2016/02/06(土)<史上最悪の感染拡大『エボラ』闘いの記録>
【NHKスペシャル】 http://www6.nhk.or.jp/special/index.html
*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。
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┏┓NHKスペシャル
┃ <史上最悪の感染拡大『エボラ』闘いの記録>
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胸元から背後に掛けて毛が白い・全身真っ黒ではないカラスが墓標の上で鳴いている
大地に並ぶ無数の墓標
眠るのはあるウイルスに感染し、亡くなった人々
『エボラウイルス』
致死率は最悪「90%」にも達する。
一昨年2014年から【西アフリカ】を中心に感染が拡大
初めて大都市でウイルスが広がった。
感染者「2万8千人」
死者 「1万1千人」
史上最悪な“感染爆発”が引き起こされた。
なぜ『エボラウイルス』がここまで広がったのか?
感染者1人1人をデータ化。感染爆発の全貌が明らかに。
感染の連鎖を辿ってい行くと、一つの小さな村に辿り着いた。
シエラレオネ東部にあるクポンドゥ村
この村で発生した集団感染が爆発的流行の始まりだった-
異変をいち早く察知し、感染拡大を食い止めようと闘った医師がいた
ウマル・カーン医師(39)
感染源を突き止め、患者を隔離
ウイルスの大都市への侵入を抑え込もうとした
「私達は今『エボラ』の脅威に直面しています」
「もちろん、私も命を失うのは怖いです。
しかし、闘うことを恐れてはいません。」
世界が感染拡大に目を向けない内から警告を発していたカーン医師。
しかしその訴えは国際社会へは届かなかった-
孤独な闘いの中、自らも感染し命を落とした。
「感染の拡大は止めることができたはずです。
国際社会の支援があれば自体は違っていたでしょう。」
先月2016年1月14日
【WHO】世界保健機関は「終息を宣言」。
しかし再び感染者が見つかるなど『エボラ』の脅威は去っていない。
「ウイルスとの闘いは終わっていません。
エボラが再び現れる危険性はまだあるのです。」
史上最悪の感染爆発。その最前線で何が起きていたのか?
1人の医師の『エボラ』との闘いを見つめる-
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┣【西アフリカ】
◆『エボラウイルス』と人類の壮絶な闘いが繰り広げられた
【ギニア】【シエラレオネ】【リベリア】 ※海岸線沿いの3ヵ国
・その中でも最も過酷な現場となったのが-
シエラレオネ東部にある
【ケネマ国立病院】
流行の初期、国内唯一の専門病院として『エボラ』の感染拡大を防ぐ
防波堤の役割を担った。
◇看護師 30代後半の女性
どこもかしこも『エボラウイルス』に感染した人で溢れ、本当に地獄でした。
相当な勇気がなければ、病棟に入ることはできませんでした。
・『エボラ』対策の責任者として、50人のスタッフを束ねていた
DR.SHEIK UMAR KHAN
◇ウマル・カーン 医師(享年39) 11"SEPTEMBER,1971・29"JULY,2014
MAY YOUR SOUL REST PEACE
「この地域の風土病に苦しむ人々を助けたい」と医師を志した。
9年前2007年に【ケネマ国立病院】に赴任。
感染症のスペシャリストとして治療に当たっていた。
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┣■“感染爆発”の予兆
一昨年2014年5月
◆全ての始まりは産婦人科に入院した1人の患者だった
・高熱を出したため点滴をしたところ、針を刺した場所から血が止まらなくなった。
患者は19歳の女性
◇ヴィクトリア・イラー(19) ※スラリとした美形
◇フィンダ・セル 副看護師
私は「何かをしなくてはいけない」と思いました。
看護師達が皆ベッドの周りに集まって来ました。
カーン医師もやって来て「分析のための血液検査をする必要がある」と言いました
・見つかったのは大量の『エボラウイルス』。
患者の便や血液などに触れることで感染し、特効薬は無い。
・カーン医師はすぐにイラーさんを【隔離病棟】に移すように命じた。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
<地域毎の『エボラウイルス』感染者数> ※2014年3月~5月
一昨年
・2014年3月
隣国の【ギニア】と【リベリア】で確認されていた小規模な感染。
3ヵ所 1ヵ所
・2014年5月
2ヵ月が経ったこの頃は終息に向かっていると考えられていた。
※イラーさんの町は東部の国境沿いにあり、2ヵ国と隣接している。
また町から一番近い感染地は他が3~7人くらいなのに対して
50人規模の感染者を出していた。これらの地域に共通しているのは
木々に覆われた森林地帯であるという点。
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
「治まりかけていた流行が、再び広がり始めたのではないか?」
調査チームを結成した。
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最初の感染確認から
┣< 2日目>
◆最初の感染者イラーさんが住んでいた町
【ギニア】との国境付近にある。 ※実際の当時の町の映像が流れる。
人々はまだ平穏に暮らしている様子。
・町の診療所を訪ねた調査チームが見たものは、
周辺の町や村から運び込まれ「高熱」や「下痢」などを訴える患者だった。
検査の結果、13人が『エボラ』感染が判明。その内2人は既に死亡していた。
奇妙なことに全員が「女性」だった。
◇マイケル・グバキ氏 調査チーム
とても嫌な気持ちでした。本当に嫌な気持ちがしました。
『エボラウイルス』が広がるスピードは“とても速い”ことを知っていました。
皆心配していました。
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◆感染した女性達には「共通点」があった。
・3週間前にある村を訪れていた
【クポンドゥ村】 ※より【ギニア】国境沿い。かなり大きな木々が生い茂っている。
イラーさん町から8km程離れた村。
・ここに住む祈祷師の女性が死亡し、女性達はその葬儀に出ていた。
薬草などを用いて病気を治療する祈祷師。
生前【ギニア】から来た『エボラ』の患者を治療し、感染したと見られている。
葬儀には数百人が参列。地元の風習に則り、女性達が遺体を素手で洗い清めていた。
※直接身体に触れるのではなく、棺の上に跨がって
覆い被さるように全体を撫でるような仕草を行っていた。
大量のウイルスなどが含まれる血液などに触れた恐れがあった。
◇マイケル・グバキ氏 調査チーム
カーン医師は私達の話を聞くと、とても衝撃を受けていました。
「多くの人が亡くなるかもしれない。
酷いことが起きようとしている。」と心配していました。
・地元テレビの取材を受ける
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
「一刻も早く手を打たなければならない」。
必死になって警戒を呼び掛けている映像が残されている。
「皆さんに理解してもらいたいことがあります。
『エボラウイルス』は対処可能だということです。
皆さんの協力があれば、今進行している感染は必ず抑えられます。」
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┣『エボラウイルス』
◆人類の前に初めて姿を現したのは「40年前」
・これまで流行したのは主に【中央アフリカ】の密林に点在する町や村。※11ヵ所ほど
人の行き来が多くないことから、ほとんどの感染は数週間で終息していた。
・しかし今回【西アフリカ】で出現した『エボラウイルス』は
人口100万人を超える大都市が三つある。 ※海岸沿いに各国1都市ずつ点在
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<【シエラレオネ】国内の人々の動き> ※イメージ
密林
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└─────┐ 【クポンドゥ村】
100万都市 │ │*感染*
【フリータウン】――┐ ├────┐ ┌──┘
海 │ │ │ │
│ │ │ ┌──┘
┌――┴――┬―【ケネマ】──┴───┘
│ │ │20万都市
┘ │ │
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│ │
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◇ウマル・カーン 医師(享年39)
警戒したのは大都市【フリータウン】への感染の拡大。
人口20万の【ケネマ】は交通の要所になっている。
国境付近の村や町から【ケネマ】を経由して首都【フリータウン】まで通じる道を
多くの人が移動している様子を紹介。 ※ビッグデータ(携帯等GPS情報利用)
この人の流れに乗って『エボラウイルス』が首都に侵入することを恐れた。
「まだ感染が少ない内にウイルスを封じ込めなければならない。」
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◆隔離
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
国境付近【クポンドゥ村】と【ケネマ】を繋ぐ道を封鎖し、
感染地域を隔離するよう政府へ訴えた。
◇マイケル・グバキ氏 調査チーム
カーン医師は保健省や関係機関に連絡を取り「患者を隔離する必要があること」を
理解させようとしていました。
しかし、カーン医師の勧告にも関わらず、
政府はなかなか対応しようとしませんでした。
カーン医師は非常に苛立っていました。
【シエラレオネ 保健衛生省】
当時確認されていた『エボラ』感染者は十数人。
社会的に大きな影響を与える感染地域の閉鎖は「まだ必要ない」と判断された。
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最初の感染確認から
┣<13日目>
・感染者は「33人」に上っていた。
◆『ウイルス』封じ込め
・道路の封鎖を断念したカーン医師は、感染者を【ケネマ国立病院】に隔離し
『エボラウイルス』が広がるのを抑えようとしていた。
<当時、病院スタッフが撮影した映像>
・白い大きな布で壁や建物などが覆われている。(仮設テントか?)
新たな場所を設けようと男性が木の枠組みを組み立てている様子が伺える。
最初の同病院の映像から通常ではないことが伝わってくる。
・病棟外にあるベンチに無気力と化した若い男性が寝転んでいる。
眼は大きく見開いたまま。*クフンッ* 大きなゲップをしていた。
起き上がれないわけではないが、起き上がる気力が湧かないといった様子。
・防護服を身に付けた看護師が若い男性を隔離病棟へと連れて行く。
『ウイルス』が付着した恐れのある場所・ベンチはすぐに消毒される。
※病棟からは若い女性と思われる泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
・感染者はいずれも激しい「下痢」や「嘔吐」を繰り返し、立っているのも困難。
・全身に広がった『エボラウイルス』は
脳や内臓の組織を破壊、多くの人が10日もしない内に亡くなった。
※無気力な表情。眼を見開かせると充血していた。瞳孔も開き気味。
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Q.どうにかして命を助けられないか?
A.
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
最初の『エボラ』患者である◇ヴィクトリア・イラー(19)さんの治療を続けていた
・「命を救う唯一の手段」と考えていたのが、
水分や栄養分を補給する『点滴』だった。
・“2週間”体力を維持させることが出来れば、身体の免疫がウイルスに打ち勝ち
生存の可能性が高まる。
◇看護師 30代後半の女性
数人の看護師が40~45分交代で【隔離病棟】に入り、
状態を確認しては『点滴』の交換を続けました。
・しかし『点滴』は医療スタッフのリスクを高める。
血管に針を刺すため『ウイルス』を含む血液に触れる機会が増えてしまう。
過去には『点滴』を行わない医療機関も少なくなかった。
※【病院】には善し悪しがあることを認識すべきです。
悪しき医療機関は即座に訴え、撲滅しなければ
自分達の命を脅かすことに繋がります。倫理が問われています。
・ウイルスに直接触れないよう、スタッフは全身を防護服で覆う。
体感温度は50度近くにもなり、細かな作業を行う際にミスが起きかねない。
◇看護師 30代後半の女性
防護服を着ると本当に熱いので活動できる時間は限られています。
僅かでも集中力を欠けば、危険なミスをしかねません。
・カーン医師は1人1人の容態に合わせ、必要な栄養分を調合し、
『点滴』を行っていた。
新たな感染者が搬送されて来ると、必ずこう言葉を掛けていた。
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
あなたが一日でも早く家族の元へ帰れるようにできる限りの手段を尽くします。
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最初の感染確認から
┣<15日目>
◆「懸命な治療」が初めて実を結ぶ
・最初の『エボラ』患者である◇ヴィクトリア・イラー(19)さんが
回復して退院するできた。
※若い女性らしく元気に会話している現在の様子が
映し出される。“2週間”免疫力で退治できるとは(驚)
◇ヴィクトリア・イラー(19)さん
「下痢」「めまい」「激しい頭痛」。
これまで経験したことがない苦しみでした。
多くの人が入院してすぐに亡くなるので、病棟は本当に怖かったです。
退院の日はカーン医師が握手してくれました。とても幸せな気分になりました。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
アメリカ・ボストン
【ハーバード大学 ブロード研究所】
カーン医師は「未来を見据えた」闘いを始めていた。
・治療の合間をぬって『エボラ』感染者から採取した『ウイルス』のサンプルを
アメリカに送り続けていた。
『エボラウイルス』には特効薬も予防のためのワクチンも無い。
『ウイルス』の遺伝子は人に感染していく内に急速に変異、性質が変わる恐れがある
カーン医師は送ったサンプルを
「ワクチンや迅速な診断法の開発に役立てて欲しい」と願っていた。
◇パーディス・サベティ 博士
カーン医師は現場で闘うだけでなく、さらに先を見据えていました。
新たな研究について話す時、とても興奮した様子だったのを覚えています。
感染拡大の最中でも、将来のために行動を起こしたカーン医師の熱意は目を見張る
ものでした。
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最初の感染確認から
┣<17日目> でかい
※木の枝にぶら下がるコウモリの映像が流される
・感染者は「43人」に上っていた。
確認されただけで
◆カーン医師の懸念が現実味を帯びてきた-
・感染は国境付近から道路沿いに広がり、次第に【ケネマ】へと近づいていた。
・さらに“思わぬ事態”が起こった。
【ケネマ国立病院】で『ウイルス』を抑え込もうとしていたカーン医師だったが
感染者を搬送しようとすると「拒否される」ケースが相次いだ。
refused admission
◇リナ・モーゼスさん 調査チーム
誰もが怖がっていました。
沢山の隣人が『エボラ』で亡くなる中、
見たこともない恐ろしげな防護服を着た人々が来て、 ※タンカーで運ぶ出すため
愛する人を連れ去ろうとするのですから。 7~8人は必要。確かに
防護服を着てだと不気味
即座に消毒する光景も。
・住民の間では「病院に連れて行かれれば生きて帰れない」という噂が広がっていた。
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
「このままでは『ウイルス』が際限なく広まりかねない」
1人でも多くの命を救うことで病院を信頼してもらいたいと考えた。
各地から優秀な看護師を集め、診療体制を強化。 ※200人近くの看護師を前に
感染者への点滴やケアを充実させた。 熱弁を振って指導されていた
・カーン医師達の治療によって「新たに3人」の感染者が回復した。 ※男1女2
カーン医師は退院セレモニーを開き、「治療を受ければ助かる」ことをアピールした
※看護師達は歌って回復したことを祝っていた。 ※男性は40代、女性は30代
に映像からは見受けられる。
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
まず最初に握手したいと思います。ありがとう。
皆さんに言いたいのは、彼らを抱きしめて迎えてあげて欲しいということです。
彼らは健康に回復しています。体内に『エボラウイルス』はいません。
・カーン医師は“小さな光”を見い出そうとしていた-
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最初の感染確認から
┣<24日目>
◆「無関心」との闘い
・しかし、カーン医師の“期待”はすぐに裏切られた。
2014年6月20日
シエラレオネ
【ケネマ市内】人口20万人
40歳の女性が『エボラ』に感染。『エボラウイルス』が街中に一気に広まった。
さらに首都【フリータウン】に近い町でも感染者が(2人)いた。
<当時の【隔離病棟】内の写真>
・感染者の数は定員を超え、廊下にベッドを置いて対応していた。
・『防護服』などの医療物資も不足。
本来は使い捨てすべき『手袋』を洗って使い回していた。
【WHO】世界保健機関
【ケネマ国立病院】に医師2人を含む支援チームを派遣したのはこの頃になってから
当時は多くの専門家が「流行は数ヵ月で治まる」と考えていた。
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
現地の状況が「正しく理解されない」ことに焦りを感じていた。
カーン医師から懸念を打ち明けられる。【ケネマ国立病院】で長年共同研究した
◇ロバート・ギャリー博士 米チュレーン大学
主要な研究者の中には「今回の集団発生は深刻にならない」と言っている人も
いました。しかしカーン医師は「西アフリカでは状況が全く異なる」ことを
知っていました。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◆この10年【西アフリカ】は経済が発展し、交通網が急速に整備された
<【シエラレオネ】国内の人々の動き> ※イメージ
密林
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└─────┐ 【クポンドゥ村】
100万都市 │ │*感染*
【フリータウン】――┐ ├────┐ ┌──┘
海 │ │ │ │
│ │ │ ┌──┘
┌――┴――┬―【ケネマ】──┴───┘
│ │ │20万都市
┘ │ │
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└─┐
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・【ケネマ】と首都【フリータウン】を結ぶ道路は物流の大動脈となっている。
さらに【フリータウン】からは、英国【ロンドン】や仏国【パリ】など
ヨーロッパの主要な都市への直行便が就航している。
◇ロバート・ギャリー博士 米チュレーン大学
今、世界は繋がっています。
カーン医師と私が恐れていたのは、
『エボラウイルス』が新しい幹線道路の流れに乗って
人口が100万人を超える大都市【フリータウン】で蔓延することです。
それは致命的な感染拡大を意味していました。
・『ウイルス』を封じ込められるかどうか。「時間」との闘いだった。
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
しかし、政府や支援団体へ訴えても進展はなかった-
╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最初の感染確認から
┣<25日目>
◆ギャリー医師はカーン医師の依頼を受けアメリカに帰国。
「今すぐ支援に乗り出さなければ手遅れになる」と訴えた。
・政府の担当者へもメールを送った。
tip of the iceberg
「明らかになっている感染者は氷山の一角に過ぎません。」
25 probable cases - all children
「今日も疑わしい患者が25人見つかりました。全員子供です。」
widespread EVD outbreak known
「史上最悪の感染拡大が起きようとしています。」
・メディア(ラジオ)を通して世論にも訴えかけた。
◇ロバート・ギャリー博士 米チュレーン大学
【シエラレオネ】で3週間、感染防止に当たったロバート・ギャリー博士です。
◇ウマル・カーン 医師(享年39)の声?
ある村に行くと多くの遺体を見つけました。
7人家族が全員亡くなっているケースもありました。
・しかし『エボラ』はアフリカの問題だとして
深刻に受け止める人はほとんどいなかったという。
◇ロバート・ギャリー博士 米チュレーン大学
その頃、人々は『サッカー・ワールドカップ』に夢中でした。
【ISIS】イスラム国によるテロ事件も起きていました。
人々の関心はそちらに向いていたのです。
反応はほとんどありませんでした。
「ありがとう」「考えてみます」「調べておきます」
結局返事は来ませんでした。
╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最初の感染確認から
┣< 1ヵ月目>
・感染者は急増し、受け入れは「限界」に達し始めていた-
◆「届かぬ支援」「孤独な闘い」
・そうした中、恐れていた事態が起きた。
3人の看護師が感染し死亡した。
20年以上【ケネマ国立病院】を支えてきた◇フォニー 看護師長も含まれていた。
◇フォニー 看護師長
感染した妊婦の出産に立ち会い、大量の血を浴びていた。
防護服を脱ぐ際などに誤って『ウイルス』を含む血液などに触れたと見られている
フォニーさんが亡くなった日、大勢の看護師達が泣き叫んでいる様子を
カメラが捉えていた。大切な仲間を失ったことを嘆き悲しむ声が響き渡っていた-
Ebola Kills More Nurses
「エボラが看護師を殺す」
新聞に大きな見出しが躍った。
これをきっかけに多くの看護師が病院に出てくるのを拒むようになった。
フォニー 看護師長の後、現場を束ねることになった
◇フィンダ・セル 副看護師長(当時)
私にも子供が2人いますから、とても怖かったです。
もし私が『ウイルス』に感染していて、子供にうつしてしまったらと思うと
家に帰れなかったこともあります。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
・「患者の急増」と「看護師の不足」
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
患者の命に優先順位を付けざるを得ない状況に追い込まれていた。
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最初の感染確認から
┣<47日目>
【WHO】の一員として派遣された
◇足立拓也 医師 豊島病院
・感染者を救うため、カーン医師が力を入れてきた『点滴』。
誰に行い、誰を諦めるのか、決めなくてはならなくなっていた。
日に日に衰弱が、見る見る進行していく患者さんはやっぱりいるんですね。
で、そういう人を、助ける。1人の人に我々のその限られた時間ですとか、
限られた治療手段を集中させるわけにはもう現実的にはいかなくてですね・・・
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◆この頃、感染者は【シエラレオネ】の各地に次々と確認され始めていた
<【シエラレオネ】国内の人々の動き> ※イメージ
密林
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└─────┐ 【クポンドゥ村】
100万都市 │ │*感染*
【フリータウン】――┐ ├────┐ ┌──┘
海 │ │ │ │
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※最初の感染者の町が一番多い感染者数。次に【ケネマ】。
首都【フリータウン】でも薄く赤いマークが確認できる。
道路伝いに感染者が拡大していっていることが伺い知れる。
シエラレオネ
【ケネマ市内】人口20万人
人々の間に『エボラウイルス』に対する恐怖心が高まっていった。
暴動が起き、病院に石を投げつける人も現れた。 ※若い男性のみならず子供まで
投石をしていた。
「病院のスタッフがウイルスを広めている」という
噂が広がっていた。
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
そんな状況下でも最善を尽くそうとしていた。
イギリスからボランティアでやって来た
◇ウィリアム・プーリー 看護師
カーン医師は医療物資を調達しようとしたり、海外の専門家と話をしたり、
人々の関心を集めようと必死でした。相当なストレスを抱えていたはずですが、
常に落ち着いて患者と接しようとしてました。
【隔離病棟】
家族全員が感染し、入院している人達も少なくなかった。
死の恐怖に直面しながらも、互いに助け合おうとする家族の姿に
カーン医師は支えられていたという。
◇ウィリアム・プーリー 看護師
感染した人の多くが自分の親や子供、そして兄弟が亡くなっていくのを
目の当たりにして、嘆き悲しんでいました。
・・・ それでも彼らは驚きべきほどの強さを持っていました。
目の前で大切な家族を失った直後でも、命ある他の家族を懸命に助けようと
していたのです。
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最初の感染確認から
┣<50日目>
◆崩壊寸前の【ケネマ国立病院】で開かれたミーティング
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
「感染を食い止められるのは自分達しかいない」
看護師達に協力を呼び掛けた。
「この場所は誰にとっても安全な環境とは言えません。
ただ私達は看護が必要とされる時!、それに応えなければなりません。
ボランティアで来てくれた人もいます。拍手したいと思います。*拍手多数*」
・病院を去るスタッフが相次ぐ中、
12人の看護師がカーン医師と共に残ることを決めた。 ※やはり激減したと言える
地元メディアのインタービュー
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
看護師達のことはいつも心配です。大切な同僚なのですから。
しかし理解しなくてはならないのは、病気になった人が頼れるのは
医師・看護師しかいないということです。
Q.あなたは怖くないのでしょうか?
『エボラ』との闘いの最前線にいますよね?
A.
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
もちろん、私も命を失うことは怖いです。
しかし、闘うことを恐れてはいません。
╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最初の感染確認から
┣<59日目>
◆「感染爆発」
【ケネマ国立病院】を揺るがす事態が起きた。
・カーン医師が『エボラウイルス』に感染してしまった。
仲間の看護師が発熱した際、具合を見ようと素手で胸に触れていたという。
その翌日、看護師が感染していることが判った-
・別の施設に隔離されたカーン医師 ※写真が公開される。
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
「再び現場に立ちたい」と自ら点滴を行っていたという。
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最初の感染確認から
┣<66日目>
◆感染から1週間後
・アメリカで支援を訴え続けていたギャリー博士の元に1通のメールが届いた。
On Tue, Jul 29,2014 at
Dr/Khan is gone.
「2014年7月29日、カーン医師が死んだ」ことが伝えられた。
◇ロバート・ギャリー博士 米チュレーン大学
胸が張り裂けそうでした。
この先、どうなってしまうのだろうと-
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最初の感染確認から
┣<67日目>
◆カーン医師の遺体は【ケネマ国立病院】の中庭に埋葬された
※多くのメディアが駆け付けていた。
また棺は防護服を着た11人が頭を垂れ、悲しみに浸りながら運んでいた。
この頃には防護服は青色から真っ白で立派な物へと変わっている。
・中庭への埋葬は◇フィンダ・セル 副看護師長(当時)たち、
ともに【エボラ】と闘った仲間達の強い要望からだった。
・カーン医師を失った
【ケネマ国立病院】
感染者は「150人」に達し、新たな受け入れは“不可能”になった。
遺体が敷地内のアチコチに布やシートに包まれて放置されるなど、混乱に陥った。
※子供と思われる白い布に包まれた小さな遺体を、1人の防護服を着た者が
軽々とピックアップトラックの荷台に載せていた。
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◆そしてついに首都【フリータウン】で『ウイルス』が広まり始めた
<【シエラレオネ】国内の人々の動き> ※イメージ
密林
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└─────┐ 【クポンドゥ村】
100万都市 │ │*感染*
【フリータウン】――┐ ├────┐ ┌──┘
海 │ │ │ │
│ │ │ ┌──┘
┌――┴――┬―【ケネマ】──┴───┘
│ │ │20万都市
┘ │ │
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│ │
┘ │
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│
※【フリータウン】が一番感染者が多い状況に陥った。
そして隣国【リベリア】の都市でも感染が爆発、こちらの方が多い。
風疹のように感染源が点在している。(苦)
・隣国【ギニア】や【リベリア】でも感染者が急増。
世界への感染拡大が懸念されるようになった。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【WHO】世界保健機関
『緊急事態』を宣言。
一昨年
2014年8月
・先進国に本格的な支援を呼び掛けた。
◇マーガレット・チャン 事務局長
今回の流行は『エボラ出血熱』が見つかって40年近い歴史で最も深刻なものです
・初めて大都市を襲った『エボラウイルス』。
先進国は大量の物資と人員を投入。封じ込めに奮闘する。
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<『エボラウイルス』の感染者数>
2014年 4月 約13人
2014年 5月 約30人
2014年 6月 約50人
2014年 7月 約150人 ※カーン医師の死後、爆発的に増加していく
2014年 8月 約3,000人
2014年 9月 約6,500人
2014年10月 約13,500人 ※一気に倍増している
2014年11月 約17,000人
2014年12月 約20,000人
2015年 1月 約22,000人 ※まだ止まる気配が感じられない
2015年 2月 約23,500人
2015年 3月 約25,000人
2015年 4月 約26,000人 ※2万5千人を超えた辺りで緩やかな増加に
2015年 5月 約27,000人
2015年 6月 約27,500人
2015年 7月 約27,800人
2015年 8月 約28,000人
2015年 9月 約28,500人
2015年10月 約28,800人
2015年11月 約28,900人 ※ほぼ横ばい。新たな感染者がいなくなっていく
2015年12月 約28,900人
2016年 1月 約28,900人 ※「終息宣言」
・感染者の発見から「終息宣言」を出すのに1年半も要した。
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┣■カーン医師の遺したもの
【イギリス・ロンドン】
今、カーン医師の闘いに“光”が当てられようとしている。
・今回の感染爆発がどのように起きたのか。
調査をしている
◇マイルス・キャロル 博士
ウイルスの遺伝子の変異を手掛かりに、感染の連鎖を辿り、新たな事実を突き止めた
・一時、終息すると思われた今回の感染。
しかしある村を起点に一気に広まっていった。
・カーン医師が最初に調査をした【クポンドゥ村】の感染者は
自国の【シエラレオネ】だけではなく、隣国の【ギニア】や【リベリア】で広がった
感染もこの村からもたらされていたことが判った。
※10人の根源者の内、2人は他者へ感染させていない。
4人は2次感染まで(隣国【ギニア】【リベリア】中心)
4人が【シエラレオネ】で二次感染者を広め、そこから爆発
・カーン医師が訴えたように「道路の封鎖」などの対策が実行されていれば、
その後の爆発的な感染の広がりを防げていたかもしれない。
◇マイルス・キャロル 博士
感染ルートの1つに「祈祷師の葬儀」がありました。
もしそこで、早い時期に流行を防ぐ対策を打てていれば、
感染拡大は抑えられていた可能性があります。
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・カーン医師は私達に“ある贈り物”を遺していた
解析された大量の遺伝子のデータは「全て無償」で公開された。
【医学界】では“異例”のことだった。
データを利用して開発が進められている『ワクチン』を公開。
次の感染拡大に備え、人に投与する「臨床試験」が既に始まっている。
◇グレゴリー・グレン 博士 ※ワクチン開発会社
カーン医師のサンプルのおかげで
『エボラウイルス』を正確に理解し『ワクチン』の開発に取り組むことができます
『ワクチン』ができれば、感染が広がっている国の人々にも医療従事者にも
安心を与えられるでしょう。
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シエラレオネ
【ケネマ国立病院】
新たな病棟の建設が進められている。
「『エボラウイルス』の拠点として再出発するため」だという。
・カーン医師から国際社会に支援を訴えて欲しいと言われた
◇ロバート・ギャリー博士 米チュレーン大学
ここでカーン医師の思いを継ぐ意志を育てたいと考えている。※建設も指揮していた
『エボラ』は【アフリカ】だけの問題ではありません。
私達は未来のために、世界全体で備えなければなりません。
感染症の治療に携わる医師や看護師、研究者を養成したいのです。
それはカーン医師の「夢」でもありました。
・カーン医師と共に現場で闘った
◇フィンダ・セル 副看護師長(当時)
中庭に埋葬されたカーン医師の墓の前で立ち尽くし、大粒の涙を浮かべた。
In Loving Memory of Dr.
SHEIKH H.KHAN
Born:11th September 1974.
Died:29th July 2014.
Former. Tulane-Lassar fever VHF-Doctor
Kenema Goverment Hospital RIP
最後まで患者に尽くしたカーン医師の思いを語り継ぎたいと話す。
カーン医師はどんな状況でも人々の命を救うために闘うことが
医師の使命だと語っていました。
カーン医師は『エボラ』と闘うために、あらゆる努力を惜しみませんでした。
しかし最後は『エボラ』によって命を失いました。
そして多くの同僚も犠牲になりました。 *咽せるように大泣き*
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『エボラウイルス』に感染し亡くなった【ケネマ国立病院】のスタッフは「41人」。
・病院の入り口に立てられた慰霊碑にはその1人1人の名前が刻まれている。
大きな犠牲と引き換えに、入院した感染者の半数近い「210人」が命を救われた。
・感染拡大の危機にいち早く気付き、警告を発し続けた
◇ウマル・カーン 医師(享年39)
その声を国際社会は受け止めることができなかった。
再び感染拡大の危機に直面した時、世界はどう行動すべきなのか。
「ウイルスと人類の闘い」に終わりはない。
◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
┣・最近の幼稚すぎるニュース番組には反吐が出る【NHK】ですが、スペシャル番組は
さすがに唸らせるものを編成してきますね。とくに海外関係は地上波放送では本当に
「鎖国か?」と思うほど閉ざされておりますので重宝します。BS放送では流したり
また専門チャンネル化で有料となっているかもしれませんが、ひと昔のようにBBC
特番などを拝聴したいものです。
┣・感染症に関しては日本では『インフルエンザ』や『ノロウイルス』『麻疹』また昨年
お隣の韓国で流行した『MARS』くらいが今は取り上げられているくらいですけど
今回の『エボラ出血熱』を始め、ブラジルで拡大した『ジカ熱』そして『デング熱』
など一つ間違えば重症化するものが蔓延しています。このような重大な事態が発生し
ていたにも関わらずサッカー・ワールドカップに夢中で後回しにしていたなんていう
笑えない話も実際に起こっているわけで、日本も原発事故が発生した際の避難誘導が
できていなかったように(関東近郊在住者も放射能が飛散してしっかり被ってます)
真剣に考えないといけない問題だと思います。
┣・「ウイルスと人類の闘い」と言うか実際のところ、まだ見ぬウイルスを探し求めて
山の奥、さらには深海の底まで追い求めているのは人間の方ですからね。がっちり
“金塊”マンデーみたいなことを暢気に話していますけど、確かに天然痘の撲滅など
良い菌もあれば、『エボラ』のように恐ろしい菌も存在するわけで、いや、なんとも
難しいところです。菌は生物にも付着してますからね。変わり種のペットなど本当は
飼育しちゃダメだとすべきなんですけどね。こんなに放置しまくっていていいの ??
┗・最後に、人は己の身に掛かる災難は噂話だとしても食って掛かります。かつて日本も
『ハンセン病』患者に対して酷いことをしてました。『水俣病』患者もそうなのかな
病に関して共通した認識・調査をすることが大事ではないかと強く思った次第です。
【西アフリカ】と遠い場所ですが『エボラ』と勇敢に闘ってお亡くなりになられた
方々のご冥福をお祈りいたします。*合掌*