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『ハンセン病』 隔離された法廷と司法の責任

2016/04/23(土)<『ハンセン病』 隔離された法廷と司法の責任>
報道特集】 http://www.tbs.co.jp/houtoku/

www.tbs.co.jp


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓特集  <『ハンセン病』 隔離された法廷と司法の責任>
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         長年差別されてきた『ハンセン病』の患者達

   かつて彼らが罪に問われた時、裁判は隔離された療養所内で行われていた。

    これが「裁判の公開」を定めた『憲法』に違反するとの指摘を受けて


  【最高裁】は検証を進めており、来週月曜日2016年4月25日に結果を公表する。


           司法による「人権侵害」に迫った-

 

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 『ハンセン病
┣■隔離の歴史


  岡山県瀬戸内市
 【長島】
  瀬戸内海に浮かぶ島。
  この島には国の政策で“強制的に隔離された”人達の施設が2つある。


  岡山県瀬戸内市
 【長島愛生園】

www.nhds.go.jp


  『ハンセン病』から回復した達が住む【療養所】。
  そこに住まれる方々の平均年齢は「85歳」に迫っている。


  ◇療養所スタッフ 男性     ◇施設の住人 高齢の男性
   フォークの角度はよろしいか? いいですよ。
   うん。*笑顔*         今が一番いいから、もう他のモノはよう使えんし
   アァ・・・            よう使わんし・・・ *モグモグ*

                 ※病の後遺症を抱えた男性。右手指が5本とも無い
                  輪っかの付いた特別なフォークを手の甲で挟めて
                  食事をしていた。


 ・2つの【療養所】に今も「300人余り」の回復者が暮らしている。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆かつて『らい病』と呼ばれていた
 『ハンセン病
  病の元となる『らい菌』をノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンが
  1873年に発見した。この菌によって、主に皮膚や末梢神経が侵されていく
  慢性の感染症。ただし感染力は極めて弱く、発症することはごく稀とされ
  治療法も今では確立されている。

  キッズページ|国立ハンセン病資料館

www.nippon-foundation.or.jp


 ・しかし【日本】では患者が過酷な差別と偏見に苦しめられてきた。


   2010年当時のインタビュー
  ◇ハンセン病の女性患者 ※井上陽水ばりの黒く濃いサングラスを掛けている
   ハンセンを病んでいる者は「人間扱いじゃないな」という、何かにつけて
   そのね、それぇは・・・ 感じてましたね!

  ◇ハンセン病の男性患者
   バスに乗るのを拒否されたとか、食堂に入るのを拒絶されたとかね-


  1940年(昭和15年)
 『患者の強制収容』
  差別と偏見の原因となったのが
  医学的な根拠がないままに、患者を「終生隔離」とした【国】の政策。

  一人残らず【療養所】に送り込もうと“無らい県運動”が全国で行われた。


  1935年(昭和10年)頃
 『療養所での強制労働』
  療養所内ではあらゆる自由を奪われた上、子供を持つことも許されなかった。

  ※映像から、まさに自給自足のために井戸掘り(大半が女性)を行わせられたり
   炭坑労働など強制されていた模様。


 『断種手術』
  結婚する際に義務付けられた。1992年(平成4年)まで行われ続けた。
  女性にも「堕胎」が強いられていた。


 ・世界に類を見ない“非人道的”な政策。 故郷を追われ、家族とも引き裂かれた。

 

  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆“隔ての島”と呼ばれた

  岡山県瀬戸内市
 【長島】
  1983年(昭和58年)まで橋は架かっていなかった。※本州中国地方と目と鼻の先にある
                         手漕いの渡し船でのみ行き来?


  岡山県瀬戸内市
 【長島愛生園】
  ◇宇佐見治さん
   社会からはゴミだから捨てられたわけよ、島に。。。“ゴミ”として。
   国が否めるゴミとして。細菌の付いたゴミだから。

   感染の有無に関わらず「ココで殺そう」という政策ですからね。


 ・まさに“島流し”だった-

  当時は“冷たい視線”が容赦なく患者に浴びせられた。


  1983年(昭和58年)当時のインタビュー
  ◇漁業関係の女性
   汚いでしょうがなもう。
   ここに橋が架かるんだったら、全部帰ってもらったらいいんでしょ?
   そうせなアンタ、隔離してる甲斐が無いがないでしょ?

   ※顔は伏せられていた。優しそうな口調だが言っていることは人種差別そのもの。
    つい30数年前まではこうした考え方が一般的だったのだろうか。(悲)


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆もう1つの『ハンセン病』療養所


  岡山県瀬戸内市
 【邑久光明園】
  今でこそ社会との交流が盛んだが、
  多い時には「1千人以上」が隔離され社会から排除されていた。

www.nhds.go.jp


 ・実はココで、ある“特殊な裁判”が行われた-

  ◇望月琢郎さん(88)
   いわゆる“絶対隔離”というのをやっぱり具現した裁判だろうね。恐らく・・・ ウン
   裁判風景としてはねぇ。ウン。


  ・患者だった望月さんは、その裁判の傍聴を当時“特別に”許された。


  1953年(昭和28年)
 『園内で起きた賭博傷害事件の裁判』
  逮捕・起訴された入所者の裁判。
  いつも集会所となっている建物【恩賜會舘】で開かれた。※十字。
                             キリスト教会風の建物。

 ・望月さんは“強い違和感”を覚えたという-

   裁判の傍聴を許された
  ◇望月琢郎さん(88)
   約40畳敷きの広さでね、ウーン、そこで行って、、“特殊なケース”として
   扱われたなという、そういう思いはありますわね。

   ウーン、やはりそりゃあ「畳敷きの法廷」なんて、おおよそ法廷らしからぬ設え
   じゃないですか? だからやっぱりもう少し、やはり普通の法廷でね、裁かれて、
   然るべきだったかなという、今そういう思いはありますけどねぇ。(悲)


 ・社会から閉ざされた【療養所】での裁判。

  ◇山本英郎さん(76)
   本当に「伝染する」とまだ思っていたのがいるという、ね?
   だからほとんど伝染しない病気なのに、そういうような扱い方?をやってきた。

   あのぉ「やむを得んかったのか」、ね? 

   本来はいろんな裁判所で、地裁なら地裁でやるべきだったんではないの?-


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 Q.【療養所】で行われた裁判とは?

 A.
  ・国立療養所【菊池恵楓園】社会交流会館が提供した写真から

www.nhds.go.jp

   木の机を並べただけの急ごしらえの法廷。
   背を向けているのが裁かれている患者。
   裁判官の後ろにはガラス戸。窓ガラスからは覗き見る人の姿もある。
   明らかに普通の法廷とは違う風景。  ※建物脇の屋外で行われている。


   熊本県合志市
  『ハンセン病』国立療養所
  【菊池恵楓園】

  ・昭和26年から27年に行われた3つの裁判をハッキリと覚えている。
   裁判を目撃した
  ◇長州次郎さん(88)
   2m以上の高さで、あのぉ目隠しをするような形で、あのぉ幔幕がズーッと
   張り巡らされて、おったですね。           ※式場での横に長い幕

   それであのぉ、中に入ることのでけん! そして見ることもでけん! -


  ・同じくここで暮らす回復者
   裁判を目撃した1人
   幕の外に漏れてくる「やり取り」などから“ずさんな”審議だったと証言する。
  ◇杉野芳武さん(85)
   本当はしっかり弁護せないかん立場の人がね、まあいかにも早く・・・ 解決・結末を
   付けようというような語りでな、むしろいさめるというか、そういう風な言葉が
   あったからね・・・ まあ「早く白状した方がいい」っていうか-


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   熊本県合志市
  『ハンセン病』国立療養所
 【菊池恵楓園】
  園内で行われてた裁判には冤罪の可能性が指摘されているものもある。


  1952年(昭和27年)
 『菊池事件』
  熊本県で起きた殺人事件。
  『ハンセン病』患者とされた男性が、県に通報した役場の職員を恨んで殺したとして
  逮捕された事件。男性は一貫して無罪を主張していた。

  菊池事件とは?

www.asahi.com


  『菊池事件特報』1969年2月1日付より
   F氏を救う会


  ・「さらに多くの人々に」 F氏を救う会副会長

    人間の生命を、戦争でもないときに、人間みずからの手で断つということは、
    それが決定的な犯罪をおかしたものの場合でも、十分にといただされた上で
    なければ行ってはならない。-


  ・獄中のF被告の顔写真が掲載され、その下に

   獄につながれて八年、素朴な農夫の顔は失われない。
   文盲だった彼は独学自習して馬ではすぐれた誌や短歌を書く。


     小さなのぞみ

     押し鮨のように
     狭苦しい箱の中に
     閉じ込められて
     消えかけた命を
     今日もまた引きずってゆく

     ああ・・・・・・
     わずかな空地でいい
     腹の底から
     「馬鹿野郎」と
     大きな声が出せるところがほしい


  ・母のねがい

     母   さんの訴え

     私はFの母でございます。
     Fがいつもお世話にばかりなって誠に申訳ありません。
     Fのために救う会の人達にいろいろと御尽力頂きまして、
     どんなに喜ばしいことでしょうか。

     私は死刑にまでなるような悪い子を生んだはずがありません。
     自分の子供が死刑になるということは母親にとって、どんなに悲-

 

  『新・あつい壁』※菊池事件の裁判を再現した映画

    新あつい壁

 

   ◇F氏
    殺しちょらんッ !!

   ◇裁判官
    貴方は-

   ・白い布を纏った裁判官(3名)

    検察官、弁護士らも白い予防着、かつ、手袋、長靴という姿。
    そして長い火箸などで証拠品を扱っている。

   ◇検察官
    裁判長! ※火箸で証拠品を掴みながら
    これはダイナマイト事件の犯行現場にあった遺留品と同じ物ですが-


   ・一般の人が誰でも傍聴できる状態にない『隔離施設』での裁判だった。

www.christiantoday.co.jp

 

  『隔離施設』での裁判は
  「裁判の公開」を定めた憲法に違反するのではないか、と指摘されている。

   裁判所の外で開かれる『特別法廷』は、災害で建物が使えない時などに限り
   認められる。

   しかし、過去に開かれたほとんどが『ハンセン病』を理由としたものだった。

                   ※1948年~1972年(昭和23年~昭和47年)
                    「95件」も『特別法廷』が行われている。


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 『特別法廷』を許可したのは
 【最高裁判所

 Q.“法の番人”までもが「差別」に荷担していたのか?

 A.
   1957年8月24日【西日本新聞】(?)紙面より
   「上告棄却、死刑が確定 熊本の殺人ライ患者」

   F氏の死刑判決に愕然とした
  『菊池事件』の被告F氏と何度も面会した
  ◇志村康さん(83)
   実際にね、あのぉ「記録も若干残っとる」と。で、それを読みますと
   弁護士が弁護していないと。

   「他に言うことありませんか」という裁判長のね、問い掛けに
   「何もございません」と言う。弁護を全くしていない!*何度も頷く*  ※車椅子

   そんな“デタラメな裁判”の中で「刑が確定している」-

 

  ・被告F氏が書いた手紙      ※達筆です


    故郷をはなれ、八年の歳月を私は
    ライなる故に無実な罪を負い
    医療刑務所の獄房に自由を束縛され、
    出られない 動かれない
    私は小さな夢と希望を・・・・・・・・
    心にいだいて
    体は拘禁されても魂は自由であり、
    あく迄も身の潔白を主張し斗う
    心境は今でも変わりはない

    只カナリアの??の声だけが私の耳にのこる
    淋しくもあり、悲しくもあり・・・・
    拾年・・・ それに加へて死刑の刑は惨酷だ
    ??そうして偏見、野?的な
    強制の弾圧には慟哭せざるをえません
    私は死刑台に昇るまで無実を叫び、
    血のかれるまで叫び続ける事でしょう。
    春はまだ遠い道は苦難である
    -  を出せと自分に
    -  に云い聞かす

 

blog.goo.ne.jp


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  熊本県合志市
 『ハンセン病』国立療養所
 【菊池恵楓園】
  園内には『特別法廷』で裁かれた人を収監する
 【菊池医療刑務所】まで造られた。
  分厚い壁の高さは3mもある。

  藤井慶峰ブログ 菊池医療刑務所

  ◇太田明さん(72)
   【国】の“見せしめ”的な意図もあったんじゃないでしょうかねぇ。

   そうです。ここに収監する・患者全てに
   「悪いこと」をしたら、あるいは「園から無断外出したら」
 
   “こういう目に遭うんだよ”ということへの、いわゆる『隔離政策』の
   『らい予防法』の、やっぱり一面をですね、垣間見るような感じですよ
   厳しい面をねッ!(怒)

患者専用、菊池医療刑務支所 保存要望を国「たらい回し」 「差別の象徴」野ざらし状態に /熊本 

 

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 『ハンセン病
┣■「人権侵害」を放置した国


 ◆「隔離された法廷」「療養所の中の刑務所」

  『ハンセン病患者』の人権侵害は実は戦前から連綿と続けられてきた-


  岡山県瀬戸内市
 【長島愛生園】

  1986年(昭和61年)
   同入所者
  ◇島田等さん(故人)
   島田さんが残した数多くのテープには、体験者の貴重な証言が記録されている。

   「逃走した時、そのぉ途中で捕まって、
    (長島)愛生園に戻されたんでしょ?
    それで一応【監房】へ入れられて。5人とも入れられたわな。そうやろ?
    そんでその2人だけ【草津】へ送られたわな。」

   「そうそう。凍えて死んだわな。」 「ウン。。。」

   「その園長命令で「【草津】に送るぞ」と言うたの。」「あぁ、そう・・・ 」

     ◇光田健輔 初代園長 長島愛生園
      ※横顔だけの映像が映し出された。 田中角栄っぽいごつい体形の強面風。

 

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 ◆患者が恐れた“草津送り”


 ・入所者の間で恐れられた“草津送り”

  群馬県草津市
 【栗生楽泉園】
  同市内に設けられた「懲罰施設」。“重監房”に身柄を送られることだった。

www.nhds.go.jp


 ・戦争の足音が近づく中、「祖国浄化」の思想の下
  『ハンセン病患者』は国賊として扱われた。

  療養所の秩序を乱すとされた患者は、園長のさじ加減一つで
  「重監房」に送ることが許されていた。         ※独裁者ですね。


 【草津
  真冬には「マイナス20℃」にもなった。

  ここに送られること自体がまるで「虐殺のようだった」と入所者は証言する。

  ※1945年(昭和20年)にはあった「重監房」も今は跡地に石碑が建てられているだけ。
                        開園50周年 1982年10月29日建立


   2002年当時のインタビュー
   「重監房」への飯運びをした
  ◇鈴木幸次さん(故人)
   ここで、平気で、いわゆる「虐殺!」
   この中で凍死した人は、布団が剥がされないっていうんだよ。凍りついちゃって。
   それをスコップなんかでこう*ガリガリ*やって、ようやく剥がして
   【長島】から3人とか4人とか連れて来て、殺されたのと同じように
   「見せしめ」なんですッ!


 「重監房」
  1938年(昭和13年)~1947年(昭和22年)
  8部屋の監房が造られ、9年間に「93人」が全国から送り込まれて収監された。
  この内15人が死亡。さらに8人が監房を出た後、力尽きて死んでいった。

 

  群馬県草津市
 【栗生楽泉園】
  園内には【重監房資料館】が設けられ、復元されている。

       ※注射器や薬瓶などの当時の道具を見たり
        復元された監房の中に入ることができる。

sjpm.hansen-dis.jp


  「特別病室」と書かれているが
   その入り口の「高い壁」が病室とは“名ばかり”なことを気付かせる。

   2014年インタビュー
   収監された人に食事を運んでいた。70年前の体験を話せる今では唯一の語り部
  ◇佐川修さん(85)
   本当に“日本のアウシュビッツ”ですね。
   もう罪の無い人達を調べもしないで、もう法を無視して何をしても入獄させて
   もうとにかく「お前達は国のためにならない人間だ」と。
         「1人でも1日でも早く死んだ方が国のためだ」というような感じで

   中の人のね、顔が見えないんですよ。明かりがないから。 ※軒下の通気口
   電気も全然、付いてないし。
   400日近く入れられて、まあ亡くなった人は、亡くなる2日くらい前から
   もう「カラスが迎えに来た!カラスが迎えに来た!」ってエライ騒いでて、
   もうその2日後には、まあ亡くなってて。

   もう数日で頭がおかしくなっちゃう! もうおかしくなって・・・

   『隔離撲滅政策』をやるためにコレを作ったんだと。
   象徴的ですよ、コレ。まあもう地獄ですね、ホントにね-


 ・戦後「基本的人権」を謳った『憲法』の制定で「重監房」は廃止された。

  しかし『隔離政策』は『らい予防法』の下、20年前まで続けられた。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 『らい予防法』
  ハンセン病患者の「強制隔離」を定めたもの。

 ・1996年(平成8年)まで「89年間」も続いた。

  ハンセン病に関する主な出来事


  ◇菅直人 厚生相(当時)
   大変ご苦労をお掛けしたことを、
   心から本当にお詫びを申し上げたいと思います。*一礼*


 ・【国】は『らい予防法』の見直しが遅れたことを謝罪した。
  そして過酷な「人権侵害」の原因となった法律は廃止された。


  2001年(平成13年)
 【熊本地方裁判所
  15年前には国賠訴訟で「『らい予防法』は憲法違反」という判決が出され
  【国】は控訴を断念した。
              ※時の総理大臣・小泉純一郎が原告らと固い握手を交わす

www.excite.co.jp


 ・また【国会】も元患者に与えた長年の苦痛と苦難を謝罪し
  「名誉回復」と「救済」を約束した。

 

 

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 『ハンセン病
┣■「隔離された法廷」と『司法』の責任


  2015年11月
 【岡山県岡山市

  ハンセン病「特別法廷」の問題を考える
    ~最高裁の“検証”をチェックする~

     主催 岡山弁護士会

www.okaben.or.jp


  国賠訴訟で違憲判断を勝ち取った
  ◇徳田靖之 弁護士
   【最高裁】が未だに非を認めていないことが今も残る差別と偏見の根幹だと訴える

   この問題はですね、【裁判所】が

   「憲法の守り手であり、人権の砦であるべき裁判所が
    『ハンセン病』と疑われた人は日本国憲法の適用を受けません」

   ということを示し続けたということです。


   この問題の解決なしにはですね、
   『ハンセン病』の『隔離政策』からの最終的な開放はあり得ないということです。

 

  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 『プロミン』
  1952年(昭和27年)頃
  戦後まもなく特効薬『プロミン』が登場し『ハンセン病』は「治る病」になっていた

  にも関わらず【最高裁】は20年以上に渡って「特別法廷」を認め続けていた。


 ・検証のための
 『有識者委員会』
  「特別法廷」は差別的で憲法違反の可能性が高い、と指摘した。


  週明け 2016年4月25日
 【最高裁判所
  報告書を公表する。

  「憲法に違反していた」と【最高裁】が認めることを回復者達は願っている。

  裁判所|ハンセン病を理由とする開廷場所指定の調査に関する有識者委員会


  ◇志村康さん(83)
   「法の下の平等」っていうね。裁判権というものに対するね。「法解釈」。
   その“憲法の番人”がその「法解釈」についてね、何も触れないということはね
   あってはならないと思う。-


  ◇望月琢郎さん(88)
   遅いッ!(怒) それはやらないよりはマシですよ、検証を。だけど、遅いですよぉ
   入所者の数というのは実際にはもうドンドンドンドン少なくなっている。
   【愛生園】でもやがて100人だと。かつて1千人を超えた時期があるでしょう?

   で、そういうことから考えるとねぇ。やはり、あまりにも、遅いですよ!ウゥン
   やることが(検証が)。


   「特別法廷」の違憲性を10年以上も前から指摘している
  ◇内田博文 教授 神戸学院大学
   憲法上の問題に踏み込んで頂きたいと。
   それを我々は入所者の方達を「憲法の埒外に置く」という風な、
   そういう過ちを犯したんだと、率直に認めて頂きたいと。

   で、その上で「名誉回復」とかですね「被害救済」を図って頂きたい。
   具体的に言えば、入所者の方達が・あるいはご遺族の方達が望めばですね
   そういう「特別法廷」の下でなされた刑事裁判についてもう一度見直して
   再審をして頂きたい。-

 

╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┗■スタジオにて


 ◆隔離された法廷と司法の責任


  ◇膳場貴子 MC
  (療養所・入所者の)人権かこんなに踏みにじられてきて、
   しかも【国】が政策的にそれを行ってきたっていうのは本当に重いことですよね。

   まっだから、どんなに時間が経ったと言っても当時行ってきたということを
   ちゃんと「検証」しないといけないと思うのですが、

   あの月曜日2016年4月25日に【最高裁】が開く会見。
   どういった内容が予想されますか?


  ◇米澤秀敏 記者 RSK山陽放送
   ハイ。あの去年2015年から『有識者委員会』が「検証」をしていますけれども
   既に「特別法廷」は「差別的で憲法違反の可能性が高い」という話は、
   まあ指摘はされているんです。

   で、これを受けて【最高裁】は「謝罪をする」見通しです。

   ただ、ご覧頂いたような『ハンセン病』の人達に対する人権侵害の歴史という
   ことに関しますとですね、やはり「特別法廷」の問題なども長年に渡って放置
   されてきた。これは“負の歴史”なわけですよね。これに目を背けることなく
   「憲法判断」に踏み込むのかどうかというのは一番注目されていますが、

   回復者の皆さんも是非これに踏み込んで欲しいと。
   で、審議が歪んでいたのであればやり直して欲しいと。

   そういう強い願いがあります。ハイ。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  ◇日下部正樹 キャスター
   『らい予防法』というね、“非人道的な法律”が
                戦後しかも平成の頭まで生き残っていたということは
   本当に信じられない思いなんですけれども、

   長いこと取材して今感じることというのは何ですか?


  ◇米澤秀敏 記者 RSK山陽放送
   多くの方がこういった“負の歴史”をご存じないですよね。
   で、それはハンセン病の人達を長年押しやってきた歴史があって、
   それを無関心のまま放置してきたという【国】だったり「社会」だったりという
   私達の責任もあると思うんですね。

   で、問題は長引いて「検証」しようにも遅れる、語れる証言者の方っていうのは
   本当に少なくなってしまって、で「遅い」という声がありましたけれども
   それはあの「歴史を繰り返して欲しくないんだ」という回復者の方のメッセージ
   だという風に思います。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  ◇膳場貴子 MC
   あのVTRにあった熊本県の【菊池恵楓園】。
   今回の震災(『熊本大地震』)で被災してしまったようですけれども?


  ◇米澤秀敏 記者 RSK山陽放送
   そうですね。取材は震災前に行ったんですけれども、あの聞きますと
   ライフラインが少しずつ復旧しているということですので、被害が大きかった
   ということです。あの回復者の皆さんにとって“光”となるような【最高裁
   の判断を週明けに期待したいと思います。

mainichi.jp

www.nhk.or.jp

 

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・『ハンセン病』に伴う社会問題を取り上げるのは今回で2度目となります。既に
  【最高裁】による判断「謝罪」は出ておりますが、一部は非を認めて深々と謝罪は
  したものの、残りはまた先送り・時の経過を待つような具合に終わってしまいました

  これでは多くの国民の支持を得られません。元々そんなの期待していないのか?(悲)

www.huffingtonpost.jp


┗・【日本】には【日本】なりの「汚いやり方」が存在しているわけで、それを許さず
  糾すのがメディアであり、我々庶民の監視の目です。『熊本大地震』では過剰すぎる
  戒め・中傷が問題になっておりますが、こちらの方面へ目を向け攻撃する輩が少ない
  のは、やっぱり単なる目立ちやがり屋なんですかね? 【国】や【最高裁】などを
  相手にした方がやりがいもあると思うのだけれど。*失敬*

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  ウゥゥン、こ、腰が痛い。。。