未解決事件File.04 オウム真理教 地下鉄サリン事件

2015/04/12(日)<未解決事件File.04 オウム真理教 地下鉄サリン事件
【未解決事件】 http://www.nhk.or.jp/mikaiketsu/


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓未解決事件File.04 オウム真理教 地下鉄サリン事件 (再放送)
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┣『地下鉄サリン事件

 ・1995年(平成7年)3月20日 午前8時ごろ (標的地:霞ケ関
 ・死者13名/負傷者6300人

 ◆オウム真理教にとっては「救済計画」の日。悔いの死を迎えようではないかと
  教団内部のラジオ放送で呼びかけていた。

 

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┣■進む“麻原回帰”

 ・札幌の繁華街。『ヨガ体験』と称して【アレフ】の信者が呼びかけている。
  社会に居場所のない若者などを取り込み入信者を増やしている。(約500人)

 ・世にはびこる「汚れた思考」から麻原が唱える「素晴らしい思考」換えよう。
  麻原が「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ」というVTRが今も流される。

 

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┣■知られざる化学テロの全貌

 ・負傷者を分析。霞ヶ関駅よりも小伝馬町駅の方が被害者数が多かった。
  袋の破れが大きかった。後続の電車による風によって気化がより広がった。*拡散*
  ある意味“ガス室”。人を殺す目的で撒いたのが直感的に分かった。

 

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┣■サリン巡る攻防

 『坂本堤弁護士一家殺害事件』
  1989年(平成元年)11月4日

 ◆警視庁(東京都:国内最大の4万人動員が可能)は、早期からオウム真理教を捜査
  していたが神奈川県警にその行動を知られ捜査を中断。“管轄”という捜査の壁が
  立ちはだかった。犯人を逮捕できず。何もしてない「0点」と同じだと悔やむ。


 『松本サリン事件』
  1994年(平成6年)6月27日
  長野県松本市で発生したテロ事件。オウム真理教教徒によりサリンが散布された。
  死者8人、重軽傷者660人。 この事件でサリンの殺傷力を確信。大量生産へ。


 【警察庁】:実働部隊を持たず、捜査の計画立案を全国に指示する。
  サリンの原材料となる薬品をオウム真理教が大量に購入していることを把握。
  「宗教団体が国家転覆を企てる」「しくじれば笑いもの」

  三段階でオウム真理教を追い詰める(強制捜査)

  1.山梨の拉致事件 山梨県警が強制捜査を行う。(まずは奇襲をかける。)
  2.サリン製造が疑われる第七サティアンに、宮崎資産家拉致事件で強制捜査。
  3.松本サリン事件で麻原と幹部の身柄を確保。全ての施設・信者を監視下に置き
    教団を無骸化する。

  山梨・長野・宮崎・静岡・神奈川の混成部隊を結成。1千人規模で上九を攻める。

  「間違っても麻原を殉教者にするんじゃないぞ。」


 ・しかし宗教法人であるオウム真理教への捜査は進まなかった。
  事ある毎に「信仰の自由」を盾に抗議を繰り返していた。
  一歩間違えば「宗教弾圧」だと言われかねなかった。


 ・実際にサリンがどれくらい作られているのか暗中模索。行動パターンも読めない。

 ・1994年10月 第七サティアンからの異臭、周辺の草花が変色。
  土壌からサリン物質を検出。決定的な証拠を掴む。

 ・この時点で購入した薬品の量からサリン製造能力を試算してみると・・・
  国民の5分の1が、全死または反死する量だと驚く。


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 ◆地下鉄サリン事件の4ヵ月前(1994年(平成6年)11月25日)
 ・即強制捜査を訴える声も上がったが、
  奇襲だけで終わらせることなく、長期持久戦が必要となる。
  5つの県警を調整して1千人規模の体制を組むのは簡単ではない。
  麻原は説法の中でハルマゲドンは来年秋だと言っている。まだ時間はある。
  またどんな武器を教団が隠し持っているのか、事前に調べることは山ほどある・・・


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 ◆地下鉄サリン事件の3ヵ月前(1994年(平成6年)12月15日)
 ・國松孝次警察庁長官を交えての会議。
  終末思想を持つ団体の集団自殺の恐れ、また捜査に対する反撃の可能性を示唆。
  その際にオウム真理教が猛毒のサリンを使用する可能性が高い。そうなれば
  “警察の限界”を超える。と直訴するも、具体的根拠に乏しく、引き続き
  実態解明を進めるだけに留まった。


 ・そうした中、メディアに警察の動きが露呈。オウムが知ることになった。
  1995年元旦に新聞紙面一面で報じられる。
  1995年1月17日 阪神・淡路大震災が発生(全国の警察が被災地に総動員)

  “幻の奇数計画”となり、大幅に見直される事態となってしまった。


 ◇サリンを製造した元信者
 ・ハルマゲドンを実現させるため、70tを製造するつもりだった。警察の
  強制捜査が入ってバレた場合は、その場でサリンを撒いて全滅させる計画もあった

 ・元旦に新聞で報じられた直後、急遽サリンプラントを神像で隠蔽。
  全てのサリンを廃棄していた。


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 ◆地下鉄サリン事件の20日前(1995年(平成7年)2月28日)

 ・オウムから家族を奪還しようとしていた假谷清志さんが警視庁の管轄下、
  都内の路上で拉致された。警視庁がオウムに踏み込むことができる事件だった。

   “警視庁vsオウム”戦争のはじまり


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 ◆地下鉄サリン事件の13日前(1995年(平成7年)3月 7日)

  “警視庁vs警察庁”強制捜査を急ぎたい警視庁、全体像で掴み取りたい警察庁

   追い詰められたオウムがサリンを撒かれることを警察庁としては恐れている。
   ゆえに一挙に全国施設を押さえる強制調査でなければならない。


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 ◆地下鉄サリン事件の 5日前(1995年(平成7年)3月15日)

 ・マスコミに假谷さん拉致事件がオウムだと当てられた。
  新聞に書かれるまでに直ちに強制捜査に立ち入らなければならない。
  ただし警察庁からは強制捜査をするならば、必ず上九一色村も同時に手を入れろ
  と言われている。同時に行うには“オール警視庁”でなければできない。

 ・警察庁としては假谷さんの生命が大事だとは分かるが、
  ガスマスク・銃器・対弾性の盾など全く整っていない状況では無謀と判断。
  サリンが撒かれて警察官がバタバタと倒れたら、警察自体、組織が潰れてしまう。

 ・当時の警察は『化学テロ』対策が不十分だった。ガスマスクなど自衛隊から
  借りるには時間が掛かった。


 ・これらのことから強制捜査の着手は、3月22日に決定となった。


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 ◆地下鉄サリン事件の 2日前(1995年(平成7年)3月18日)

 ・しかし警察の強制捜査の動きを知った麻原は、車中で幹部達と対策を練る。
  今度は地下鉄にサリンを撒くことでパニックを起こせる、と実行に移した。


 ・警察は予定されていた22日になって強制捜査に入った。
  事件には間に合わなかった・・・


 ・警察庁は情報を収集し、集約して分析しなければいけなかったが
  残念ながらそこにまで至らなかった。

 

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┣■20年目の真実

 ・強制捜査で逮捕後、麻原は沈黙したまま・・・

 ・サリン事件について『被害者へのアンケート』回答の約9割が
  「事件は終わっていない」と答えた。


 ◇オウム裁判を担当した元裁判長
 ・事件全体は(麻原の)弟子達の証言によって把握することができた。
  しかし麻原が沈黙したことは、社会の大きな痛手だと考えている。

  「最後の突き詰めたところがどうだったのか分からないまま終わっている。
   後の世に教訓となるような、本当の意味での裁判にできなかったのは大変残念」

 ・初公判の半年前、元裁判長は麻原を特別に呼び出していた!
  この時麻原は「自分はこの裁判に一生が掛かっている。」と口にした。
  事件に正面から向き合う可能性は十分にあると思っていた・・・

 ・逮捕まもない麻原は饒舌だった?
  『接見報告』によれば、各事件に関して自らの主張を述べている。

 ・『地下鉄サリン事件』に関しては、警察の動きを知った弟子達に押し切られたと
  判決の認定とは異なる主張をしていた。村井にサリンを撒くしかないと言われたが
  神々が嫌がっていると否定。しかし教団がつぶされる、私(村井)が責任を取ります
  というので「じゃあ任せるわ」と応じた。


 ◇元弁護団の1人
 ・(麻原は)事件について「事実はこうだ」とかなり話していた。


 ・裁判が進むにつれて発言は後退していく。自分は共謀しておらず、責任はないと
  主張し始めた。私は眠った。事件は一切知らない、と言うようになっていった。
  最後に何も語らなくなった。


 ◇無期懲役刑が下された元側近
 ・「弟子に対して解脱、悟りを与える。そのために自分が存在している」としきりに
  言っていたのに「(弟子が)完全に敵対するようになった時点で、弟子を育てる
  気持ちがなくなったのではないか」。失敗したということ。「もういいわ」と
  しゃべる意義をなくした。


 ・8年間、1300時間に及んだ麻原の裁判だったが、真相が語られることは
  なかった。

 ・死刑囚・麻原が収容される東京拘置所周辺には、麻原に近づきたいという
  アレフの信者たちの姿が見られる。


 ◇元アレフ信者の女性
 ・世間がグル(麻原)の力とかスゴさに怖じ気づいたり、日本を支配されかねないと
  陰謀を作って、事件をグルのせいにしていると【アレフ】では言っていた。


 ・被害者その関係者たちにとっては20年経った今も、死ぬまで終わることはない。

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・【オウム真理教】『未解決事件File.02』では信者の心情を中心に教団側から、
  そして今回の『未解決事件File.04』では警察側から事件そのものを詳細に
  取り上げていた。

┣・それら膨大な資料を掻き集められる【NHK】の取材力に驚くとともに
  改めてだからこそ【NHK】には報道メディアの姿勢を常に正し、省みて
  行動して欲しいと思う。いつになったら取り上げられる?『NHK受信料』
  適正料金だと言えるのか? なぜ皆保険のように徴収できないのか? 
  衛星放送など3本も必要だったのか? 大リーグ中継に放映料何百億円?
  「放送法の見直し」も未解決事件と言えないだろうか・・・

┣・【オウム真理教】に関しては、職場の近くに『オウムショップ』があって
  近隣住民から立ち退きを迫られて、夜に引っ越している様子を見た覚えが
  あるのだが、カラフルな衣装を着た若い女性がとても多かったのが印象深い。

┣・若い女性に惹かれて入信した者も多かっただろうと推測できる。当時は
  バブル崩壊で就職難。とくに若い女性は大変だった。そうした状況下では
  心のよりどころを求めて宗教へと走ってしまうのは、いつの世も、どこでも
  同じなのだと思う。データ派で物事きっちりとしていないと気が済まない
  自分でも、同じような過ちを犯してしまう可能性はあるのだろうか ??

┗・突っ込みどころ満載の未解決事件だが、それがあまりにも多すぎる。(苦)
  自己を確立するって難しいことだけど、私自身プーたらけてますが(苦笑)
  安易に他人を信じる怖さを少しは持たないとね。警戒しっぱなしの人生も
  寂しいものがありますけれど。