日本はなぜ戦争したのか 改めて伺ってみた

2015/08/14(金)<日本はなぜ戦争したのか 改めて伺ってみた>
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*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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  特別版 「日本×戦争 日本はなぜ戦争をしたのか?」
┏┓   <日本はなぜ戦争をしたのか 改めて伺ってみた>
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    明日2015年8月15日で終戦から70年。

   「日本はなぜ戦争をしたのか?」というテーマの最終章として

    今日は答えを探っていく。

 

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┗■日本はなぜ戦争したのか 改めて伺ってみた


 ◇むのたけじ(100) ジャーナリスト ※1915年生、太平洋戦争中、中国などで従軍記者

  あのぉ、これはだから本当に過去を振り返られない将来が見えませんけれども
  【明治維新】で徳川幕府が倒れて、そして【明治政府】が出来た時には外国は
  デモクラシー・ヒューマニズム、今の社会体制に移りつつあった。
  (民主主義) (人文主義

  それなのに日本は移れなくて、憲法を作るのに22年もかかって
  明治22年にやっと【明治憲法】が出来たと。それは何なのかッ !!
  「戦争をやれる憲法」が作りたかったからだと。

  で、そん時に私が、自分が子供時代のことを、幼い時によく考えてみても
  我々幼い時には周りの大人から「朝鮮人は弱いぞ」、「戦をやれば負けるぞ」
  「志那人は弱いぞ」という近隣の国々を馬鹿にするようなことを周りの大人が
  言われるのを注ぎ込んできた。

  そういう意味では明治以後の近代国家を担うはずのリーダー達の中に、
  戦争をやって、朝鮮半島あるいは旧満州・中国の相当の部分を獲らなければ
  日本は生きていけないという、ハッキリその戦争をやるような勢力があったと
  思います。今思えば。それを国民、我々は感じることができなかった。

  国民として本ッ当に、なんかこう勉強不足だったし、だから私の今日の
  この会合出て、ジャーナリストを82年もやって来て初めて勉強させられた
  ことがある。それは何か。今もなぜ戦争をやったのかとあなた仰るけれども
  日本国民は明治からね、ポツダム宣言受諾のあの頃までは、
  戦争というものを自分の実感を込めて考えたこと無かったものな!

  【日清戦争】で勝った、【日露戦争】で勝った、領土獲った、金獲った。
  そしてどなたか仰ったように国内で一切やらなかったものな!そうでしょう?
  だから朝鮮へ行き、中国へ行き、非常ーに悪い罪悪行為を日本の兵隊がやって
  それに対するきちんと詫びなきゃいかんのを、きちんと詫びることが出来なくて
  今、安倍が!ねぇ、内閣でッ !! 今日発表するコレがあれで、もう一度詫びなきゃ
  いかん。これはやっぱりね、政府が悪いの、政治家悪いの、財閥が悪いのだけじゃ
  ないんだ! やっぱり俺ら国民がね、うん、当然、現代人として理解しなきゃ
  いけなかったこと。(涙目) あまりにもね、うかつだったと。

  私は1915年(大正4年)、ちょうど今、甲子園で野球が始まった時から
  生まれて、15年間学校に通って小中高、東京外国語入って、戦争を勉強したこと
  一度もないもんね! それほど日本人の時の政府の中では自分では戦争をやりながら
  国民は戦争は何だと。考えるチャンスを与えられなかったものッ !! *身を起こす*
  そういう国だったってこと・・・  ※時間から話を遮られてしまう。勿体ない。

 

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 ◇渡部恒三(83) 元民主党最高顧問 愛称「黄門様」 ※老いたなぁ。
  これはね(笑)本当に難しい質問になっちゃいますけれどね、やっぱりあの
  先程の私が徳川300年「常に侵さず・侵されず」ね、ウン。来たって話
  しましたね。それから【明治維新】で新しい日本出来るんですねぇ。

  その時にちょっと2、3知ってもらいたいのはね、あの政権返上しますね
  徳川慶喜が。そして平和的に新しい政府が出来たんですけど、その時に
  やっぱり「戦争やりたい」っていうのが一杯いたんですよ。しかし勝海舟
  西郷隆盛が会ってね、あの江戸城はこれ東京焼かないで済んだの。しかし
  その犠牲者が私の故郷・会津なんですよ。やっぱりあの【薩長政権】はね
  やっぱり戦争で権力を獲らなくちゃならない。どっか相手をねぇかって
  いうと会津松平容保公が京都守護職でいろんなことやっている。それを
  持ち上げてね、無理無理、全くあの会津を攻める理由が無いのに無理無理
  理屈を付けて・・・    ◇伊藤利尋 MC
              その流れがあったということですねぇ。※会話遮断
 ◇むのたけじ(100)
  挙手して発言希望するも あっ、ちょっと時間が。ここ一旦切らせて下さい。

              軍政府、国民のね、空気も含めて、
              むのさんが指摘のあった国民の空気を含めて
              戦争に至ってしまった事実を今改めて考えるかって
              ことだと思いますが、このあと今後について
              みんなで考えていきたいと思います。

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・それにしても◇むのたけじ(100) 氏が凄い。元気だし、滑舌もハッキリ。
  訴え方も巧い。さすが82年にも及ぶジャーナリストは伊達じゃない!
  バイタリティーが旺盛なんでしょうね。それが老後に差となって表れる
  ということでしょう。お歳を召されると人間弱々しくなるものですけど
  若かりし頃は鬼のような怖さを内に秘めていたのかもしれません。(笑)

┣・◇むのたけじ(100) ジャーナリストの話に、後席の中韓論客達も納得し
  真剣に耳を傾けていたのが印象的でした。この後にノソノソ登場してた
  石原慎太郎には猛然と噛みつくんだけどね。(大笑) 人格の差だね。

┣・◇渡部恒三(83) 「黄門様」 の指摘は同感です。既に私も同じことを
  述べていたりしますけれど【薩長政権】って豊臣色が色濃く受け継がれて
  いるのか、戦での恩賞を強く意識する傾向が覗えるんですよ。唯一それを
  制止させようとしたのが西郷隆盛で、自らの身を持ってオオカミのように
  獲物を求める【薩長政権】の兵を迎え撃ったのが【西南戦争】であると
  結構指摘されてますよね。で、薩摩は実質滅ぼされてしまいます。
  薩摩の真の男は激減してしまいます。。。(悲)

┗・そんな西郷隆盛の意志を偶然にも受け継いでいたと言われているのが
  私の故郷・山形県庄内地方だったりします。そして昭和の戦中に
  二人の著名な人物が現れるのですが、その人物像の裏表が語られており
  結構興味がソソられております。機会があれば生きている間に彼ら
  望郷の先達を学び・語りたいと思ってます。 今、暇だしね。(^^ゞ