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ノーベル賞文学賞 明かされる“秘話”

2015/03/31(火)<ノーベル賞文学賞 明かされる“秘話”>
【NHKニュースウオッチ9】 http://www9.nhk.or.jp/nw9/

www9.nhk.or.jp


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓ピックアップ <ノーベル賞文学賞 明かされる“秘話”>
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 http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/pickup/?date=150331_1

 謎に包まれているノーベル賞の選考過程。その一端が分かってきました。
ノーベル賞の選考資料は50年経過すると、閲覧することができます。
三島由紀夫が有力な文学賞候補となった1963年に、ノーベル文学賞の選考
委員会が、日本文学の研究者に作家の評価を求めていたことがわかりました。

 

┗■ノーベル賞文学賞 選考を巡って

 ・ノーベル賞の選考・・・ 50年経つと公開される。


  ドナルド・キーン(92) 日本文学研究者(元コロンビア大学教授)

   1963年 ノーベル文学賞専横委員会から極秘依頼された1人。

   ”日本人初の受賞者に誰がふさわしいか評価してほしい”

  対象者:谷崎潤一郎川端康成三島由紀夫西脇順三郎の4人

  私は三島由紀夫が現役の作家の中で最も優れていると思っていた。
  三島はあの頃、作家として絶頂期だった。

  当時38歳だった三島。『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』を発表していた。


  しかし実際に選考委員会へ送った評価は、

  ・谷崎潤一郎(当時76歳)
   谷崎が一番有力であると思う。今までの実績を全て考慮すると
   やはり彼には価値があると思う。

  ・川端康成(当時63歳)
   谷崎ほどの存在感はないが、川端が受賞したとしても
   日本の一般市民は受け入れるだろう。

  ・三島由紀夫(当時38歳)
   現在の日本の文壇では彼が一番抜きん出ていると思う。
   しかし谷崎や川端がもし三島に先を越されたら、日本の一般市民は
   奇妙に感じるだろう。

 

   私は若い人に一切の偏見を持っていないが、日本人の中には賞は
   “生涯を通した実績への評価”としてキャリアの最後に与えるべきだと
   考える人がいる。“年功序列

   文化勲章受章者の記念写真を見ると年配の人ばかり。30歳の人は見られない。

   日本の評論家や文学に造詣が深い人の中には
   “三島は日本で最も優れた作家だと証明するほどの実績をまだ残しておらず
    もうしばらく見守る必要がある”と考えている人もいるかもしれないと思った

   私は評価にいくぶん慎重になった。

 

   この年に日本人の受賞者は現れなかった。

   ノーベル文学賞選考員会
   「三島には将来の可能性がある」という専門家の意見を参考にするべき。


   1965年 谷崎潤一郎が死去。 1968年 川端康成が日本人初受賞。


  ・高橋睦郎 詩人  ※三島由紀夫と親交があった
   三島さんは「俺が(ノーベル賞を)もらわず、川端がもらったけれど
         もし川端ではなく俺がもらっていたら
         日本の年功序列はガタガタになった。」と言った。

   三島さんが亡くなってしばらく考えると、それほど三島さんはノーベル賞
   欲しかったんだとだんだん納得した。


   1970年 三島由紀夫 自ら命断つ。


  ・ドナルド・キーン(92) 日本文学研究者(元コロンビア大学教授)
   “三島は世界からの評価を誰よりも強く望んでいた”

   三島は私に宛てた手紙で「オリンピックに参加できた選手たちが羨ましい」
   と書いていた。「競技を通して誰もが分かる形で1位2位3位が決まる」

   彼はそれ以上は続けなかった。しかし私には分かった。
   “世界が認める1位になりたい”

   三島にとってノーベル賞がいかに重要な意味を持つか、私は知っていた。
   三島は自分が優れた作家であるとの裏付けを誰よりも求めていた。

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┗・三島に限らずこの手のタイプは現代にも大勢いる。そして一歩踏み間違えると
  大きな騒動を巻き起こしがちだ。島国という限られた場所で日本人は協調性と
  いうべき“年功序列”を自然と重んじるようになった。大陸のように問題が
  起こる度に他所へ移り住むことが可能であったならば、このような民族性は
  生まれなかったことだろう。その民族性ゆえ他とは違う優れた作品が出来た
  とも言えるわけで、どちらが良い悪いという問題でもないように考える。

  評価、勲章を欲しがる者って、どこか弱いんだよね・・・