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なくならない体罰

2015/05/26(火)<なくならない体罰
news every.】 http://www.ntv.co.jp/every/index.html


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓every.キーワード <なくならない体罰
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┣■子供への体罰 今も・・・

 『東京都内公立学校の体罰調査』(東京都教育委員会
  <対象>
   小・中・高など 全2179校
   → 体罰有り     62校
     教職員ら     68人


 ◆悪質な体罰18例とその学校名を公表した。
  http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/2015/pr150521a.html

 

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┣■悪質な体罰の事例


 ◇小学校教員
  児童の腰を蹴り、引き戸に放り投げた上、背中を蹴るなどして打撲を負わせた。


 ◇中学校教員
  バレーボール部の練習試合中に生徒にペットボトルを投げ打撲などを負わせた。

 

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┣■東京都・体罰実態調査


 ◆2012年、大阪市立桜宮高校の男子生徒が体罰を苦に自殺したことが
  調査開始のきっかけになった。


 【東京都教育委員会
  “体罰の抑止”のため学校名などを公表することにした。

 

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┣■体罰を行った教職員らの数()


 ◆2012年 182人
  2013年 122人
  2014年  68人 ※調査後、3分の1にまで減少している。


 【文部科学省】2013年調査によると

  ・言うことを聞かなかったため生徒にペンを投げつけた。
  ・授業中に立ち歩く生徒を叱っても席に着かないため頬をつねって座らせた。

  これらも学校教育法の中では体罰に当たるとして禁止に。


 【東京都教育委員会
 ・去年2014年4月、全公立校に『体罰についてのDVD』を配布。

 ・体罰とは言い切れないものの、子供への暴言など「不適切な行為」も止めるように
  指導。

   例.
     先生「分からない?教えたこと何も覚えてないのね。
        犬の方がお利口さんね。」

 

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┣■子供への「暴力」や「暴言」 法律で禁じる国も


 ◆体罰が法律上禁止の国 46ヵ国 (【セーブ・ザ・チルドレン】より)

 ・学校や家庭を含むすべての場。
 ・体罰だけでなく、精神的苦痛も禁止。


 【セーブ・ザ・チルドレン】ジャパン

 ◇西岡智子マネジャー
  子供の頃に体罰を受けると、大人になって自らも体罰をする可能性がある。

  “負の連鎖”の危険性を指摘。

 

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┗■every.ポイント

  “連鎖を断つ”


 ◇小栗泉 日本テレビ解説委員

 ・小さい頃、悪い事をしたらお尻を叩かれて叱られた。その時叱っている親も
  泣き出しそうな顔をしていて、自分でも本当に悪いことをしたと後悔し未だ
  忘れることができない。

 ・子供のしつけや教育にはそこに愛情がなければ伝わらない。
  負の連鎖を断ち切るためには普段から何でも話をする環境を作ることが大切。

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・事件や事故はどうしても被害者ばかりに目を奪われてしまうが、どうして
  そのような事態に陥ってしまったかという経緯を突き詰めないと、問題は
  一向に解決しない。日本という国は厄介となる根本的な解決を“曖昧”と
  いう安易な言葉・考えでごまかしてきた。その限界点が教育の場でも起こって
  いるのだろう。 「遺憾はいかん」(苦笑)

┣・「授業お構いなしで騒ぐ生徒」「モンスターペアレント」など40半ばの
  自分たちの時代には考えられなかった。行き過ぎた体罰に対して長い年月を
  経て見直されてきたが、その立場がなぜか逆転してしまった・保護者側が
  有利になったというのが現状ではないか? 『訴訟』『賠償』を盾として
  なんだか変な社会となってしまった。

┣・近所付き合いが疎遠な都会の生活では「損をしない」=「図々しくする」
  というまかり間違った実態がある。小さな集まりの村社会では自分勝手な
  振る舞いをした者は“村八分”という厳しい仕置きがあった。そのような
  仕置きがないと多くの人間はこうなってしまうという表れだとも言える。

┗・こうした煩わしさが嫌で、自分のように独り身を選ぶ者が増えているのだと
  私は思う。突き詰めれば「『社会』とは何か」という所まで考えなければ
  ならないのだろう。。。