戦争を超えた70年の愛 日本人スパイを支え続けた中国人の妻
2015/08/13(木)<戦争を超えた70年の愛 日本人スパイを支え続けた中国人の妻>
【トリハダ[秘]スクープ映像100科ジテン】 http://www.tv-asahi.co.jp/torihada/
*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。
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┏┓ <戦争を超えた70年の愛 日本人スパイを支え続けた中国人の妻>
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┣■『日本人のスパイ』26歳&中国美少女15歳の結婚
◆壮絶70年・・・ 地獄の底を生き抜いた“夫婦愛”
・1945年の終戦から39年後、一人の男が衝撃の告白をした。
◇深谷義治
私は地下に潜ると同時に、密輸集団に加わりました。中国人の密輸集団。
私は中国に潜入していた『日本のスパイ』だ。
・深谷義治はスパイ活動のため、中国人に成り済まし中国人女性と結婚。
表の顔は「印刷工場」の経営者。裏では「偽札」を大量に製造。
その偽札で大量の「軍事物資」を購入し、日本へ流していたという。
日本の軍人として“壮絶な任務”のために全てを捧げた人生。
だが、そんな深谷義治を待っていたのは
「20年にも及ぶ地獄の刑務所生活」だった。
【中国当局】にその存在を疑われ「刑務所」に収監。
想像を絶する取り調べを受けたという。
「おまえは日本のスパイだ」「違う!」
深谷義治は20年間、一度たりとも自分が戦後スパイであると認めなかった。
「俺はどんな地獄でも耐え抜いてみせる。
絶対守ってみせる・・・ 」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
・生死の狭間で深谷義治の心を支え続けた人物。
それは中国人の妻だった。
「おまえは国の敵だ!」
「あなた、自分の信念を貫いて。
家族は私が守るから。」
夫が『日本のスパイ』であるかどうかなど関係なかった。
国の敵として“迫害される屈辱”に耐え、
ただひたすら夫の帰りを待ち続けた妻。
・今回番組ではその妻チヤさんを独占取材。
『日本人スパイ』の妻が語った戦争の真実とは。
◇深谷綺霞
私の苦難の人生を引き起こしたのは戦争です。*グスン*(泣)
生まれ変わっても、また夫と一緒にいたいです。
・ここに昨年2014年末に出版された一冊の本がある。 次男
『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』著書:深谷敏雄【集英社刊】
戦争の中で出会った一人の日本兵と中国人女性の人生が綴られている。
その内容を元に、戦争の裏にあった悲劇をご覧頂く。
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┣■極貧地獄から一家を救う大決断
1937年
【上海・上海】
一人の貧しい少女がいた。
名はチン・チヤ(10歳)。両親と姉の4人家族。
父は病気がちで働けず、母は身体が不自由。
家系は借金にまみれ“火の車”だった。
たった一杯のお粥を4人で分ける。1日に食べられる食事はこの1回だけ。
貧乏のどん底。
・だが、近所でも評判の美少女だったチヤ。
15歳になった時、人生の転機が訪れる。
チヤを不憫に思ったおじからある男性を紹介された。
◇チヤのおじ ◇ユウ・シエン(26歳)
ユウさん、これが姪のチヤです。 はじめまして。ユウ・シエンと言います。
◇チン・チヤ(15歳)
はじめまして・・・ チヤです。
おじの上司だというその男性はチヤより11歳年上の26歳。
印刷工場を経営する、身長178cm。長身の青年実業家だった。
◇チヤのおじ
ユウさんは縁談を求めている。
(気に入られれば生活が楽になるんだ。)◇チン・チヤ(15歳)
チヤの耳元で囁くように言った。 ・・・ (笑顔)※少し引きつり気味
家は“借金まみれ”。自分がなんとかしなければ貧乏から抜け出せない。
僅か15歳の美少女は、人生の大きな決断をした。
◇チン・チヤ(15歳)
家族のために、私はこの人の妻になる。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
1942年
・戦争が終わる3年前
チン・チヤは、ユウ・シエンの妻となった。
妻15歳 夫26歳
◇ユウ・シエン(26歳) ◇チン・チヤ(15歳)
はい、これ今月の生活費だ。 えっ?
それとこれ、お父さんに。
実家、大変なんだろう。
これを渡してあげなさい。 (笑顔)ありがとう。
チヤの家族を思いやり、夫ユウは実家への金銭的な援助をいつも申し出てくれた。
◇チン・チヤの母親 ◇チン・チヤ(15歳)
チヤ、ありがとう。
あなたが結婚してくれたおかげで 母さん
まともなご飯が食べられるようになった。家族が支え合うのは当たり前でしょ(笑顔)
ごめんね・・・ (泣顔) またね。
「家族のために自分が犠牲になろう」。そんな思いから始まったユウとの結婚生活。
◇ユウ・シエン(26歳) ◇チン・チヤ(15歳)
さあ、ドンドン食べて。 うん。(笑顔)
チヤは一生懸命“好きな振り”をしていた。
だが、ユウと生活を共にするにつれ、
◇チン・チヤ ◇ユウ・シエン
私はなんて“ズルい女”なんだろう。 お待たせ!(笑顔)
あなた。(笑顔) (笑)
(この人は私と私の家族を、
心から大切にしてくれている。
お金のために利用しようなんて
とんでもない。
私も心から夫を愛さなきゃ。)
・そして結婚して3年、二人は心から愛し合う本当の夫婦となっていた。
子宝にも恵まれた。
◇ユウ・シエン(29歳) ◇チン・チヤ(18歳)
これからは家族みんな
力を合わせて幸せになろう。 あなた・・・
“貧乏のどん底”だったチヤにとって (人生を変えてくれた夫に
生まれて初めて噛みしめる“家族の幸せ” 自分の人生を捧げよう。)
夫のユウも心から安らぎを感じていた。 チヤはそう心に誓っていた。
チヤは本当に自分に尽くし、
“家庭の温もり”を与えてくれている。
・だが、ユウはそんな最愛の妻チヤにも明かせない「秘密」を背負っていた。
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┣■戦後13年・・・ 夫の秘密「命じられた任務」
「日本軍のために動きを調べろ!」 「ハイ!」
◆ユウ・シエンの正体は『日本人スパイ・深谷義治』
・深谷義治は終戦時、日本軍が安全に撤退できるよう
「情報収集」を命じられたという。
当然ながらそれは「極秘の任務」。
深谷義治はスパイはもちろん、日本人だという素性も妻のチアに知らせずにいた。
実は深谷義治も最初は自らの任務・中国人に成り済ますためにチヤと結婚。
だが、チヤと生活を共にする内、心から彼女を・妻を愛するようになっていた。
・二人の幸せな時間は1945年の終戦後、13年間続いた。
◇ユウ・シエン(42歳) ◇チン・チヤ(31歳)
深谷義治
家族も増え、二人の間にはさらに2人の男の子・3人の息子と、そして長女が誕生。
しかし、その13年の間も・・・
◇深谷義治
連絡はいつもの新聞広告で。
『スパイ』としての任務をこなす“二重生活”を続けていたという。
◇深谷義治
もうじき『スパイ』としての任務も解かれるはず。
そしたらチヤに全てを打ち明け、家族皆で日本で暮らすんだ。
最愛の妻と4人の子供達を連れ、日本へ帰る。“帰国への想い”
日本の両親に孫を会わせてやりたい。 “両親への想い”
深谷義治は密かに未来に希望を抱いていた。
・だが、そんな深谷義治と妻チヤに待っていたのは“地獄の日々”だった。
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┣■戦後13年に夫が逮捕・・・ 暴かれたウラの顔
1958年
◆終戦から13年が経ったある日・・・
「動くなッ!警察だ !! 」 「隅々まで探せッ !! 」
・家中をひっくり返される、突然の『家宅捜索』を受けた。
「止めて下さい」 「邪魔をするなッ!」
「なんでこんなことを・・・ 」 「なんでだと?
我々はおまえの夫ユウ・シエンを逮捕した。
「嘘。まさか・・・ (驚)」 奴は『日本のスパイ』だ!」
・耳を疑うような事実がチヤに告げられた。
警察の話では、
「日本軍を倒せ!」 「日本軍を倒せ!」 「中国青年は団結せよッ!」
深谷義治は戦時中『抗日運動』のリーダーとして中国の青年達を率いていたという。
こうして敵の裏をかき【中国軍】の「機密情報を漏洩」【日本軍】に伝達。
さらに経営していた印刷工場で『偽札』を大量に製造。
その『偽札』で『軍事物資』を大量に買い付け【日本軍】に流していたというのだ。
◇深谷義治
よし。何もかも買い占めろ、全部だッ!
とにかく夫に会って「話がしたい」。
だが拘置所に収監されていた深谷義治には、面会はおろか手紙さえも出せなかった。
深谷義治が【中国警察】に連れて行かれた当時、
※夫・深谷義治(42歳)
妻チン・チヤ(31歳)
長男モンロン(12歳)、次男ミンロン(10歳)、三男ヨンロン(6歳)
長女リヨン(生後50日) だった。
◇長男モンロン(12歳) ◇母チン・チヤ(31歳)
お父さんは日本人なの?何をしたの? 詳しいことは分からないの。
でもお父さんは絶対に悪い人じゃない。
それだけはお母さん胸を張って言える。
いい? 家族皆でお父さんを支えるの。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◆3ヵ月後
だが夫が釈放されることはなかった。
生活は一気に苦しくなった。
仕事も見つからない。母チヤは家財道具を売って「生活費を工面」した。
結婚指輪も質屋に入れた。・・・ それだけではない。
「この裏切り者ッ!」 「日本のスパイの子めッ !! 」 「止めて下さい」
「黙れッ !! 」「黙れッ !! 」 「止めて下さい」
「よくスパイとなんか結婚できるな(怒)」 「なんですって」
「軍国主義者は敵。何考えてんの?(怒)」
「お前は“中国の恥”だ!」
夫が『日本人のスパイ』であることが知れると差別や嫌がらせが始まった。
やっと見つけた職場でも、 ※同じ中国人女性による罵声を浴びた。
「この裏切り者!」 「反革命分子めッ」 「中国の恥さらしぃ」
だが、チヤの心は決して折れなかった。
◇妻チン・チヤ
何があっても私の夫はあなただけ。
私の家族を極貧から救ってくれたあなたを
帰ってくるまでずっと待ち続けます。
・生活は苦しくなるばかり。だがチヤは月に一度必ず、拘置所の夫に差し入れをした。
衣服や日用品、そして栄養剤。
そのお金を捻出するため『自らの血』を病院に売りに行ったこともあるという。
しかしその血は栄養不足から売ることすら出来なかった。
相変わらず夫・深谷義治に会わせてもらえない。
だが、夫の愛を感じられる、こんなやり取りがあった。
◇拘置所の看守
これは必要ない。妻に返してくれだとさ。
何度差し入れしても、服や栄養剤など“無理して買った物”は全て返却された。
◇夫・深谷義治 ◇妻チン・チヤ
(俺のことはいい。 あなた・・・
苦労している家族のためにお金を使ってくれ。)(長年連れ添った妻だからこそ判る
『夫からのメッセージ』。)
そして妻チヤは看守に頼み込み、 お願いします!この写真を夫に。
ある物を夫に届けた。
夫・深谷義治が逮捕された時まだ生後50日だった
『娘リヨンの写真』。 子供達もあなたの帰りを待って
います。決して諦めないで。
ウッ、アッ、ウッウッアッ・・・ ※牢獄の中でせせり泣く
チヤ、すまない、すまない・・・ (号泣)
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┣■獄中20年・・・ 極限の肉体で守った“祖国の名誉”
「さっさと吐けぇ!(怒)」
◆【中国警察】は深谷義治が終戦後に13年間スパイ活動を行っていたとして
徹底的に取り調べた。
・上官からの命令とは言え、既に【日本軍】が無くなり13年。
戦後の日本の活動を自白すれば、日本が“国際的な批難”を浴びることになる。
それは避けねばならない。
「おまえは『日本のスパイ』だ。 「私はスパイ活動など
戦後も活動しただろうが。 」 一切していない。 」
この時の様子を深谷義治はこう綴っている。
『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』著書:深谷敏雄【集英社刊】
うわあぁぁぁぁ *絶叫*
「私は『戦後・日本のスパイ』ではない」ときっぱりと答えたのであった。
そのため、私は拷問されることとなった。
うわあぁぁぁぁ *悶絶*
何度も意識を失い、その都度、冷たい水をかけられた。
意識を取り戻すとまた拷問され、追求された。 ウッわあぁ・・・
「どうだ、全てを白状するか?(怒)」 「私はもう『スパイ』ではない(苦)」
「あくまで白状しない気か?
一生ここで暮らすのか?」 うわあぁぁぁぁ *悶絶*
「早く楽になれ」
何度も、何度も・・・
「釈放してやるから早く吐け!
スパイダと認めろッ! 」
「家族の元に帰りたいんだろ?」 「俺は『スパイ』ではない・・・ 」
「しぶといなぁ」 うぎゃあぁぁぁ *悶絶*
「さあ吐け、吐くんだ!(鬼の形相)」 「・・・ うぎゃあぁぁぁ *悶絶*」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
・深谷義治は絶対に『スパイである』と自白しなかった。
祖国【日本】の名誉を守り続けた。
◇夫・深谷義治
チヤ、すまない。 会いたい、チヤ。
・深谷義治への取り調べは熾烈を極めたという。
食事も「米粒が僅かに浮いた生ぬるいお粥」が1日1回だけ。
「酷い臭いだ・・・ 腐ってる。でも食べなければ、、、」
深刻な栄養不足に陥り、身体は衰弱。
上海の冬は厳しく、気温は零下6~7度。
満足な衣服も無く、寝床は氷のように冷たい。※咳き込むも立って夜を明かした。
深谷義治は肺を冒されて、左目はほぼ見えない状態になった。
さらに強制労働の最中に腰椎を圧迫骨折。
『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』著書:深谷敏雄【集英社刊】
一晩一晩、そして一冬、また一冬と、
歯を食いしばって過ごしたことで、凍死から逃れることができたが、
その代償として残っていた二十四本の歯はすべて欠けたりして使い物に
ならなくなってしまった。
(中略)
そして気づけば、私の顔は鬼のような形相となっていた。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
・それでも自らの口を完全に閉ざし、自白しない深谷義治。
差別と偏見に耐えながら夫の帰りを待ち続け、女手一つで4人の子供を育てる妻チヤ
しかも父親が逮捕されて11年目、長男モンロン(23歳)までも逮捕されてしまう。
夫婦にとってまさに地獄に日々はなんと16年もの長きに渡った。
逮捕された時、42歳だった夫・深谷義治は58歳に。
31歳だった妻のチヤは 48歳に。
髪は苦労のため白髪まみれになっていた。
年老いた深谷義治の心には、妻チヤ。
そして故郷・島根に残してきた母のことがよぎった。
「母ちゃん、チヤ・・・
俺はこのままここで人生を終えるしかないのか・・・ 」
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┣■獄中20年・・・ 夫を待ち続けた妻に過酷な運命
◆そんな時“一筋の光”が深谷義治に差し込んだ。
1972年9月『日中共同声明』
・終戦から27年、日本と中国の関係が正常化し『国交が樹立』された。
日本と中国との関係改善。獄中にある深谷義治は“ある期待”を抱いた。
「もしかしたら釈放されるかもしれない。」
・そして深谷義治は16年ぶりに拘置所の外へと連れ出された。
向かったのは【法廷】。
長い間、証拠不十分で未決囚だった深谷義治が突然【法廷】に。
待ちわびた瞬間が訪れようとしているのか?
裁判官から告げられようとしている言葉。それを固唾を呑んで待つ深谷義治。
◇裁判長 ◇深谷義治
本法廷は日本人・深谷義治を
戦後もスパイ活動を行ったと認め、 まさかの判決。
『無期懲役』とする。 *カン* 『無期懲役』耳を疑った。
16年も及んだ取り調べに対し、
これまで一切『戦後のスパイ活動』を自白しなかった深谷義治だが
判決は想定外のものだった。
もう一生、家族の元に戻れない。
もう一生、祖国・日本の地(島根)を踏むことも許されない。
◇深谷義治(58歳)
ウッ、フッフ(母ちゃん・・・ チヤ・・・ )ウ、ウッウ(泣・絶望感)
その判決を聞いた家族は“一縷の望み”をも失った。
◇妻チン・チヤ(48歳)
夫が『無期懲役』(号泣)
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◆16年目の再会・・・
・皮肉も刑が確定したことで『面会』が許された。
16年ぶりに夫に会える。父・深谷義治が逮捕された時、生後50日だった
娘リヨンは16歳になっていた。
・面会室で待っていると、人民服を着た青白い顔の一人の男が入ってきた。
妻チヤの記憶にある身長178cmの夫とは10cm以上も小さい別人だった。
◇妻チン・チヤ ◇中国警察 ◇夫・深谷義治
(本当にあの人なの・・・ ?) これが深谷だ。 ・・・
!? あなた、あなたなの? お前の夫だ。 ?チヤなのか・・・
ウッウウゥ・・・
互いに地獄のような年月過ごし、面影を失うほど見た目が変わってしまった二人。
だが、
◇妻チン・チヤ ◇夫・深谷義治
あなたぁ・・・ (涙笑顔) チヤ・・・ (涙目)
夫婦の絆は揺るぎなく結ばれていた。
◇娘リヨン ◇夫・深谷義治
お父さん。 もしかしてリヨンか?
そうよ、お父さん。 リヨンなんだな。
◇妻チン・チヤ
立派になったでしょ?(涙笑顔) (チヤ、僕は君を騙してしまった。
辛い人生を歩ませてしまって
本当にすまない。でもこれだけは誓う
この16年間、片時も君を
子供達のことを忘れたことはない。)
ウッウウウウ・・・ あなたぁ! ウッウワアァァァ(愛してる。)
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◆見た目は変わり果てようとも、何一つ変わらない“夫の愛”。
それがチヤの心を奮い立たせた。
・チヤはある行動に出た。「諦めない。絶対に夫を救ってみせる!」
その方法とは、【日本政府】への嘆願。
日中の関係が回復していく中で、以前は禁止されていた
日本へ手紙を出すことが可能になったのだ。
夫・深谷義治の母へ手紙をしたためた。
「初めまして、義治さんの妻チヤと申します。
夫は今も獄中で苦しみ続けています。 」
日本から夫・深谷義治の釈放を働きかけてもらいたい。
そしてこんな思いも綴った・・・
「いつの日か、夫と一緒に日本に帰りたい、お母さんに会いたいです。」
そんな“妻の直向きな愛”が、ついに奇跡を起こす。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◆“夫を救い出す”国を動かす妻の執念
・妻チヤの手紙によって夫・深谷義治の現状を知った日本の外交官が、
釈放のため、国を挙げて動いてくれた。
◇夫・深谷義治
*ペコリ* ありがとうございます。
・妻チヤと夫・深谷義治の母の【日本政府】への働きかけは4年に及んだ。
手紙を書き続け、国を動かした二人の女性。
・そして終戦から33年経った
1978年10月12日
20年にも渡り、家族が待ち焦がれた報せがラジオから聞こえてきた。
「 8月12日に締結された『日中平和友好条約』を受けて
【上海市中級人民法院】は無期懲役の刑に服していた日本人
深谷義治を特赦により釈放することを決定いたしました。 」
『釈放』。逮捕されていた長男モンロンも直前に釈放されていた。
近所の目を気にしながら母子5人、肩を寄せ合い喜びにせせり泣く。
この日が来るのを待ち続けた妻チヤ。
言葉にならない思いが妻の胸に止めどなくこみ上げた。
◇妻チヤ
あなたが『スパイ容疑』で逮捕されてから20年。
苦しみのない日なんて一日もなかった。
でもあなたを憎んだことは一度もない。
何があっても私はあなたの妻。日本人・深谷義治は私の愛する夫です。
・翌日1978年10月13日午前9時
ついに待ち焦がれたその瞬間がやって来た。
◇妻チン・チヤ ◇夫・深谷義治
あなたぁ(笑顔) *首を横に振る* チヤ、随分待たせてしまったな。
(出迎えた4人の子供達を見て)
・・・ 本当にすまなかった。
20年分の思いを込めて、父・深谷義治は
子供達をその胸に抱きしめた。
みんな、すまなかった。(泣)
父さんのせいで、
お前達に途方もない苦労をかけた。すまない
いいえ、あなたは私の人生を チヤ、俺は君の人生を滅茶苦茶にしてしまった
救ってくれたのよ。 !?
あなたに出会えて本当に良かった。
あなたの妻であることを
心の底から誇らしく思っています。 チヤ・・・
◇娘リヨン
お父さん、(涙目) 私達決めたの。
みんなで日本に帰ろう。
お父さんが生まれ育った
お父さんが大好きな国で
家族皆で暮らそう。 いいのか?それでいいのか?(号泣)ウッウッ
◇妻チン・チヤ
もちろんです。
中国でも日本でも私は深谷義治の妻ですから。(泣) 初めて家族5人が抱き合えた
・ここに一枚の写真がある。
そこには20年の時を経て、ようやく一つになった家族の笑顔が写っていた。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
1978年11月12日
◆深谷一家6人が日本へ帰国。
【山陰中央新報】昭和53年1978年11月19日付
故郷の土・・・ 平和踏みしめ
里帰りの深谷さん一家 温かい歓迎受け、第2の人生へ
・最後の帰還兵としてマスコミでも大きく報道された。
20年にも渡る“地獄の苦しみ”を耐え抜いた家族。
これから始まる新生活。やっと“幸せな時間”が手に入る。
・だが、日本で夫・深谷義治と妻チヤを待っていたのは想像もつかない“試練”だった
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┣■スタジオにて
1978年11月12日
◆日本最後の帰還兵 深谷義治 帰国
◇高畑淳子 女優 ◇石原良純 俳優・タレント
もういいでしょう、試練は。(悲苦) 高畑さん、この帰還のニュース
覚えてなーい。(驚) だから、 覚えてますか?
横井庄一さんとか小野田さんは
すごく鮮明に覚えてるんですけど。 こういうストーリーがあって日本兵最後帰還
報道されたんですよね? もう報道されたんですよね。
◇恵俊彰 今のニュース映像ですから。
全然覚えてないですね。(苦顔)
<主な帰還兵>
1972年帰国【グアム島】 横井庄一 (陸軍軍曹) ※大々的にTV中継
1974年帰国【フィリピン】小野田寛郎(陸軍少尉) ※大々的にTV中継
1978年帰国【中国】 深谷義治 (陸軍軍人・諜報員)※地元紙日曜コラム
◇加藤真輝子 アナウンサー ◇石原良純 俳優・タレント
まだ終わりではないんです。。。 この後まだ続くんでしょ?このストーリーは
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┣■戦後33年・・・ 念願の帰国後に“さらなる試練”
◆日本に戻った深谷義治は家族5人を連れ、故郷の【島根県大田市】に定住した。
これから始まる新生活。やっと“幸せな時間”が手に入る。
◇夫・深谷義治(当時63歳) ◇妻チン・チヤ(当時52歳)
・しかし日本で二人を待っていたのは、想像もつかない“試練”の連続だった。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◆夫・深谷義治の両親は既に他界
◇母・深谷ヤノ(享年82歳)
・自分の釈放のために尽力してくれた“親の最後”を看取られなかった・・・
◇夫・深谷義治(当時63歳)
母ちゃん、、すまない。 ※母の写真を手にし、親不孝を詫びる息子
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◆一家を襲うさらなる事態
『軍人恩給』が、他人に支払われていた。
戦時中、日本のために戦った元軍人に国から支給される金銭・年金の類い。
・8年間に渡り、戦地・中国にて任務に当たっていた深谷義治にも
当然それに“見合った額”が支給されるはずであった。
ところが、
◇生活福祉課 ◇夫・深谷義治(当時63歳)
深谷さんですか・・・
あなたの恩給は既に支給されてますね。 エッ、そんなことないはずです。
でも間違いなく支給されています。 私はずっと中国にいたんですよ。
中国で獄中生活を送ってる間、何者かが深谷義治に成り済まし
深谷義治がもらうべき『軍人恩給』を不正受給していたというのだ。
・この時、既に63歳。獄中生活で全身ボロボロの深谷義治が
働いて一家を養う収入を得ることは、もはや無理だった。
帰国後に一部支給された『軍人恩給』だけでは生活が成り立たなかった。
※小野田寛郎氏の時は当時100万円が日本政府から支給されたという。
◇生活福祉課 ◇夫・深谷義治(当時63歳)
無理なものは無理なんです。(苦) お願いします。もう一度本当に・・・
消えた『軍人恩給』が貰えるよう再申請をしたが、受け入れてもらえなかった。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◆なぜ“再申請”も認められないのか?
その理由はあまりにも辛い現実だった。
『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』著書:深谷敏雄【集英社刊】
「軍人恩給の申請は一回だけで、あなたの恩給はすでに支給してきたので、
新たな申請は駄目だ。」
・命令を受けて全うしたという“危険なスパイ活動”。
深谷義治の最終的な軍歴は『現地除隊』。
→ 「自らの意志で軍を去った」ということ。
・せめて『現地除隊』したという不名誉な誤解を解くためには、
『スパイ』だった事実だけでも公表しなくてはならない。
しかし、戦後13年間の活動についても公表するのか。
“国の名誉”を傷つけることになるのではないか。 深谷義治は悩んだ。
※ちなみに当時の政権は【福田内閣】だった模様。
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┣■戦後39年・・・ 沈黙破る告白“私はスパイだった”
◆窮地に立たされていた深谷義治を救ったのは・・・ 一本の電話だった。
(ハイ。*シュタッ!* 敬礼 【日本軍】のために動きを調べろ!)
かつて深谷義治に情報収集を命じた元上官から電話だったという。
国の為に生きてきたお前は立派だった。
・・・ 上官、、、 誇らしい日本人だ。
・・・ ハイ。 深谷、お前に新しい命令を下す。
え・・・ しかし・・・ それでは国の名誉が 『スパイ』であった事実を公表せよ!
『スパイ』であった事実を公表し、そして
・・・ これからは家族の為に生きよ!
ハイ、分かりました。 時代も変わった、もう十分だ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◆そして深谷義治は思いの丈を語る決意をする
その舞台は、日本全国が注目する“テレビ出演”
日本最後の帰還兵・深谷義治が自らの“スパイ活動を告白”した。
【テレビ朝日】
『日本100大出来事』 cセントラルアーツ
「どのようなスパイ活動を行ったのであろうか。」
◇深谷義治
元憲兵だった私の顔を、沢山の人が当時は知っておりました。
その顔を変えるために、私は『入れ歯』を作りました。
この『入れ歯』は入れますと、昨日まで私の側で一緒に仕事をしていた憲兵でも
私だということを見破ることは不可能であった。
これを使用して地下工作に入りました。
そして深谷義治は【中国】での『偽札』製造、その全貌を語り出した。
私は地下に潜ると同時にエー【密輸集団】に加わりました。
中国人の【密輸集団】。そしていろいろな密輸の商売をやって工作資金を儲けて
その資金で次々と仕事を発展させていきました。
【日本軍】が鹵獲(戦いで戦利品を獲ること)した物で
「これらの紙幣を作れ、印刷しろ」という命令を受けました。>『偽札』中国紙幣
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◆悩み抜いた末“テレビ出演”を決めた深谷義治。
だが、彼が語ったのは「戦時中のスパイ活動」のみ。
「戦後のスパイ活動」については一切何も語らなかった。
『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』著書:深谷敏雄【集英社刊】
国の名誉を守るために(中略)
戦後の日本のスパイであるという事実を(中略)
口にしようとしなかった。
◇夫・深谷義治 ◇妻チン・チヤ
チヤ、すまない。でもこれだけは・・・ 妻のチヤは初めから分かっていた。
あなたはどこまでも信念を貫く人。
そんなあなただから私達の絆はずっと
チヤ、ありがとう。 結ばれているの。
家族で支え合えば何度でも立ち上がれる。
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┗■波乱の生涯99年・・・ 守った祖国の名誉、そして家族の絆
◆そして深谷義治は妻チヤと共に再び立ち上がった。
♪『糸』 中島みゆき
http://j-lyric.net/artist/a000701/l0000fa.html
【上海料理のお店】
妻チヤの料理の腕を生かし開店した。
それは結婚以来40年ぶりに実現した“家族”の、そして何より“夫婦“の
“幸せな時間”だった。
2015年4月21日
・日本最後の帰還兵 深谷義治
永眠 享年99歳
命を懸けたという『戦後のスパイ活動』は今も、
日本軍人としての任務とは認められていない。
♪縦の糸はあなたぁ、横の糸はわたしぃ
◇妻・深谷綺霞(89歳)
夫・義治さんと生きた73年間を振り返るとこう語った。
私の苦難の人生を引き起こしたのは『戦争』です。
『日中の友好』を心から願っています。
そしていつまでも『平和な世の中』であって欲しい。(涙)
夫はずっと良い人でした。夫婦になれて本当によかった。
*グスン* ハンカチで涙を拭う。
生まれ変わっても、また夫と一緒にいたいです。
永遠に一緒にいたいです。(号泣)
◆二人の絆は今もずっと結ばれている。
◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
┣・放送の合間で、深谷一家のことを「知らなかった」というコメントが添えられた
だけで、特にこれといった意見は挙げられなかった。
┣・しかしこの事実を知らせる映像だけで十分視聴者に伝わったことだと思う。
演出・役者・捕捉映像を含めて実に見事な放送でした。ある意味【国】を相手に
よくぞ報道してくれたと関係各者を称えたい思いで一杯です。
┣・深谷一家を襲った悲劇は、決して『スパイ』活動をしていたからだという
だけではない。都合の悪い話は平気で切り捨てられるという【国】の【行政】の
理不尽な態度。己のミスを棚に上げてだ。『軍人恩給』を不正支給させていたと
いう問題は、今現在の『年金』『生活保護』の不正と全く同じものだ。
「間違えて他人に支給されてました。手続きは1回だけですので
今まで気づかずに見過ごしていた、あなたに落ち度があります。
ルールを変えることはできませんので再申請は認められません。」
こういう態度をするのだ、連中は。だから私は責任の所在を明らかにする意味で
公僕の連中は額に『公』『国』などの焼き印を押せと本気で言う。ペーパー頭で
性根が腐っているとしか思えない。または不正を糾すことができない虫けら以下。
もちろん命を懸けた現場で働く人も大勢いらっしゃいますけどね。虫けら共を
見逃している行為自体は、やはり一緒に批難されるべきだと私は強く思います。
┣・ ・・・ またブチ切れてしまった。(恥謝) すぐ手が出るタイプなんですよね、私。
今回の放送は多くの視聴者の心を動かしたようで、既にあちこちで意見が
挙げられてます。放送を見逃した方はテレビ局側へ再放送を促すなどして
是非とも一度は真面目に考えてもらいたい問題だと私は思います。
┗・深谷綺霞さん(89歳)は本当にお綺麗な方ですね。また心も容姿に負けず気丈で
感動しました。20年以上も何もせずにいた同じ日本人として深くお詫びします。
<(_ _)>