉しかった。
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Q.なぜ平和の象徴として造られた大仏が、2度も焼かれてしまったのか?
A.
◇河合敦 歴史研究家/作家
・鎌倉時代以前の『源平の争い』の時に、敵対勢力に東大寺がなってしまったので
平清盛の息子【平重衡】が清盛の命令で焼き討ち来て、その時に焼けてしまった
(平家に刃向かって?) ハイ。
・当時『僧兵』と呼ばれるお坊さんが仏教と寺を守るため【平家】と対立。
平清盛に疎ましく思われ、結果東大寺一帯は戦火に巻き込まれ、焼かれてしまう
・みんな囂々たる非難で、清盛も亡くなる時に「熱い、熱い」ってすごい熱病で
亡くなって、それはやはり大仏を焼いた罰“バチが当たった”のではないかと
言われたんですねぇ。
・その後、鎌倉時代に再建復興を遂げた東大寺だが、戦国時代にこの地を攻めた
松永久秀によって再び焼き討ちに遭ってしまう。しかしその復興には数々の
戦国大名の動きがあった。
・意外に織田信長はここを再建するのに、かなり協力をし始めた時に『本能寺』
で討たれた。徳川家康もここを何とかしようと少し協力し始めたんですが、
中々巧くいかなくて、ずっと来てしまった。大仏というのは日本の象徴だった
ので、それを再建することが天下を獲ったという、権力を握った象徴という
部分も動いたのではないですかねぇ。
・その後1709年、5代将軍・徳川綱吉の時代に再建、復興を遂げた。
※大仏が焼けたのは動乱の時代。大仏は日本を映す鏡、平和の象徴としての役目を
果たしているのかもしれません。
◇千葉公慈 曹洞宗(千葉)
大仏様が栄えると、日本の世の中が平和になって
こちら(大仏様)がいろいろな戦火に見舞われると、日本全体がそういう時代に
なっているような気がしますと、現在こうして栄えつつあるというのは
日本にとってはとっても大事なことなんだと思います。
◇高畑淳子
なんか恥ずかしくないように生きようって思うもの。
お財布拾っても届ける。 ◇太田光 爆笑問題
そういうこと言わないで!(苦笑) 今まではね、とってたけど。(苦笑)
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【奈良の大仏】は周りを歩いて見ることができる。せっかくなので裏側を見ると
「後ろからも迫力がある。」「後ろもこだわったと思いますよ。」との声。
人に見られることを意識して仏像というのは造られていることを実感する一行。
・さらに参拝スポットとして人気なのが
『大仏の鼻の穴と同じ大きさの柱』。くぐり抜けると頭が良くなるとの謂れも。
<太田光が挑戦>
細身の体で入れるが自力で脱出できず、引っ張ってもらい抜けられた。
<高畑淳子も挑戦>
腰から下を自力で通せず。引っ張ってもらいお腹を擦りながらも抜けられた。
「馬の出産みたいな」(太田光 爆笑問題)
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
昔大きな仏像を造る方、仏師の方は、
目から(中に)入って、内側から目をガボッと入れたと。
そして鼻から(外に)出て行ったんです。それで「なかなか賢いな」ってことで
『目から鼻に抜ける』ということわざの由来になった。
「鼻の穴と同じ大きさの穴を抜けると賢くなる」という後付けの話なんですね。
◇太田光 爆笑問題 ◇高畑淳子
ハァ、すごいねぇ。 ちょっとボケ防止にいいかも。
ボケ防止に。(笑)
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◆Point4
最新技術で明かされた秘密?
・約100年前、明治36年に行われた『大仏殿の修復工事』
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
・大仏様の蓮弁の横を掘ったら、いわゆる『宝物』が沢山出てきたんですね。
そこから『剣』が出てきたんですね。それをX線で撮ったら『陰剣』『陽剣』と
書いてあって・・・
※大仏の台座の下から発見された剣、並びにX線画像を紹介。
・聖武天皇の遺愛品を納めた【正倉院】の目録に、その名が記載されている。
しかしなぜ大仏の台座の下から? それは妃・光明皇后のある思いから・・・
・宝剣の目録の一番良いヤツが、一本目と二本目が『陰剣』『陽剣』と書いてある
そこが除物と書いてあった。どこかに持って行ってしまって分からない。それを
持って行ったのは恐らく光明皇后さまだろうと。
それは聖武天皇さまが亡くなって、光明皇后が亡くなる半年前のことなんです。
やっぱり『陰剣』『陽剣』で、誰を重ね合わせたかは分からないですけれど、
『陰剣』『陽剣』は光明皇后にとって大事な剣だったので、失いたくないという
思いがあって大仏様に埋めたのではないか・・・ ※他説もあります。
・数々の秘密と歴史に残る偉人たちの思いに包まれた【奈良の大仏】は
これからも平和の象徴として歴史を積むんでいくことでしょう。
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┣■スタジオトーク 東大寺の更なる魅力に迫る!
◇太田光 爆笑問題
当時は本当にね、みんな関東の方からも大仏を見に来るわけじゃないですか。
それは全部歩いて(大仏を見に)来るわけですよ。何日も何ヶ月も掛けて。
我々ですら3時間4時間でパッと行って感動することを考えたら、当時の人が
何ヶ月も掛けてあそこに辿り着いて、アレ(大仏)を見た時の感動っていうのは
「そういうことだったんだ、仏教は」。それはもう信じるよね。
それはだってもう現実だもの。こんなことが人間ができるんだって、今よりもっと
思うでしょ? (思うよね、全然思うよね。)田中裕二 爆笑問題
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┣■貴重・・・ 奈良時代から鳴り響く鐘の音色とは?
◆平安時代と戦国時代。2度の火災にあった東大寺で“奇跡的に焼け残った鐘”が
奈良時代そのままの形で残っている。
「大鐘」「立派ですねぇ」「形もふくよかで、肉付きも良くて」 *一同見入る*
【東大寺の梵鐘】
26tくらいある。『国宝』に指定され『日本三名鐘』の1つ。
今でも夜8時に鳴らしている。
「すごい歴史の音がするんだ。」 「奈良時代からあるんだよぉ。」
「考えられないですね。」
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◆更にこの鐘の凄いところを聞いてみると、
◇佐保山暁祥 東大寺 録事
実はコレを鳴らしているのはお坊さんではない。
この鐘を鳴らす家系というか【大鐘家】さんというのがいまして、
その方以外は基本的には鳴らさない。
◇太田光 爆笑問題
その人はそれが仕事なんですか? (そうですね。あそこに今いらっしゃいます) あっ、「あの鐘を鳴らすのはあなた」 *一同苦笑い* ※初老の男性だった
◇代々東大寺の鐘を鳴らす【大鐘家】の川邊さん
・ウチは代々明治時代から。(それだけ特別な腕がいる?)
いや、お寺いうのは、昔からお寺にみんな奉仕。こっちからお願いして
「何か係をやらせてくれ」と頼みに行ったんでしょうね。
・毎晩20時と、大晦日などの特別な行事のみ。
それ以外は軽はずみで叩いてはいけない決まりがある。
(それ以外では(鳴らさ)ないんですか?)
・それ以外ではないですね。鳴らすと消防車が飛んで来ます。
火事の時は鳴らすから。境内の火事の時はね。 (そうかぁ。)
<スタッフが残り撮影>
奈良時代から鳴り続けてきた鐘の音は・・・
「鐘を打つ場所がズレている」のが話題に、なぜ本来の場所より下に打つのか?
◇泰丘良玄 臨済宗妙心寺派(愛知)
昔ある人が本来の場所『鐘座』に打ったところ、
三日三晩、音が鳴り止まなかったそうですね。あまりにも響きすぎて。
(ものすごいスイートスポットに入っちゃった?)田中裕二 爆笑問題
(笑)。なのであえてズラしたそうです。
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┗■貴重・・・ 年に一度の伝統行事&マル秘スポット
<奈良を一望できる絶景スポット> ※東大寺の境内で
【二月堂】
・多くの参拝客が夕暮れ時に見に集まってくる。晴れた日には見事な絶景が拝める。
・また毎年3月には今では“おたいまつ”で知られる『修二会』という伝統行事も
行われる。僧侶が人々に代わり罪を懺悔し、「天下泰平」や「五穀豊穣」を祈る
この大規模な行は奈良時代752年に始まって以来、一度も絶えたことがない。
・さらに年に1度行われる“花まつり”『千僧法要』というのがあり、宗派を問わず
全国からお坊さんが集まり、世界平和や災害からの復興を祈る伝統行事。
日本の象徴、奈良の大仏だからこそ実現できる。
◇伊藤政浩 全日本仏教青年会 理事長
宗派を越えて行う法要では“日本最大級の法要”であるかなと思いますね。
【法華堂】
“東大寺始まりの場所”と言われ、聖武天皇と光明皇后が亡くなった息子の供養
のために建立。その側に【奈良の大仏】を造ったという。
◇千葉公慈 曹洞宗(千葉)
聖武天皇と光明皇后というのは、なんて言うのでしょう『家族の愛情』が見えて
そして『我が子への愛情』があって、同じ思いをみんなにね・・・
・家族への思いから“国の平和”を願う。
東大寺の凄さの理由を少し知ることが出来たように思います。
◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
┣・長かった。一晩費やしてしまった。(苦笑) 考えてみれば奈良の寺院物は
書籍も沢山あるんだった。旅行ガイドも。実際に奈良観光は経験が無かった
ので行った気分でついメモ取りをしてしまった。まあ面白かったけどね。
┗・ちょっと説明が、番組の作りがまどろっこしく感じましたかね。3時間枠
だったせいか、無理矢理引っ張っている感じを受けました。サラリと流す
NHK並みの余裕がほしい。(苦笑) 何度も似たようなこと言われてると
正直頭に血が上ってしまいます。内容はいいだけにソコが大変残念でした。
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┗・その後NHK【ブラタモリ】奈良編では【大仏殿】の天井裏の貴重な映像が
公開されてましたね。高過ぎてタモリも女子アナも上らなかったけれど。
木材の再利用か。鉄筋コンクリートなども再利用できるんでしょうか ??
火事を恐れて木材から遠ざかってしまった現代人。確かに大火は怖いけど。