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ハンセン病を知っていますか

2015/06/16(火)<ハンセン病を知っていますか>
【探検バクモン】 http://www.nhk.or.jp/bakumon/

www.nhk.or.jp


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓探検記録 <ハンセン病を知っていますか>
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  http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20150610.html

www.nhk.or.jp


 ◆爆笑問題が一枚の写真と出会った。

 『舌読』(撮影 田中栄)
  舌で点字を読む『舌読』。ハンセン病の後遺症で一番大きいのが知覚麻痺。
  手足の知覚が失くなってしまう。目の視力を失うことも結構あるので、
  最後までに残るのは唇とか舌なんです。ところが唇や舌が切れて血だらけに
  なりながら、それでも本が読みたいということで・・・ 「壮絶ですね・・・ 」


 【国立療養所 多磨全生園】
  かつてここに多くの人々が強制隔離された。そこは長く隔離された異質な世界。


  不思議な場所。衝撃な歴史が明らかに!

  88歳元患者×太田光爆笑問題
         壮絶人生に迫る!

 

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┣■ハンセン病療養所を探検!

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 【国立ハンセン病資料館】

 ・入り口には“お遍路さん”の銅像がある。

 ◇黒尾和久 学芸部長 国立ハンセン病資料館
  かつて「ハンセン病」は「らい病」と言われていた。
  この病気になってしまいますと共同体から外されて、諸国をお遍路して
  その母子でお遍路した姿を写したもの。


 【らい病】(ハンセン病
  “らい菌”によって末梢神経や皮膚が冒される感染症
  現在日本で患者はほぼいないが、かつては“不治の病”とされ恐れられた。

  明治時代、患者を全国の療養所に隔離する法律が施行された。
  ※1907年(明治40年) 法律第十一号『癩予防ニ関スル件』公布

  そこには「ハンセン病」を“文明国の恥”とする思想もあった。

  それはやがて患者を強制連行し、治っても一生療養所から出さないという
  『絶対隔離政策』へと至った。 ※警察による強制連行。トラックの荷台に載せる

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 【国立ハンセン病資料館】 

 ・入所者が送った壮絶な暮らしが展示されてる。

  『カニューレ
   呼吸するための道具。咽喉に結節ができて呼吸困難になった場合、
   気管を切開してカニューレを挿入した。 ※声を失う。

  『消防車』
   消防団の協力で。 ※要するに火事になっても消防車が来てくれない!


 ◇黒尾和久 学芸部長 国立ハンセン病資料館
  「村八分」という言葉がありますけど、死んでも家族が迎えに来てくれないんで
  人によっては「村全部」だと。我々の社会が完全に隔離して忘れていこうとした
  そういう場所なんですね。

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 MISSION
┣■療養所の隔離生活を体感せよ

 【国立ハンセン病資料館】 

 


 『雑居部屋』(復元)
  昭和前期の、単身の男性の僚の様子。
  12畳敷きの部屋に8人が雑居しているという。
  粗末な着物に、僅かな食事。患者の多くは本名を隠し、偽名を名乗った。
  まるで囚人のように扱われたという。

 ◇黒尾和久 学芸部長 国立ハンセン病資料館
  これが“永遠”に続くわけなんですね。外には出られないという。

  ここは比較的軽症の人が入っているんですよ。病状が進んでいる方は病室にいて
  「いずれ自分たちも、あーなるのだろうか・・・ 」と思いながら暮らしていた。


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 『通貨』
  園内でのみ通用するお金。現金など持ってきたりする人もいるんですけれども
  それを全部園内で通用するお金に替えさせられる。
  現金を持っていると外へ出てしまうから。(外へ逃げられなくされた。)

  お金は基本的に「中で自分たちの作業をする」ことによって稼ぐ。

  療養所では園内のほとんどの労働を患者自身に担わせていた。
  畑仕事に豚の飼育、土木工事まで。重症患者の24時間看護も患者が担った。
  最もキツイ労働だったが日給は煙草1箱買える程度。患者の不満は募る一方だった。
                             、、、、、、、


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 『特別病室』(復元)
  反抗した者には監禁という罪が科されたが、特に言うことの聞かない者に対して
  より重い罰・室が用意された。全国の療養所から草津の監禁施設へと集められた。
  厚いコンクリートの扉。実態は刑務所みたいなもの。決まりでは3ヵ月までしか
  入れてはいけないということだが、ところが500日以上入っている人もいて、
  (よく生きてましたよね?)実は23人の方が(草津では)亡くなっています。

  <概要>
   外側に約4mの高さのコンクリート塀が巡らせてあり、一番最初の大きな扉を
   開けると右側に宿直室と思われる部屋があり、左には医務室があった。しかし
   どちらも使われた形跡がなかった。 ※高田孝『日本のアウシュビッツ』より

  ※1916年(大正5年)に『懲戒検束権』が療養所長に付与され、各療養所に監禁室が
   設置された。

  ※穴の空いた「長靴の交換」、自由に「外出をしたい」、
   空腹に耐えかねた「農作物の窃盗」、肉親に会いたいための「逃走」すらも
   罪状とされ、30日以内の監禁や減食などに処された。

  ※植民地下の朝鮮・小鹿島では「断種」も懲罰として加えられていた。

 

 ◆再現された監禁施設に田中が潜入!

 ◇田中裕二爆笑問題
  (扉を開けると)人がいた。(カメラマンがスタンバイ)すっげー怖い。

  中に入り、扉を閉める。

  うわー暗い。なんか天井みたいな壁にスリットみたいにちょっとだけ光の入る
  隙間があるんですね。 ※食事は壁下の小さな隙間から出し入れされる。

  壁に「6月24日」とか「月火水木金土・・・ 」とか書いてあるんだよ。

  ※恨み言が書いてあったり、何日収監されてるか。自分で分からなくなるので
   壁に記した跡が残っている。

  床の所に四角いね(長方形・取っ手付き)パカッと開ける。穴が開いてます。
  →『便所』

  俺今いるココね、一番大きな違いは“ニオイ”じゃねぇかと思うね。
  これたぶん、相当なことになっていたと思いますよ。


 ◇太田光爆笑問題)      ◇田中裕二爆笑問題
  精神的にもう先にやられちゃう。 そう、ここで生きてけないと思う。
                  肉体的にも精神的にも参っちゃうし
                  おかしくなっちゃう。

 ◇黒尾和久 学芸部長 国立ハンセン病資料館
  そういうことが現実として、行われていたということですね。

 

   特別病室
  <室内の様子> ※草津の監禁施設(昭和22年)

   ・湿気がひどく、9月でも黒カビが生えている状態。
   ・真っ暗に近い暗闇。冬、雪が降ると夜か昼か分からない。
   ・縦4寸、横2尺5寸の窓あり。しかしほとんど明かりが入らない。
   ・冬は零下16、7度に低下。
   ・ござもない板の間に薄い敷き布団を掛け布団が一枚ずつ。
   ・女性であっても女性としての待遇が受けられなかった。

 

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 MISSION
┣■元患者の声を聴け!

 

 ◆入所者達が受けた差別は終わらなかった。

  1947年
 『プロミン』
  特効薬がアメリカから日本にもたらされ、ハンセン病は治せる病気になった。
  患者達は次々治っていった。強制隔離の法律さえなければ自由になれるはず
  だった。。。


  しかしその法律は形を変えて戦後も施行され、1996年まで残った。
  ※昭和28年8月15日『らい病予防法』公布。内閣総理大臣 吉田茂
    1953年


  皆、年老いていた。彼らを恐れる社会の目も残った。
  今も全国14カ所の療養所で、1700人が療養所で暮らしている。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◇平沢保治さん(88) 元ハンセン患者
  中学生で発病して以来、70年以上もこの療養所で過ごしてきた。


 ◇平沢保治さん(88) 元ハンセン患者  ◇田中裕二爆笑問題
  あー、*感嘆の表情*         初めまして。どうもどうも、
  来て頂いて大変光栄に思います。   あーどうも。よろしくお願いします。
  TVではいつも見させて頂いて   ◇太田光爆笑問題
              (笑)    初めまして。よろしくお願いします。


 ◇平沢保治さん(88) 元ハンセン患者  ◇田中裕二爆笑問題
  私は14歳でハンセン病だと言われて 若い頃なんか特にね、
  「1年で治る」って東大の先生が言う 20代から30代ぐらいの時
  んでね、早く行って治療を受けようと どんな思いで毎日?
  思って入ったんですよ。       ウン。

  そしたらそこは“地獄の先の地獄”でね
  入ったら外へは出られない。        ◇一同、黙したまま悲しげな表情
  死んでも家に帰れない。           ・・・ あぁ。。*真剣に耳を傾ける*
  日本は「家」が中心だから、あそこの家
  「平沢家は“らい”の血統だ」って言ったらね
  (家族は)仕事にも就けないし、子供は学校に
  行っても勉強もさせてもらえない。・・・ だから
  患者も差別を受けたけども、やはり我々は  ◇サヘル・ローズ(女優・モデル)
  家族のことを思って、仮名を使って、     唖然とした表情。
  両親が眠るお墓も、お寺と檀家と反対されて 
  公式にはお墓参りは未だにできないだよ。  ◇田中裕二爆笑問題
                        なんでお墓はダメなんですかね?
  いや、自分のお寺の檀家に「らい病患者」が
  いたってことが檀家の人は嫌なんだろうね。  う~ん。。。

                       ◇サヘル・ローズ(女優・モデル)
  ウチの家内ですぅ。             奥様?あっこんにちは。*笑顔*

 ◇平沢保治さんの妻 範子さん 元ハンセン患者
  どうもこんにちは。失礼いたします。*深々お辞儀*

 ◇平沢保治さん(88) 元ハンセン患者      ◇田中裕二爆笑問題
  65年、、、                もう65年、結婚65年?
  えぇ、(ありがとうございます。)妻     おめでとうございます。


 ◆平沢さんは療養所内で知り合った元患者の妻と
  23歳の時に結婚した。しかしその結婚には条件があった。

 『断種』
  夫婦に子供を作らせない不妊手術。
  その背景にはハンセン病に罹ったことがあると劣った存在であるとみなし
  根絶やしにしようという思想もあったという。


 ◇平沢保治さん(88) 元ハンセン患者      ◇田中裕二爆笑問題
  そうです。                 それでも子供は作っちゃいけないと
  もう本当に若い看護師さん、お医者さんでも  分かって「結婚された」ということ
  ない人にね、犬か猫のように去勢手術をされて ですよね。
  それだけはね、本当に、今でも辛いですけど。◇太田光爆笑問題
                        ・・・ *哀しい表情*
  だから子供達がね、孫を見せられた時ね、
  すごく切ないです。             ここまで至るまでにはやっぱりこう
                        恨みや怒りは原動力としてあった
  ありますよ。                でしょう?
  日本の有数な医学者達は「らい病は治らない」と
  患者だけじゃなくて、家族も断種の対象に
  手錠掛けても療養所に入れろって、
  こういう証言を(医師が)1951年11月8日  ※「3園長証言」
  国会でしたんですよ。            患者の人権確保という観点から
                        全く逆行する発言を繰り返した。

  やはり我々が生きている内に『らい予防法』だけは
  なんとかしなくちゃいかんと。


 ◆強制隔離を定めた『らい予防法』の廃止を求めて、平沢さん達は闘い続けた。

  1996年
 『らい予防法廃止法成立』 廃止が決まった時、闘いは50年にも及んでいた。


  長く続いた“負の歴史”。

  資料館の計画をした平沢さん達に、更なる闘いが待っていた。


 ◇平沢保治さん(88) 元ハンセン患者      ◇サヘル・ローズ(女優・モデル)
  みんなに反対されたんですよ。        ご家族に?
  いや、仲間に。              ◇田中裕二爆笑問題
  なぜかと言ったらハンセン病が終わって    仲間に反対された?
  誰もが忘れかけていると。それなのに    
  昔に遡ってね、いろいろな展示をするのはねぇ◇太田光爆笑問題
  逆行だと。                 またより新たな差別を生むと。
                       ◇田中裕二爆笑問題
                        もう忘れたまんまで、こう
                        通過させちゃおうと。ね。

                ◇太田光爆笑問題
                 僕はその気持ちが全部分かるわけじゃないけども、
                 うんざりするほど経験して、差別や何か偏見や何か
                 俺がもしその仲間だったら、ちょっともうちょっと
  いや、分かるんですよ。    「もう静かに暮らそうや」っていう気持ちも
  だからそれを、        分からなくはない。
  その人達とはケンカしなかった        ◇田中裕二爆笑問題
  んですよ。          あっそう。   そうね。
  それとケンカしたら出来ない
  ですよ。だって少数だもん。  それはじゃあ反対されてももう押し切ったわけ?
  そうです。自分の信念でね。
  で、みんなが
  「いや、平沢はやるっちゅったら
   後ろに下がらねぇからしょうがない」    ◇一同
  んで、協力者が段々段々増えていったんです。  はぁ~そういうことかぁ。*感嘆*

                   ◇太田光爆笑問題
  物事はケンカはしちゃダメなんです。 今ほかにもいろんなね、市民運動がなんか
                    一杯あるけれども、そこでやっぱジレンマに
                    なるのは、対立しちゃってこう離れていく。
                    一方であるってことが、

  ◇黒尾和久 学芸部長 国立ハンセン病資料館
   二項対立みたいになってしまって、それで、

  ◇平沢保治さん(88) 元ハンセン患者
   その基本はね、「敵を味方にする」こと。
   いつの日か分かってくれるだろうと。
   そこでケンカをして怨念を怨念で返したら
   明日はないと。         ◇太田光爆笑問題
   よく考えてね、おたくたちも。   これができないんだなぁ。
                    敵ばっかり作ってるからね。*苦虫顔*

                   ◇サヘル・ローズ(女優・モデル)
   この地上に1回だけ両親から    そのエネルギーの源って、普通に考えたら
   選ばれて選ばれて、奇跡的に    ちょっとあの、下を向いてしまったりとか
   人間として生きてきたと。     苦しいと思ってしまうこととか沢山あると
   らい病、結核、難病であろうと   思うんですけど。
   命には変わりないわけです。

   ハンセン病だってね、どんなに差別を受けても
   人間として生きることに価値があるだ。
   人間は生きようとすれば常に光明はあるんじゃないですか。。。

                   ◇サヘル・ローズ(女優・モデル)
                    すごいでもお二人(平沢夫妻)の生きた証し
                    っていうのも、常に発信してらっしゃるから
                   ◇太田光爆笑問題
   100までやるつもりですよ!   今88だからね、もう。そりゃもぉ・・・
                   ◇サヘル・ローズ(女優・モデル)
   11年と11ヵ月で100歳になる 是非ぃ(笑)
   おたくたちもそれまで人気を・・・  ◇太田光爆笑問題) ※田中も(苦笑)
                    俺もう死んでますよ、たぶんもぉ。(苦笑)

                   ◇爆笑問題の二人
   健闘を祈ります。*握手*      どうもありがとうございました。(笑)*握手*
                   ◇サヘル・ローズ(女優・モデル)
   *握手* こちらの方、誰よ?    ありがとうございました。(笑)*跪いて握手*
   すごくスタイルが良くて      あっ、すみませーん!(自己紹介せず)
   美人だから。           ごめんなさい。(笑)
   おたくたち爆笑の方も元気出るな!◇太田光爆笑問題
   こんな美人と一緒だと。      (大笑)
                   ◇サヘル・ローズ(女優・モデル)
                    嬉しいっ!ありがとうございまーす!*2

 

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 MISSION
┣■療養所エリアに潜入!

 ※平沢さん夫妻も暮らしている。

 ◆現在この療養所エリアに住む元患者は200人。
  ここは高齢化や今も残る偏見から故郷に帰れない人達の“終の棲家”。

  ・長屋造り               お花、野菜など
  ・丹精込めてお庭の手入れがされている。※結構競ってやっているとか(笑)
  ・普通のアパートと同じ造りだが1つだけ違う所がある。
   → お風呂がない。知覚麻痺があるので、熱湯が入っていても分からない。
     病院の方でちゃんと管理をした共同浴場があり、そこに皆さん行く。


 ◆一時期には1300~1400人暮らしている方がいた。
  隔離されている環境だが1つの「村」なので、そうすると
  自分たちの「村」にも鎮守様が欲しいというのが日本人の心情というべきか。

  ながよ
 【永代神社】
  自分達で整地をやって、神輿なんかも作って村祭りを行っていた。

  宮大工をしていた患者たちが建て、本格的な彫刻も全て自分達でやった。


 ◆宗教エリア
  様々な宗教宗派の施設が狭い範囲に建っており、光景としてはとても珍しい。
  「教会」「お寺」それぞれが隣り合っている。
  プロテスタントカトリック、またその中の4つの宗派など建てられている。

  入所した人達は自分たちの「死」を意識しているので
  将来どの宗教で(あの世へ)送ってもらうか考える。

  国立の施設なのに宗教施設がある。ハンセン病療養所を特徴付けている。


 ◆一番重要なスポット
 【納骨堂】
  療養所の敷地の中に墓地がある。「ここで暮らし、ここで死ぬ」ということ。

  2600人が眠っている。骨になっても故郷の墓には入れない。
  それが今も続く現実だ。

  くえいっしょ
  「倶會一處」 いずれ一緒になりますよ。
        ※阿弥陀経で死後、浄土に往生すると、凡夫も聖者たちと
         ひと所に暮らせること。またこの世で死ぬのは別々でも
         浄土で再び会する意にも解される。


  ◇黒尾和久 学芸部長 国立ハンセン病資料館
   連れ添った伴侶であるとか、自分の親友であるとか、もしかしたら
   兄弟もおるかもしれませんけど「いずれ私もそちらへ行くよ」という
   意味ですね。

   平沢さん達は最後の一人になった後もこの【納骨堂】だけは維持して欲しい。
   なぜならばそれは私達がここで“生きた証し”そのものであるから。という
   ことなんです。  ※サヘル・ローズ(女優・モデル)*号泣*

   ということもあって、ここはお花も絶えないんですね。


  ◇サヘル・ローズ(女優・モデル)
   黒尾さんは一番今やっぱり伝えたい世代・私達にどういったメッセージを
   届けたいですか?(泣)


  ◇黒尾和久 学芸部長 国立ハンセン病資料館
   そうですね。若い人達にはまず、例えば平沢さん達のような人達、
   いま老境になって、80歳を生きて、なおそれでもなお自分たちのことを
   知って欲しいと願って生きていると。それをまず知って欲しいですよね。

   あえて言われるのが「無知が偏見を生む」のだということ。
   知った自分は次どうするの? 目の前にそういう人達が現れたとしたら
   どういう言葉をかけてあげますか?っていうことですよね。

 

   「お参りしましょう」 「是非、是非お願いします」


   【納骨堂】前での話に真剣な眼差しで見つめ、思うバクモンの3人であった。


   強制隔離という酷い差別を受けた、元らい病患者の方々へ。*合掌*

 

 

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・MERS騒動で『隔離』という言葉を今また頻繁に使うようになりました。
  もちろんMERSとハンセン病とでは対処が大きく異なるわけだけれども
  誰しもが患う可能性がある『病』について人としてどう向き合うべきかを
  真剣に考えなければいけない時なのかもしれません。


 【厚生労働省
  わたしたちにできること ~差別や偏見をなくそう~
  わたしたちにできること


┗・サヘル・ローズ女史の職歴を検索していたら彼女の生い立ちを知って(驚)
  普段笑顔の絶えない彼女ですが大変な苦労をされてきたようです。涙もろい
  一面を今回垣間見られましたが、これからの活躍に期待したいですね。

  今“ドラマ不況”の日本。女優運気にも恵まれることを祈ります。