2015/08/14(金)<戦争を止められたかもしれないタイミング1「満州事変~国連脱退」>
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*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。
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特別版 「日本×戦争 日本はなぜ戦争をしたのか?」
┏┓ <戦争を止められたかもしれないタイミング1「満州事変~国連脱退」>
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明日2015年8月15日で終戦から70年。
「日本はなぜ戦争をしたのか?」というテーマの最終章として
今日は答えを探っていく。
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┣■日本は将来戦争をする? あなたはどう考える
◆スタジオ参加者(?) ※録画できていないため不確かです。
50人
Q1.日本は将来戦争をする?
A1.50人中「はい」が6人。
Q2.日本は将来戦争に巻き込まれると思う?
A2.50人中「はい」が43人。
「日本は自ら戦争を起こさないが、
集団的自衛権の関係で諸外国を助けに行き、
戦争に巻き込まれるのではないか。 」などの意見が出た。
◇中野信子 脳科学者
戦争を仕掛ける人は必ずリベンジのためにする。
・戦争に至るまでの年表を振り返りつつ、
番組では「戦争を止められたかもしれないタイミング」を3つ紹介する。
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戦争を止められたかもしれないタイミング
┣<1>
「満州事変~国連脱退」 なぜ止められなかった?
「国際連盟の脱退」しか方法はなかった?
◆日本は当時【南満州鉄道】を運営するなど満州での権益を持っていたが、
一方で中国と睨み合いが続いていた。
【満州事変】
1931年9月18日~
【柳条湖事件】
・鉄道の線路が爆破され、日本は満州にいた中国軍を攻撃し5ヵ月で満州を制圧。
しかし線路の爆破は日本軍の自作自演と判明、中国は国際連盟に訴えを起こす。
国際連盟は満州にリットン調査団を派遣、日本軍の占領は適正なものではないと
結論づけた。 ※ビクター・リットン率いる調査団
1933年2月
・国際連盟の勧告で日本は満州から撤退することを求められたがこれを拒否する。
【満州】の「建国は無効」「日本軍の撤退」「今までの日本の権益は認める」etc.
→ 日本軍が【満州】から撤退したら列強の支配から守れるのか?(松岡洋右など)
その後、国際連盟を脱退し、世界から孤立した。
◇江上剛 作家
まずあのぉ「権益を認める」っていうのは当時、欧米列強は「植民地支配」をして
いる所もありましたから、日本だけを例外にできないと考えたと思うんですね。
満州国の日本における位置付けっていうのは、軍官僚が世界で戦争が起きるかも
しれないと想定されましたから「満州は生命線」と言われてね、そういう意味では
強い位置付けがあったと。
それからこれは今の政治にも通じる話なんですけれども、軍の官僚がこういった
政策を進めてしまった。それに対する失敗を認めることになる。これに対して
国内的にも「立ち位置が悪くなる」というようなことがあったのではないかと
思いますね。
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Q.「国際連盟から脱退する」。大変なことだと思いますが
当時の空気はどんなもんだったでしょうか?
A.
◇むのたけじ(100) ジャーナリスト ※1915年生、太平洋戦争中、中国などで従軍記者
「2つ」流れがありました。
・1つは「国民の心の内側」です。あの鉄道爆破をやった兵隊は東北の兵隊なんです。
そして指揮官は何という名前かというのは、まもなく国民の間に知れ渡って
それは日本人としては“良くない戦争”だと。
それから東北の民衆に「土地を取ってそこへ東北の若者をやって農業をやらせるぞ」
という“誘惑の言葉”がありましたが、それに皆単純に乗る気はしませんでした。
だから一回だけ、私は中学の最上級生ですが満中へ行く兵隊を駅で見送らせられた
ことがあるんです。そしたら兵隊が♪勝って来るぞと勇ましく~と歌うかと思ったら
全然無い! こうして(腕を組み、身を屈めて)シーンとしているの。
自分らが行った後、家はどうなるか?戦はどうなるか?だから国民は心配しておって
“これは駄目だぞ”“大変なことになるんじゃないかな”という、そういう沈んだ
気持ちを持っておった国民は沢山いたッ!と、実在したと。これ1つの流れです。
・けれどももう1つ。そういう気持ちを社会の場で、むろん今日のようなテレビ番組
なんてありもしませんし、全然どこへも言うことはできなかったということです!
当時の日本国憲法は【明治憲法】ですがその中で日本人は国民とも人民とも言われず
臣民と書かれる“家来”なんです。だからある方が「一回やるぞぉ!」と言われれば
コッチは家来で従うしかない。この矛盾の中でね、あの国民の中には
“こんな馬鹿なことやっちゃいかんぞ”という良識はあったと思いますよ。
例えば私が存ずる横手中学校の生徒ですが、外国出の先生が3人居って、同級生が
外国に居って手紙を英語でやり取りしてる彼ら。それを中学校の外国出の先生が
生で読んで下さるの。その書いてある、日本人が書いた英語の手紙の中に
「外務省」と書く代わりに「霞ヶ関バカヤロウ」と。それだけ国民の中で心配して
おったのよ。その声を出す筋道が1つも無かったっていうこと。
「国民は国家の言うことに従わって、命を捨てて頑張るのが善い国民」だと。
「これに背く者は非国民」だ「国賊」だと。だから国民は*シューン*となっちゃった
のよ。“見ざる聞かざる言わざる”がいいなーっていう。本当に今、ここの番組
あの説明を聞きながらね、生きていた人間として“情けねながったなぁ”と思うな。
だから、だから !! 俺はこの番組でこういうことをやらなきゃダメなのよッ!
問題になったら皆でワーワーワーワーやらなきゃダメなのよ。そこからデモクラシー
が始まるのよ。
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◆一方で、歴史の教科書などでは
「賞賛して国民は受け入れた」ような記述があったりする。
・「日本にある権益を守っている」ということで賞賛する。
財界など利益がある人間は賞賛する部分があったと思う。
◇渡部恒三(83) 元民主党最高顧問 愛称「黄門様」 ※老いたなぁ。
今のぉ人達の考えで言えば、こんな馬鹿なことなんで、そんな馬鹿なことしたかって
言うのが常識だって思いますけど、その当時はまた別で、私もまた子供の頃ですがね
やっぱ満州は???(聞き取れず)国民の未来の夢みたいなね、東北の今話された農家
田んぼは小さく、畑は狭く、持っていない者も、満州に行ったら広い田んぼもこんな
畑も持っているんだと、なんか皆苦しい生活をしてきた人達に大きな夢を与える
みたいなところがあったのねー。だからもちろん今考えれば100%間違ったこと
ですが、日本の当時の雰囲気というのはね「さすが松岡、よくやった!」という様な
雰囲気があったことも間違いないねぇ。 松岡洋右 外交官
◇金慶珠 准教授 東海大学
歴史っていうのは「自分の国の視点」から見るしかないわけですよ。
もう少し大きく見れば、簡単に日本というのは当時“遅れてきた帝国”だったわけ
ですね。既に欧米列強の帝国に秩序がある中で、日本は遅れてきて朝鮮半島と満州と
大陸の方を欲しがったわけです。その侵略を、支配をしたかった。
ところが国連(国際連盟)はそれを認めなかったと。
ここで矛盾なのは、日本がその“遅れてきた帝国”でありながらも、その帝国の秩序
に対する的確な判断ができなかった。だからここは何としても戦で戦って日本が強気
に出ればその権益は守れるんだっていう方向にドンドン傾いていった、その始まりの
象徴ですよねぇ。
◆日本は「国際連盟から脱退する」決断をした。
“孤立化を深めた”と今振り返ればそう言われるわけだが、
ただ“戦争を避けられたかもしれないタイミング”はまだあった。
◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
┣・正直低評価されがちの同番組だが、この日まさに番組タイトルに沿った
討論形式の特番が組まれていた。(驚) 残念ながら16時前からの放送分は
録画できていない。前半部分はよそのサイトから拝借させて頂いた。(謝)
┣・生きた証人むのたけじ(100) ジャーナリストの言葉が重い。同じ東北出の
者として同郷(隣県だけど)の先輩の思いがよく伝わってきた。憲法という
現代では半ば蔑ろにされつつあるが、その重要性を深く考えされられる。
長州の流れを汲む者達は【明治憲法】復活を目指しているのだろうか・・・ 。
┗・日本人だけでなく近隣諸国の人達も論客として果敢にも・平等に加えてる
ところは高く評価できると思う。その話のレベルの高さに一般の参加者は
いつ質問が投げ掛けられやしないかと少しオドオドしているようだった。
日本の戦後教育の実態が見事に表されていたように私には見受けられた。(笑)