今だから分かった!『あさま山荘事件』
2015/06/13(土)<今だから分かった!『あさま山荘事件』>
【リアリTV】 http://www.ntv.co.jp/realtv/
*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。
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┏┓最新科学 <今だから分かった!『あさま山荘事件』>
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かつて日本で起きた事件や出来事の記録映像を、
現在の画像・音声鮮明化技術や丹念な取材によって再検証、
その出来事の新たな真相やこれまで注目されることのなかったポイントを発掘!
そこから今、私たちが学ぶべき教訓が見えてくる・・・
http://www.ntv.co.jp/realtv/onair/20150613.html
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テレビ局に眠る膨大な取材テープ
人々の記憶に残る重大事件
その中に時間の経過とともに風化してしまった知られざるシーンがないか?
未公開のテープをチェックし、新たな真実に迫った
1972年2月
┣『あさま山荘事件』
銃で武装した連合赤軍5人が管理人の妻を人質に取り、立て籠もった。
新左翼組織
【連合赤軍】のメンバー5人
坂東國男 容疑者(当時25)、吉野雅邦 受刑者(当時23)、
坂口弘 死刑囚(当時25)、加藤倫教氏(当時19)、未成年(当時16)
山荘を舞台にした10日間の攻防戦。
そこには犯人と母との知られざるシーンがあった。
延べ1万1千人の機動隊員が包囲した【浅間山荘】※長野県軽井沢町
緊迫した現場には報道陣が殺到し、一日に何度も中継が行われた。
民放・NHKを合わせ視聴率は90%近くに及んだという。
・久能靖 元日本テレビアナウンサー
(当時最前線で実況中継をしていた。10日間1人で任されていた。)
どうにも我慢できなかったのは、やはりトイレですよね。(笑)
民間放送ですから私は当然CMを入れてくれるものだと思っていたんですよね。
で、CMが入ればその間に用を足せばいいと思ってたんですけども、
いつまで経ってもCMが入らない。で、その時には既に日本テレビ本社の方では
一切、放送が終わるまではCMを入れないってことを決めてあったらしいんです
けれども、指示を出してくれる人に「早くCMを入れてくれ」というメモ紙を
渡したんですね。で、ちょっと我慢できないからって書いたんです。
そしたら「もう少し我慢しろ」って紙がやっぱり返ってきてね。
もうまさに正直言って限界でした。(苦笑)
2月の軽井沢。最低気温は氷点下15℃。あらゆるものが凍り付く。
そんな中、温かいラーメンをすする報道陣を捉えた貴重な映像があった。
さらにある食事のシーンが放送されると、世紀の大ヒットが生まれる!
当時発売されたばかりの『カップヌードル』。機動隊員が美味しそうに食べる
シーンが映ると「あの食べ物は何だ?」と問合せが殺到。たちまち大人気商品に!
世間を震撼させた『あさま山荘事件』。
“革命”により、自分たちが理想とする“共産主義社会”を実現しようとした
“連合赤軍の若者たち”の暴走。
犯行グループの発砲により、死者3人/重軽傷者多数を出すこととなった。
一刻も早く人質を救出しなければ。警察はあらゆる作戦に打って出た。
「投光作戦」:立て籠もる犯人たちを寝かせないように証明を当て続ける
「騒音作戦」:夜通し犯人に呼びかけ、大きな音をテープで流す
「投石作戦」:石を投げつける
しかし事態は進展しない。そこで警察は「ある作戦」を決行する。
「母親の説得」
犯行グループはまだ若い10代と20代。警察は母親が呼びかければ
自ら投降するのではないかと考えた。そして母親たちによる呼びかけが始まった。
その説得は山荘に横付けされた装甲車の中から行われたため、映像には
映っていない。しかし今回その時の貴重な音声を見つけることができた。
<犯人の母親の説得>
もう何にも恐れることなく、手ぶらで出てきて下さい。
食べる物も沢山用意してあります。温かい物も。
本当に、、*声を詰まらせる*、お願いいたします。(涙声)
・久能靖 元日本テレビアナウンサー
中に潜んでおると思われます、坂東國男のお母さんはこのように涙ながらの
呼びかけをいたしましたが、とうとう中からは何の反応もありませんでした。
<犯人の母親の説得>
あんた達は血も涙もないのかね、本当に。
(涙声)こんなに頼んでも聞いてくれないなんて(悲)
あんた達は自分が良ければいいのか?(泣)
母親達の声は、山に響き渡った・・・
手が届かないまでに離れてしまった我が子。たとえ凶悪犯であろうとも
愛する息子を思う母の想い・気持ちに変わりはない。
涙で声を詰まらせながら切々と訴える母。
それを聞いてすすり泣く機動隊員の姿もあった。
・久能靖 元日本テレビアナウンサー
“やまびこ”のように、みんな聞こえてしまいますから、
周りの隊員たちも黙って聞いておりましたしね。中には涙を拭うような隊員の姿も
ありましたね。もらい泣きをしている人たちもいました。それくらいやっぱりね、
非常に情のこもったね、肉親の説得だったと思いますよ。
<犯人の母親の説得>
お願い致します。どなたも鉄砲を撃つようなことはないように、
鉄砲を撃つなら私を撃って下さい。(泣)
この涙ながらの説得に犯人の1人は、*パァン!* 「うふぅ」(驚)※母親
なんと銃弾は母親の乗る装甲車に命中。
自分の母親にまで銃口を向けた犯人の行動に、多くの人が激しい怒りを覚えた。
一見“血も涙もない”母親への発砲。しかし、
・久能靖 元日本テレビアナウンサー
お母さんの呼びかけに対してね、発砲したというのはね、とにかく
お母さんを撃とうというのではなくて、もう「帰ってくれ」というような
意思表示だったのではないのかなと。私はコレ推測ですけれどね。
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┣■母親に向けて撃った理由
・犯人の1人は後に自らの著書に、こう記している。
『あさま山荘1972 下』 ※坂口弘 死刑囚
「われわれは、全員ベッドルームに集まって、説得を聞いた。
最初に、私の母がマイクを握った。・・・ 中略
振り絞るような声で、最後は涙声になっていた。・・・ 中略
私は「老けたな」とポツンと一言言った。
<犯人の母親の説得>
お願い致します。どなたも鉄砲を撃つようなことはないように、
鉄砲を撃つなら私を撃って下さい。(泣)
*パァン!*
吉野君のお母さんが説得を始めてすぐ、誰かが発砲した。
暫くして吉野君が猟銃を持って戻って来た。目が潤んでいた。
自らの死を覚悟して決起したはずの若者たちも、
母親の説得には心が揺れたのであろうか。
当時19歳だった犯行グループの1人に話を聞くことができた。
・加藤倫教さん(63)
1987年に刑期を終え、現在農業の傍ら環境保護活動を行っている。
(あの時【連合赤軍】の若者たちは、なぜ母親に向けて発砲したのか?)
元々ね、私たちは武装闘争をやると、ひょっとしたら自分たちも死ぬ
可能性はね、非常に高い。当然親に対する気持ちと言いますか、あの
先に自分が死ぬかもしれないということはね、当然覚悟して組織とか
闘争に参加してますから、母親を殺害しようとか、あるいは傷つけようとか
そういう意思は全くないです。息子に対してね、仲が悪かったーというような
感じの方は1人も見えなかったんで、尚更ね、あのぉそのぉ母親に対して
「(説得を)早く止めて欲しい」っていう願う、願いみたいなものですよね。
「もう止めて」っていうような意思表示だったと思います。ハイ。
そして犯人達たちには、ある“暗黙の了解”があったという。
・加藤倫教さん(63)
他所のね、お母さんに向かって私が代わりに発砲するってことは考えられない
ですし、(息子)本人が自分の意思表示として(発砲)するといいますかね。
自分の親には“自分で返事をする”。
「もう帰ってくれ」
それは活動家に身を転じた息子たちが自らの気持ちが揺らぐことを恐れた
精一杯の“あがき”だったのかもしれない。
『あさま山荘事件』から43年。
彼らは今、年老いた母との時間を大切に過ごしたいと思っている。
◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
┣・漫画『レッド』を所有していたりするのですが、終盤に母親たちは登場を
してくるのでしょうか? かなり気になりました。幼心に当時映像を見た
覚えがありますね。我が家のテレビが白黒からカラーにちょうど変わった
時期でした。
┣・活動家はインテリというか生真面目な者が多い。卑しい者だけが粗暴になる
わけでは決してない。筋を曲げない強い気質だけに逆に質が悪いとも言える。
しかし今にして思えば彼らの主張はまるで当たっていないわけでもなく・・・
本当に賢い人間は「貝になる」と心の中で誓ってしまったのかもしれません。
┗・犯人となった息子を説得する母親たちの生々しい悲声。胸に染みました。
自分も母親に対して冷たく当たっているのではないかと、ものすごーく
反省、猛省してしまいました。今度電話で謝っておこう。