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憎しみはこうして激化した-戦争とプロパガンダ-

2015/08/07(金)<憎しみはこうして激化した-戦争とプロパガンダ->
【NHKスペシャル】 http://www6.nhk.or.jp/special/index.html


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓NHKスペシャル 終戦70年 企画
┃         <憎しみはこうして激化した-戦争とプロパガンダ->
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www6.nhk.or.jp


 国民を戦争へと駆り立てるために、国家はどのように映像と情報を操作するのか。
太平洋戦争時の極秘資料と映像から、アメリカの「映像プロパガンダ」の原点を
解き明かす。

 アメリカ海兵隊が太平洋戦争の戦場で撮影した、およそ3000本、500時間の
フィルムがある。当時制作されたプロパガンダ映画の元素材だ。
米軍は「映像は兵器だ」として、兵士と国民の一体感を生む映像を大々的に流す一方、
「国民の目に触れるべきでない映像」を排除。巧みな映像戦略で、莫大な戦費の実に
6割を国民に「自主的に」供出させていた。極秘資料と映像、そして元カメラマンらの
証言から、アメリカの映像プロパガンダの起源に迫る。

 

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┣■憎しみはこうして激化した


 ◆今から70年前、アメリカで上映された1本の映画が米国民を熱狂させた。


  米国映画
 『硫黄島を目指せ』“To the Shores of Iwo Jima”Printed in TECHNICOLOR
  日米が激闘を繰り広げた離島・硫黄島で撮影された映画。

   *バゴォン!* *ドゴォン!*  軍艦からの艦砲射撃

  「我が軍の歴史上最も過酷な26日間が始まった。」


 ・約100人のカメラマンを動員して撮影された戦場の姿。
  クライマックスは兵士達が硫黄島山頂に星条旗を掲げられる場面。

  この映像は今に至るまで“勝利のシンボル”として米国の歴史に刻まれた。


 ・この映像の撮影を指示した人物が今も健在であることが判った。

 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊
  硫黄島の映画は国民を戦争へと駆り立てるために制作されたという。
  (※杖を付いて歩くのがやっとの姿。当時を知る生存者達は皆老いている・・・ )

  プロパガンダの目的は人の心を操作することです。
  観客に次々と刺激を与え続けるのです。

  戦争がどんなものか伝えることで、
  国民を積極的に戦争に協力させることができるのです。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆太平洋戦争中、日米双方で敵に対する憎しみを煽り、
  互いの人間性を否定するプロパガンダを繰り返した。


   日本側が作成したポスター      米国側が作成したポスター

  < 日本人を殺せ!         < 6TH WAR LOAN ※革靴で踏みつける
    日本人を地球から抹殺せよ!      額縁丸眼鏡を掛けた人面ヘビ
                      HELP STAMP OUT THIS
    米鬼断じて撃つべし(?)  >    SNAKE-IN-THE-GARSS        >

                   ※信用できない日本人をヘビのように踏み潰せ

                 Gettysburg Times - Google News Archive Search


  日本映画
 『學徒出陣』
  雨の中を黒い制服を着た学生達が銃創槍を片手に行進していく。

  日本は「国民全員が国のために命を捧げる」よう鼓舞した。


  米国映画
 『敵を知れ』“Know Your Enemy - Japan”
  一方、アメリカも日本人に対する敵愾心(てきがいしん)を植え付けていく。

  「バンザぁイ! 万歳ッ! バンザぁイ! 万歳ッ !! *笑顔の日本兵達* 

   我々の敵・日本は狂信的な兵士400万人を擁する。
   国民全員が自殺覚悟で世界征服を狙っている。   」


 ・こうした映画のために撮影されたフィルムは
  米海兵隊のモノだけで約3千本。その未編集の素材を今回番組は入手した。
  (※戦争の実態を伝えるため、遺体の映像そのままのものが地上波にて放映された)

  米国映画では決して公開されなかった映像。遺体を冒涜する米国兵の姿など
  米軍にとって不都合な映像は巧妙に隠されていた。
  (日本兵の死体から身に付けているモノを剥ぎ取る米兵。
   日本兵の死体の山から痛ましい姿をわざわざ持ち上げ勝ち誇り笑う若い米兵達。)
     ※近年のイラク戦争時の捕虜虐待など全く改善されていないことが覗える。


 ◇元米海兵隊
  日本兵の死体から奪った刀です。  ※立派な一本差しの刀
  日本兵は米国兵の死体を痛めつけ、我々もやり返しました。
  実際の戦場は映画とは全くかけ離れたものでした。

   銃撃戦      ロケット弾?
  *バァン、パァン* *ヒューゥルル、ドオォン!*  戦場シーンをカラー映像に補正

   当時の新兵器「火炎放射」の凄まじい距離、燃えさかる炎の光線。(驚)


 ・国家が戦争を推し進めるためのプロパガンダ。
  憎しみはどのように生み出され、エスカレートしていったのか。

  隠されてきたフィルムと証言から、その真実に迫る。

 

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┣■太平洋戦争 アメリカの戦略(調達)


  1941年12月7日(アメリカ時間)
 【真珠湾攻撃
  日本によるこの先制攻撃で太平洋戦争は始まった。

  ◇ルーズベルト大統領 ※翌日1941年12月8日 アメリカ合衆国議会に於いて
   12月7日は屈辱の日として、将来に渡って刻まれるだろう。


 ◆この年1941年、対日戦の主力を担う米海兵隊に戦場を記録する『映像部』が
  初めて設立された。

  その創設メンバーの一人が、
 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊 映像部
  撮影部隊の責任者を務め、検閲にも深く関わったアメリカの映像戦略の内実を知る
  数少ない生き残り。

  当時、人々は戦場がどんなものか全く知りませんでした。
  全てを変えたのが“映像”だったのです。


 ・ハッチ氏らには重要な任務が与えられていた。戦場の最前線をつぶさに記録し、
  「国民の戦意高揚に繋げる」ことだった。


 ・当時、破竹の勢いで勢力圏を拡大していった日本。    ※僅か半年程で・・・
  しかし1942年6月『ミッドウェー海戦』での大敗を機に戦局が大きく転換した。

   1942年夏
  ・日本軍の最大進攻線
   北はアンツ島から南東のタラワ島、ガダルカナル島からインドネシア諸島、
   東南アジア諸国のベトナムを含む・西はビルマ(ミャンマー)まで進攻した。

   1943年設定
  ・日本の絶対国防圏
   北は千島列島から南鳥島マリアナ群島(サイパン・グアム)インドネシア諸島、
   東南アジア諸国のベトナムを含む・西はビルマ(ミャンマー)までは絶対死守圏。

   アリラン峠の石神の画像|エキサイトブログ (blog) ※日本軍の勢力圏図


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 ◆戦いの中心は太平洋の島々へと移っていく。

  1943年11月
 【タラワの戦い】
  米国軍は当時日本軍が守備する島の中で最も東に位置する【タラワ島】へ迫った。

  4600人の日本兵が待ち受ける島。この【タラワ】は米海兵隊が上陸から地上戦までを
  最前線で撮影した初めての戦場となった。

  ハッチ氏にとっても初めての最前線だった。

 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊 映像部
  どんな戦いになるか予想もつきませんでした。
  とにかく目の前で起きることを全て撮影しようと万全の態勢で臨みました。


 ・この時、米海兵隊は海から陸へそのまま侵入できる新型の水陸両用車を初めて投入。
  ハッチ氏も同乗し米兵士と共に上陸した。

  その最初の映像では手前に居る米兵が日本兵を撃つ瞬間を至近距離で捉えている。

  この映像はそれまで記録されたことがないものだったという。

 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊 映像部
  敵にカメラを向け、機関銃を構えた兵士の頭越しに夢中で撮影しました。
  日本兵はカメラを横切るように逃げました。
  攻撃する米国軍と敵の両方を一つの画面に収めた瞬間でした。
  こんな映像を撮ったのはアメリカで私が初めてだったんです。


 ・3日間の戦闘で日米合わせて約7800人が死傷した。
  この映像を米国政府は『戦費調達』のプロパガンダにしようとした。
  その中心となったのが、
 ◇モーゲンソウ 長官(当時) 米財務省

  <モーゲンソウ長官の日誌>
   December 14,1943  ※米政府関係者と電話で話した記録が残っている。
   4:35 p.m.

  長官:【タラワ】の映像が凄いらしいね。
  相手:えぇ、海兵隊はかなり自信を持っています。
     ただ、地上戦なので血生臭い映像が多いようです。

  長官:それは好都合だ。刺激が強いほどありがたい。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆【タラワ】の映像に目を付けた米財務省
  この時アメリカはヨーロッパと太平洋、二つの戦線を戦うために
  年間790億ドルに及ぶ戦費を必要としていた。
  これは開戦前の米国家予算の6倍に相当する莫大な額だった。

  モーゲンソウ長官は『戦時国債』を大々的に売り出した。

 ◇モーゲンソウ 長官(当時) 米財務省
  完全なる勝利のために、国民一人一人が全力を尽くさねばなりません。
  アメリカ国民としてその決意を示す最善の方法があります。
  それは少しでも多くの『戦時国債』を買うことです。

  米国映画
 『私たちの戦争』“It's Everybody's War”Narration by HENRY FONDA
  これは【タラワの戦い】の前に米財務省が『戦時国債』を売るために利用した映画。
  しかし『戦時国債』は思うように売れなかった。
  当時の映画は“ドラマ仕立て”の現実味のないものだった。 ※撃たれたシーンなど
                               確かにショボすぎる
 ・米国民の多くにとって太平洋での戦争は、
  まだアメリカ本国から遠く離れた出来事だった。 ※アメフトの試合で大観衆が熱狂
                          している。太平洋戦争中なのに

                       開戦から2年後
  <米国民は戦争をどのように考えているか> 1943年10月【NORC】調べ

   ・深刻に考えている  40%
   ・深刻に考えていない 54%  ※半数を超えている。
   ・判らない       6%


 ・そこで米財務省は【タラワの戦い】の実戦を見せることで国民の危機感を煽り、
  『戦時国債』の販売に繋げようとした。

  米国映画
 『海兵隊と共にタラワへ』“With the Marines at Tarawa”
              OFFICIAL U.S. MARINE CORPS PICTURES
              Printed in TECHNICOKOR
  映画はハリウッドで活躍するナレーターや編集・音響効果など
  一流のスタッフによって制作された。

  *バゴォン!ドゴォン! バゴドォン !! * 

  「艦砲射撃の次は戦闘機の出番だ。」

  *フゥゥゥゥン、バボオォォン!*  「爆弾投下」

  爆音が響き渡る中、大きく揺れる上陸艇で不安げに沈黙する米海兵隊員達。

  *バゴォン!バゴォン!バゴォン!* 「いよいよ上陸だ」

  戦闘機群が上陸を援護するため爆撃。噴煙が高く舞い上がる

  ウミガメが産卵するかのように砂地に身を潜める米海兵隊員達。
  死傷し担ぎ出される者の姿も映し出されている。

  実戦の映像だけで描いた初めての映画だった。

  「日本兵の陣地を叩き潰すのは容易でない。
   彼らは木の陰や洞穴に潜んでいる。」

  *パァン!パァン!* *ダダダダダダダダッ !! *

  機関銃など当時としては大そうな武器を使用しても、
  負傷する米兵の姿は後を絶たない。そんな映像が流されている。

  「手榴弾を投げ込むと-」  *バゴォン !! *

  「隠れていた敵が出てくる」 *バァン!パァアン!* 狙い撃ち

  *バボオォォー*  白黒映像だが相当な威力が伝わる火炎放射器


  第二次世界大戦中で初めて米兵の遺体の映像が国民の目に曝された。

  「戦死した海兵隊員達。               ※砂地に横たわる死体群
   戦争で我々が払わねばならぬ犠牲とはこういうものだ。 波打ち際に打ち寄せた
   戦争が終わるまで犠牲者は増え続けるだろう。」    かのような死体の壁。


 ・この映像は戦争に関心を持っていなかった米国民と戦場との距離を一気に近づけた。

  米財務省はこの映画を戦費調達のため、全米の映画館や学校などで大々的に上映。
  撮影したハッチ氏も『戦時国債』の販売キャンペーンに一役買ったという。

 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊 映像部
  米財務省は「どうしても戦費がいる。全国を回って助けて欲しい」と言いました。
  会場には4千人もの人々が押し寄せました。
  ステージから転げ落ちそうになりましたよ。(笑)
  その場で『国債』が飛ぶように売れました。
  後で米財務省から連絡があって「あなたのおかげで100万ドル以上調達できた」
  と言われました。誇らしい気分でしたよ。


 ・このキャンペーンでは1ヵ月で167億ドルの国債を販売。
  第二次世界大戦における日本の戦費の約3割に当たる額だった。

 ・映画『海兵隊と共にタラワへ』はアカデミー賞を受賞。
  映画MOVIESを利用して調達した巨額の戦費。アメリカは日本への攻勢を強めていった
  “MOVIES ARE WEAPONS”「映像は武器だ」 ※新聞紙面の見出しとして打たれている

 

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┣■劣勢が続く日本のプロパガンダ


  「 壮烈、南太平洋に
    護國の華と散った英霊
    報ゆるの道は唯一つ
    仇敵米英の反攻を撃砕
    以って皇國を磐石の安きに置くあるのみ
    さらば一億挙げて戦闘配置へ      」


  日本映画
 『学徒出陣』
 

cgi2.nhk.or.jp

  1943年11月。兵力不足を補うため『学徒出陣』が行われた。

  秋雨煙る【明治神宮外苑競技場】。

  「全日本学徒が多年、武技を練り、技を競ったこの聖域に
   大君に召されて戦いの庭に出で立つ若人。・・・ 」

  戦地へ赴く学生は約10万人。 ※笑顔で勢いよく手を振り上げる学生達が目立つ
                  今の北朝鮮の国民と何ら変わらない・・・
                  スタンドもグランド内も毅然と整列された学生で
                  ビッシリ。そんな地だったことを思うと心が痛む

 ・若者たちの勇壮な姿を強調し、国民の戦意を高揚させた。


  <戦意高揚ポスター>

   「国民総蹶起」「心も武装せよ」「米鬼断じて撃つべし」


  アメリカは血も涙も無い鬼であると繰り返し宣伝した。

 

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┣■アメリカのプロパガンダの変遷


  1944年6月
 【サイパンに戦い】
  日本の戦況は更に悪化。絶対国防圏の内側に位置する【サイパン】に米国軍が侵攻。
  この戦いを気に米国軍の日本人に対する認識が大きく変わっていく・・・ 。


 ・【サイパン】には日本の民間人、約2万2千人が暮らしていた。
  当時人々の間では、
  捕虜になれば男性は八つ裂きにされ、女性は辱めを受けると信じられていた。

        ※上着を着ていない母子の姿(被災者そのもの)も映っているが、
         降伏に素直に応じたのか身なりのきちんとした家族連れの姿も多い。

  米国・兵士教育用映画
 『サイパン作戦』“Operation Phase I Saipan”
  米海兵隊が撮影したフィルムには多くの民間人が自ら命を絶つ様子が記録されている
  ※有名な女性の身投げシーン。カラー映像で初めて見た。

  フィルムでは民間人に投降を呼び掛けている米兵が映し出されていた。
  今も健在であるあることが判った。

 ◇ロバート・シークス(93) 元大尉 米海兵隊 情報部
  「コンニチハ」 ※とても流暢な日本語で出迎える。とても優しげな顔をしている。

  「シンパイしないでぇ。安全に出てきてクダサーイ。」

  丁寧な言葉遣いをしました。「出て来い」ではなく、
  「どうか出て来て下さい」と言ったんです。


 ・シークス氏の呼び掛けで多くの民間人が投降した。
  しかし自ら命を絶った人も少なくなかったという。

  シークス氏はその様子を目の当たりにした。

 ◇ロバート・シークス(93) 元大尉 米海兵隊 情報部
  赤ちゃんを抱いていた母親の姿は忘れられません。
  彼女は暫く躊躇していましたが、覚悟を決めて赤ちゃんを投げたんです。
  それから母親が3~4歩、歩いたかと思うと自ら身を投じたのです。

  後になってこの場面が撮影されたことを知りました。
  それを見た時はさらにショックを受けました。


  フィルムには海面に浮かぶ赤ちゃんの遺体、女性の遺体も映されていた・・・ 。
  ※今回の放送でこの場面が収録されています。私は戦争の悲惨さを学ぶためにも
   知っておくべきことだと思いますが、遺体を見たくない人はご遠慮下さい。
   あの有名な身投げシーンの真実がこの映像にしっかりと刻まれています。*合掌*


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  1944年8月19日付
 【新聞一面】 ストックホルム渡邊特派員17日夜

  「 壮絶・サイパン

    岩上、大日章旗の前
    従容、婦女子も自決
    世界驚かす愛國の精華 」


 ・【サイパン島】における民間人の死を巡って、日米双方はプロパガンダを加速。
  日本では民間人の自決を称えた。

  日本ニュース
 『国土戦場 サイパン島守備隊玉砕』

  「サイパン島の在留邦人は、概ね将兵と運命を共にせるものの如し。」

 ・子供達にも軍民一体化の教育が徹底された。  ※校庭で太いハチマキをして
                         整然と並ぶ小学生達。
  ◇民間兵の服装の先生(?)           皆真剣な面持ち。
   サイパンは婦女子までも弾丸を糧食を運んで  中には栄養失調気味の子も映る。
   運命を共にし、壮絶なる戦死を遂げられました。

  ◇男子生徒
   先生、僕たちはきっと米英をやっつけます!

  「その誓いは我が身を以って太平洋の防波堤足らん。」


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ・一方、アメリカは撮影した映像を「日本人は異常だ」というイメージ繋げていった。

  米国・兵士教育用映画
 『サイパン作戦』“Operation Phase I Saipan”
  日本では民間人も軍人と同様に自ら進んで死を選ぶ、と教えている。

  「日本のプロパガンダは民間人に“投降より死を選べ”と叩き込んでいる。
   そのため多くの民間人が断崖から飛び降りたのだ。」


 ・この映画で使われることなく、隠されてきたフィルムも見つかった。

  女性や子供の遺体など日本人への同情心を呼び起こす映像は
  その後もアメリカ国民の目に触れることはなかった。
  ※断崖で身投げせずに死んでいる遺体。
   海岸で焦げた遺体が大の字になって大人、子供を問わず横たわっている。
   かなり近くまで寄って撮影されている。焦げた遺体の山に集る小バエが舞っている
   断崖から放り投げられた赤ん坊の遺体。うつ伏せになってぷかぷか漂う・・・ *合掌*


 ・長年、太平洋戦争を研究し、ピュリツァー賞を受賞した『敗北を抱きしめて』
 ◇ジョン・ダワー 歴史学者 名誉教授 マサチューセッツ工科大学

  サイパンで母親と赤ん坊が崖から身を投げた光景は、
  アメリカ国民にとって大きな衝撃でした。

  こうした映像は我々の敵“日本人は狂信的なのだ”というイメージを
  アメリカ国民に植え付けました。

  この戦争に勝つためには、あらゆることをしなければならない。
  日本人には哀れみなど無用なのだと国民に思い込ませたのです。

  そのことが、その後の日本の都市を標的とした“爆撃”への支持にも
  繋がっていったのです。


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 ◆【サイパン】陥落後、アメリカは日本本土への空襲のため
  『新型爆撃機B29』の生産を急ピッチで進めていった。
   Boeing ON TO TOKYOの垂れ幕が機体に貼られている。
   その機体の周りを大勢のアメリカ国民(工場労働者)が笑顔で支え、移動させている

 ・生産力を高めるため、米政府は軍需工場向けのプロパガンダ映画も制作していた。

  米国映画
 『正義』“Justice”

  「皆さん、今日は日本兵を殺しましたか?
   ここはアメリカ・America.
   我々は機械で、力で、汗で、正義をもたらす。Justice.」

  正義のために「日本人を殺すのは正しい」と恣意的な編集で強調している。

  「米兵捕虜を拷問し、飢えさせ、殺害した日本兵に対し正義をもたらす。*パァン!*
   アメリカには答えがある。
   全ての戦車が、 日本兵を殺す!  *ハエが集った日本兵の遺体*
   全ての戦闘機が、日本兵を殺す!  *土壕に横たわる日本兵の遺体の山*
   全ての砲弾が、 日本兵を殺す!  *遺体の山。中には剥ぎ取られた姿もある*

   皆さん、今日は日本兵を殺しましたか?
   How are all of you , whether killed Japanese soldiers today ? 」

   ※サブリミナル効果を狙ったかのような繰り返しの映像とエコー掛かった音声。
    英文は多分こんな感じかと。外国語は苦手なので自信ありません。(恥)


  日本人を人間とみなさず、哀れみは無用という考えを国民に広く浸透させていった。
   ※額縁丸眼鏡を掛けた人面ヘビのポスター。出っ歯だったりもする。


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┣■アメリカのプロパガンダを変えた戦い

 1944年9月
 【ペリリュー島の戦い】

  米国映画
 『太平洋の怒り』“Fury in the Pacific”
  【ペリリュー島の戦い】を描いたこの映画では、米国軍が日本軍を圧倒する
  場面を強調している。

  初めて導入された新型の殺戮兵器
  『火炎放射器
   130m先まで炎を飛ばすことが出来る。 ※戦車砲から火炎が放射されている
                        その長さ・勢いにカラー映像だと
                        より圧倒されてしまう・・・ (驚愕)

  *ダダダダダダダダッ!* 機関銃砲

  「我々は太平洋の島々で25万人の日本軍を打ち破った。※機関銃を撃ちながら
   この戦争に勝利するまで戦いは続くのだ。」      前進する米兵達。
                             ロケット砲まである。

 ・しかし勇猛果敢な映画の裏に、疲弊しきった米兵士達の姿も記録されていた。

  米海兵隊の撮影部隊の創設に関わったハッチ氏はその後、軍の命令で
  映像を検閲する任務にも就いていた。

 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊 映像部
  これが検閲報告書です。    U.S. MARINE CORP
             MOTION PICCTURE FILM-CENSORSHIP REPORT

 ・200頁に及ぶ検閲報告書。ハッチ氏自身が作成したものだという。

             9 October 44 Peleliu  1944年12月9日

             RESTRICTED        公開制限

             CONFIDENTIAL       機密


 ・米国民の間に“停戦気分”が広がらないよう、厳しく検閲していたという。

  こんなものは米国民に見せられません。  ※死後硬直して横たわりながら右手が
                       上がったままの惨たらしい遺体(苦)
 ・カラーフィルムで生々しく記録された    また負傷した米兵もその壮絶ぶりが
  アメリカの負傷兵達。           克明に撮影されている。


 ・この戦いで米国軍は約1万人の死傷者を出していた。
  しかしこうした映像は全て封印されていた。

  こんな映像が表に出て、兵士の母親や奥さんが見たらショックを受けるでしょう。


 ・検閲された映像の中には錯乱状態に陥った米兵士の姿もあった。
  凄惨な戦場で正気を保つことが出来なくなる兵士が相次いでいた。

  米司令部は米国兵の遺体や負傷者の映像を公開すれば、米国民が戦争に対して
  悪いイメージを抱くと恐れていました。「不都合な映像」を排除することで
  リスクを避けたのです。


 ・この戦いで米海兵隊の死傷率は最悪を記録した。
  【ペリリュー島の戦い】を機に、米国軍は不都合な映像を検閲し
  厳しく管理するようになっていった。


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 1945年2月~
 【硫黄島の戦い】
  米国軍はついに戦前からの日本領土である【硫黄島】に迫った。


  日本ニュース
 『硫黄島』
  硫黄島の守備隊の様子を伝えている。
  守りの拠点は島で最も高い『摺鉢山』

  「摺鉢山の下、陸海の精鋭は打って一丸、  ※手榴弾の的投げ練習。
   日夜訓練に訓練を重ねた。」        貧弱な鉄砲。米海兵隊とは
                        明らかに装備に差が有り過ぎる(苦)
  2万人の守備隊で徹底抗戦すると誇示している。

  「君が代を永久に安けき御戦へ。      ※砲身が短すぎる細穴すぎる戦車。
   硫黄の島に屍さらさむ。」         あぁ、あまりにも無茶な戦いだ(哀)


 ・対するアメリカは、日本本土への決戦を前に
  米海軍省のトップ・フォレスタル長官(当時)自らが【硫黄島】に赴いた。
  そこには強い危機感があった。

 1945年2月
 【ヤルタ会談
  【硫黄島の戦い】の直前、連合国の首脳が集まり、既に戦後処理の枠組みが
  話し合われていた。米政府はその一方で「終戦は近い」と米国民の間に
  「楽観ムード」が広がることを危惧していた。

 ◇フォレスタル 長官(当時) 米海軍省
  モーゲンソウ 長官(当時) 米財務省とのやり取り。

  国民に戦争の必要性を理解させるには、戦場で戦う兵士の「英雄的な行為」が
  最も効果的だ。


 ・【硫黄島】にはこれまでで最大の100人にもなる撮影部隊をハッチ氏が率いる
  ことになった。

 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊 映像部
  長官自ら危険な戦場に足を運んだんですからね。あの時は皆本当に驚きましたよ。


 ・米国軍が目指したのは日本軍が拠点を置く、あの『摺鉢山』の山頂だった。

  ※海上からの艦砲射撃、空からの爆撃と容赦ない攻撃ぶりが撮影されている。

  <上陸5日目>
   『摺鉢山』山頂に辿り着いた米国軍が星条旗を掲げた。
   まだ戦闘が続く中、撮影できたのは写真のみ。旗も小さなものだった。
   ※5人の兵士のみ。7m程の高さの細長い棒に小さな星条旗。確かに地味だ。


 ・それを見たフォレスタル長官の一考で、より大きな旗を改めて掲げ直す命令が
  出された。ハッチ氏は急遽その撮影を指揮したという。

 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊 映像部
  上層部が「あれではよく見えないので、もっと大きな旗を掲げたい」と言いました。
  まだ戦闘が続いているのにですよ。
  私は二人の部下に「撮影の目的は秘密だ」と釘を刺して『摺鉢山』に送りました。


  こうして実際に山を制圧したのと別の兵士達が集められ、星条旗を改めて掲げた。
  カメラマンが待ち構える前で、計算されたアングルで、決定的な瞬間が記録された。
  THE LEATHERNECK FAN-海兵隊の歴史:第2次世界大戦 硫黄島-


 ・その2日後、アメリカ各地の新聞は一斉にこの姿を報じた。
  続いて映画も公開された。

  米国映画
 『硫黄島を目指せ』“To the Shores of Iwo Jima”Printed in TECHNICOLOR

  「500隻の上陸艇が海岸を目指す。」

  『摺鉢山』に星条旗が掲げられるまでがドラマチックに描かれている。

  *ピュン* *ダダダダダダダダダダッ!* *ピュン*

  *ドゴォン!*   「海岸で早くも苦戦。
  *ピュン*      敵の弾が降り注ぐ。」     ※単発で弱々しい銃声・・・

  「72時間の攻防の後、ようやく我々は前進する。」 ※匍匐前進
                            ほふく
  「兵士達が摺鉢山を登る間、砲撃は一時停止。    ※上空に戦闘機が飛ぶだけ
   吉報を待つ。」                  兵士を見守っている演出か

  *テッテテテー* 星条旗を掲げる米兵士達(7人?)

  「『摺鉢山』は我らのものだ!」


 ・映像は米国民を熱狂させ、戦争を継続していく原動力となった。

 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊
  あの米兵士達の姿は我が国の“シンボル”となりました。
  国民は湧きました。

  「我々も兵士達と一緒に星条旗を掲げよう。共に戦い抜こう」と思ったのです。


 ・国民の戦意を再び高めるために英雄を必要だとしていた米海軍省と米財務省

  米国映画
 『硫黄の旗がシンボルに』“Iwo Flag to be Symbol of 7th Loan”
  本来2回目となる星条旗を掲げた兵士達を英雄として呼び寄せた。
  そして『戦時国債』のキャンペーンを大々的に行った。

  「この星条旗と『摺鉢山』で旗を掲げた英雄達の歴史的な姿。 ※ボロボロの旗
   これこそが今回の『戦時国債』のシンボルです。       過剰演出か?
   これに優るものはないでしょう。」


 ・【硫黄島】の映像で『戦時国債』の販売額は過去最高を記録。 ※星条旗を掲げる
  こうしてアメリカは全戦費の6割に当たる額を国債で調達した。 銅像も造られた。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆アメリカ本土で人々が熱狂していた頃、
  【硫黄島】ではまだ血で血を洗う戦闘が続いていた。


  *ババァン* *ババァン* *ババァン*  ※機関銃の弾のように連射されていく
     巨大な砂埃が舞う戦場       巨大なロケットミサイル。(驚苦)


 ・死傷者は米兵側も日に日に増え続け、
  それまでで最大の2万人を超える自体になっていた。 ※砂地に埋もれる米兵の数々

  【硫黄島】で最後まで戦った
 ◇ロバート・ミューラー(91) 元伍長 米海兵隊
  映画の中の戦場は、実際に戦ったものとはかけ離れたものだったという。
                                    ポスター
  このイメージは現実とは全く違います。   ※『摺鉢山』山頂に掲げられた星条旗
  米国民には想像も出来ないでしょうが、
  戦場は虐殺された死体がそこら中に散らばり、
  腐敗した臭いに覆い尽くされていました。
  まさに地獄でした。

 ・ミューラ氏は戦場で目にした仲間の無残な姿が今も脳裏から離れないという。

  仲間は銃剣でメッタ刺しにされ、局部を切断されていました。
  敵が見せしめのためにやったのでしょう。

  我々も敵の死体を痛めつけました。
  それが戦争というものです。


 ・憎しみが憎しみを呼ぶ、凄惨な戦場。            ※火炎放射器
  米国兵は日本兵が潜む洞窟を、片っ端から焼き尽くしていった。 手持ちと戦車と有
                                凄まじい威力火力
  一方、日本軍は地下に張り巡らせたトンネル陣地で徹底抗戦した。

  【硫黄島】で最後まで戦った
 ◇秋草鶴次(88) 元兵長 日本海軍 通信兵
 ・潜んでいた洞窟にガソリンを混ぜた水が洪水のように押し寄せて、
  一面が火の海になったという。

  ドカーンと音がしたんだよ。後ろ振り返ったら、そこに水が燃えてるの。みんな。
  その水にガソリンを混ぜたんだね。その中が、炎が轟々たる・・・


 ・秋草氏の目の前で仲間達が生きたまま焼かれていったという。

  この皮がみんな捲れてぶら下がっているの。そうするとこの中の(頬の)血が
  みんなブーって玉になって噴き出しちょる。それで熱いから潜る。*身を屈める*
  それでいられないからまた出てくると、もう真っ赤!火がブワーブワーブワーって
  こうなったらもぉ、なんていう情景だ、これなんて言うんだ。
  こういうのをなんて言葉で表すのか、言葉が見っかんないよ、俺には!(怒と諦顔)


 ・日米合わせて5万人の死傷者を出した壮絶な戦闘。 ※白く立ちこめる煙の中で
  星条旗が掲げられた後の、1ヵ月以上に渡って    日本兵の焼かれたばかりの
  続けられた。                   遺体が映し出されている。
                           これは、惨い。酷すぎる。

  作られた英雄のイメージの陰に、伝えられなかった戦場に現実があった。


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┣■米国軍 日本上陸作戦


  日本ニュース
 『南西諸島 陸の特攻隊出動』
  【硫黄島】の戦況が報じられる中、日本軍は捨て身の特攻作戦を繰り返していく。
  

cgi2.nhk.or.jp

  「硫黄島を侵した敵アメリカは、ついに・・・

   ここ、我が陸軍最前線航空基地に、必殺の気、みなぎる。
   この快報を受けて、我が特攻隊はただちに進発。

   戦友の手をしっかと握って、明るく笑う若武者たち。

   *ブウゥゥゥーン* *ブゥゥゥーーン*

   1機、また1機。見事な離陸を開始。
   祖国へ永久の別れを告げる翼を振って。

   *ブウウゥーーーー*  」


  日本ニュース
 『国民学校の防空演習』
  一方、市民に向けては本土空襲に備える映像が流された。
  

cgi2.nhk.or.jp

  「アメリカが死に物狂いの反攻をやりだした今、 ※長ハシゴに防空頭巾を被って
   その無謀な空襲への備えは良いか。       防災・バケツの受け渡しリレー

   一見、ものすごい威力を発揮すると思われる  ※これが後に関東大空襲での
   この大型焼夷弾も、訓練ある隣組防護団員の   多大なる犠牲者を出した原因か
   消火の前には常備の砂・むしろ・防火用水で   自分達で消火する・逃げるのは
   立派に消し止められ、             卑怯者と教育されたと言える。
   アメリカが捉える日本本土空襲も        軍上層部の責任は相当重い・・・
   全く恐るるに足らないのであります。」


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 『米軍 日本上陸作戦計画書』“DOWNFALL”
  狂信的で敵意に満ちた民間人。Fanatically hostile population.

  日本人は兵士だけでなく民間人も狂信的で敵意に満ちていると記されている。


 ・この前提の元、米国軍の敵国日本の民間人を巻き込んだ戦いが始まった。


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  1945年3月~
 【沖縄戦
  海から60万発を超える砲弾を発射!   ※凄まじい勢い、そして数。煙で
  空からは的確に映る爆撃が繰り返される。  艦艇上空に黒い雲が出来ている

  民間人約10万人が犠牲となった激しい戦闘が行われた。 ※ほぼ一方的。

  【硫黄島】でも使用された火炎放射器が沖縄の木々を焼き尽くす・・・


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆そしてさらに日本国内約200都市へ空襲が繰り返された。
  ※『新型爆撃機B29』の群れが空を覆い尽くす。
   大量の大型焼夷弾がまるで手の平からこぼれ落ちる米粒のように
   上空から撒かれる。日本の戦闘機では届かない空高くから・・・

  いわゆる無差別攻撃によって、         ※黒焦げの遺体。炭だ(怒)
  女性や子供も含む約20万人が命を落とした。   左足が上がったまま。
                          足元に小さな焼死体。*合掌*


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆そんな最中にアメリカで作られていたプロパガンダ映画が、

  米国映画
 『敵を知れ』“Know Your Enemy - Japan”
  占領地などで入手した日本の映像を編集・作られている。

  日本では兵器の生産を一般市民が担っているとし、
  都市への爆撃の正当性を訴えている。

  「大規模な工場だけではない。
   日本では機械生産の64%は
   従業員5人以下の町工場で行われる。」

  日用品を作る民間人の映像と兵器の映像を組み合わせて
  イメージを操作している。

  「この狂信的な国は労働者の汗を兵器に変える。
   銃に変え、    *バゴォン!*
   戦闘機に変え、  *ブゥゥゥー*
   戦艦に変え、   *バゴォーン!*
   戦争兵器に変えた。*ガガー* 戦車の行進

   万歳ぃ!万歳ぁぃ!*万歳三唱する大衆*

   狂犬を撃ち殺すように、この国を滅ぼさねばならない。*パアァン!*」


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆そして、

  1945年8月6日  1945年8月9日
 【広島 原爆投下】【長崎 原爆投下】
  8月に入ると【広島】と【長崎】に相次いで原爆を投下した。

 ・米国軍が映画『敵を知れ』を公開したのは、原爆が投下されて
  【長崎】が焦土と化した1945年8月9日のことだった。


 ・原爆投下から一ヶ月後、ハッチ氏は撮影部隊を率いて【長崎】に入った。

 ◇ノーマン・ハッチ(94) 元少佐 米海兵隊
  何もかも見渡す限り破壊され尽くしていました。
  かろうじて残っていたのは教会だけでした。
                         ※この一ヶ月後の映像では
                          荷台を引く、自転車に乗る
 ・想像を超えた原爆の被害。            人の姿が確認できる。身なりも
  被爆者にカメラを向けることはできなかったという。綺麗だ。放射能ということ自体
                          知らされていないのだろうけど
                          遺体は見当たらなかった。

  一度戦争が始まってしまったら、誰にも止めることはできません。
  例え途中で「間違いだ」と気付き「こんなはずではなかった」と思っても
  手遅れなのです。

  映像は使い方によって強力な武器となります。
  国民を動かし、戦争へ積極的に協力するよう導くのです。

 

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┗■戦争とプロパガンダ

  アメリカ
 【ワシントン郊外】
  “戦場の英雄”としてシンボルとなった『硫黄島の兵士像』。
  今でも夏となると「国のために命を捧げた兵士達を称えよう」と
  多くの人々が集まるという。


 ・あの【太平洋戦争】から70年。
  国家が戦争を推し進めた時、憎しみはどのようにエスカレートしていくのか
  真実はいかに隠されるのか。

  戦場の映像が訴えかけている。

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・既に日記の方でも是非一度見て欲しいと熱く語っておりますが、今宵少し
  気が重い面持ちで、放送内容を文字起こししてみました。映像をご覧に
  なられた方々の少しでもお役に立てれば幸いです。またまだご覧になって
  いない方はオンデマンドで有料となってますが、いつ消されるか分からない
  代物だと思いますので、戦争という大きな過ちを犯した同じ日本に住む者
  として、記憶に留めて欲しいと願ってやみません。
  

www6.nhk.or.jp

┣・但し文中でも触れておりますが、かなりショッキングな映像になってます。
  地上波でこれだけのものが放映されたこと自体、驚くべきことなのですが
  ドラマではない現実がこの映像の中にあります。遺体など見るのがダメだ
  忍びないと思われる方は、この拙い文面で留めてもよろしいかと存じます。

┣・さて三度見た私の感想ですが、想像以上の戦力・火力の差に愕然とします。
  映画『硫黄島からの手紙』など、その戦力差の真実を伝えたら欧米人から
  どのような反発を受けるか分からないからと過剰な演出をしていたとしか
  私には思えませんでした。それでも多大なる犠牲者を米国軍側も出します。
  あちらの指揮官は有能なのでしょうか? 『Justice』 論調も未だに全く
  同じようにしか見受けられないし、『傍若無人』だとしか言い表しようが
  ないです。(苦)

┣・私は市ヶ谷の【防衛省】で、栗林忠道陸軍大将の絵葉書の実物を閲覧した
  ことがあるのですが、渡米して敵国の戦力は容易に想像できたと思います。
  開戦を何度も危惧したという話もきっと事実なのでしょう。そんな状況で
  あんな貧弱な戦力・火力で「徹底抗戦しろ」だなんて無謀もいいところ。
  【硫黄島】地下に広大に張り巡らせたトンネル陣地でゲリラ戦を展開して
  対抗。恐ろしく優秀だったことが伺い知れます。本当に優秀な者であれば
  即座に降伏しているという意見も聞かれそうですが、それはここでは置く
  ことにして・・・ 。私欲な権力闘争が軍上層部を瓦解させたのでしょう。

┣・プロパガンダに関しては、改めて“一方通行”な情報源に頼らない重要性
  を認識させられました。酷すぎます。幸いにして私は“反骨精神”いうか
  “ひねくれ者”として脱皮できましたが(苦笑)、実際にメディアを通じて
  報じていた方々は当時どのような思いで語っていたのでしょうか? 少し
  気に掛かりました。

┣・都合の悪い話は現在でも行われています。スポンサーの悪口は言えてない
  のが今のメディアです。悪いことは鋭く指摘してあげるのが本当の意味で
  強い絆を結べると思うのですが、契約金さえ貰えれば絆など関係ないよう
  です。一見『傍若無人』にしか映らないアメリカさんですが、このように
  ある程度期間が経てば真実を公開する国民性は大したものだと思いますね。
  50年でしたか? 同盟国として日本はそんなワガママなアメリカを糾す
  意見を述べる役割を世界中の国々は期待していたかと思うのですが、残念
  ながら、ただ貿易上の返答を先延ばしするくらいの抵抗力しかありません
  でした。「責任を一手に担う・強いリーダー」が本当に現れません。小泉?
  あれは全てが中途半端で終わってしまったからねぇ。


┗・話が思っていたのとだいぶズレてしまいました。いずれ語る時も来るでしょう。

  取り急ぎ、夏休み中で戦争問題を考える意欲が高まっている内にと思い、
  掲載することにします。よろしければ是非一度、当番組をご覧下さい。
  

www6.nhk.or.jp