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検証 『三島由紀夫事件』 ~45年目の真実~

2015/11/24(火)<検証『三島由紀夫事件』~45年目の真実~>
報道STATION】 http://www.tv-asahi.co.jp/hst/

www.tv-asahi.co.jp


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓特集 <検証『三島由紀夫事件』~45年目の真実~>
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          45年前、昭和45年1970年11月25日

         市ヶ谷で『三島由紀夫事件』があった。

         この45年前のこの日、一体皆さんは
         それぞれどんなことをされている時に
          このニュースに接しただろうか?


      ◇古舘伊知郎 MC
       私はですね、高校1年でした。秋葉原駅でプラットホームで
       隣の人が号外を見ているその誌面を覗いてビックリしたのを
       ハッキリ覚えています。

       初めてこの件に関して沈黙を破って語る方がいます。
       一体45年前、何を訴えていたのか・・・

 

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┣■初証言『益田総監監禁』密室内で何が?


  東京都新宿区市ヶ谷
  防衛省陸上自衛隊
 【市ヶ谷駐屯地】

www.mod.go.jp


 ◇寺尾克美さん(86) 東部方面総監部・会計課予算班長(事件当時)
  事件当日、監禁された総監を救出するため、素手で総監室に飛び込んだが
  三島由紀夫に日本刀で斬られ、重傷を負った。

  寺尾さんが事件の現場(旧・東部方面総監室)で証言するのは初めてとなる。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆昭和45年11月25日 午前11時
  【自衛隊・東部方面総監部】に作家の三嶋由紀夫と【楯の会】合わせて5人が入り
  総監を監禁。「自衛隊員への演説をさせろ」と要求。急遽集められた800人余りの
  隊員の前で三島由紀夫が演説をした。

www.youtube.com

  ※自衛隊員らの罵声が飛び交う中で

  ◇三島由紀夫(45)

   諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法をどうして守るんだ!

   自衛隊違憲なんだ! 今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、
   自衛隊が立ち上がらなければ『憲法改正』というものがないんだよ!

   諸君は永久にだね、ただ“アメリカの軍隊”になってしまうんだぞォ。

   諸君の中に一人でも俺と一緒に起つヤツはいないのか?  「オイ、降りろォ!」


 ・騒然とした雰囲気の中、7分余り演説をした後、
  三島由紀夫(45)と森田必勝(25)は、総監室内で割腹自決。
  残りの会員が介錯をして二人の首を落とし、【楯の会】の3人は益田総監を解放した


 ・急を聞いて駆け付けた警察官や報道陣で【総監部】はごった返し、緊迫した雰囲気に
  包まれた。


  ◇広報官
   2人が状況では「自決した」ような模様です。これは総監室の中ですね。エェ。

                  ◇記者
   死んでます。死んでます。    怪我して倒れてるの? それとも死んでるの?

   2人とも。           2人とも?

   あとの3人がですね、状況としては
   その首をはねたと思いますがね。

   首はあります。首は、エ~    首はない?
   要するにね、首が取れたという
   状況ですね。


 ・その後、投降した【楯の会】の3人は連行され、
  夜には三島由紀夫と森田学生長の棺が相次いで運び出された。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆寺尾さんが事件の発生を知ったのは総監室と同じフロアにある向かいの会議室で、
  幹部達が重要会議をしている最中だった。


  ◇寺尾克美さん(86) 東部方面総監部・会計課予算班長3佐(事件当時)
   鍵閉めて、誰も入れないようにして会議やっていたんですね。
   鍵ガタガタやるから「何だろう」って・・・


 ・総監の異変を知った幹部は二手に分かれ、総監室へ突入を試みた。


            ┌―――――――――┐
            │ 「バルコニー」 │
            │         │
            │         │
   ┌―――――――┬  ┴――窓―窓―窓――┴┬―――――――┐
   │       │            │       │
   │「幕僚長室」 │   「総監室」    │「幕僚副長室」│
   │       │            │       │
   │       │      ソファ   │       │
   │       │ 森田必勝 総監    │       │
   │       │           机│       │
   │       ド机      寺尾氏  ド 寺尾氏ら  │
   │     →→ア机 三島由紀夫    ←ア←←←    │
   │       ↑ │           机│   ↑     │
  ―┴――――ドア―┴――窓―ドア―窓―――┴―ドア――――┴―――
         ↑                ↑
         ↑←←←←      →→→→→→↑ ┌―――――
  ―――┬階段・階段┐ ↑      ↑┌―――――――┤
     │   │   │ ↑┌――――┐  ↑ │        ├―――――
     │下  │上  │ ↑│吹き抜け │  ↑ │        │
  ―――┤ り │ り │ ↑└――――┘  ↑ │        ├―――――
     │   │   │ ↑←← →→→↑ │        │
     ├―――――┴――┐   ┌――┴―――――――┤
     │        │  ↑  ↑ │           │
     │        │  ↑  ↑ │           │
     │ 「会議室」 →ド→↑  ↑ │           │
     │       →ア→→↑ │           │
     │        │    │          │
  ―――┴――――――――┴―――┴――――――――――┴―――――


 ・しかし入り口には机などでバリケードが築かれていた。

  ◇寺尾克美さん(86) 東部方面総監部・会計課予算班長3佐(事件当時)
   体当たりでダーンと、4,5人体当たりでやったらコレが開いて
   体がこの辺まで来ましたね。 ※「幕僚副長室」側から押し入った

   そしたらあの角くらいの所にソファがあって総監がいたわけ。
   そこで森田必勝が、総監縛り付けた、ソファに縛り付けて
   肩をこっち持って担当を胸に刺し付けてるわけ。

   「一歩でも近づいたら刺すぞォ!」と言うて-


 ・反対側からの「幕僚長室」からも5人が突入したが、立ちはだかる三島由紀夫
  次々と斬られた。

  ◇寺尾克美さん(86) 東部方面総監部・会計課予算班長3佐(事件当時)
   (中村2佐が)オモチャの刀だと思って握ったんです。そしたらサーと引かれて
   そしたらここから(手の平)ここが二つに切れて血が天井までバーッと飛んだと。

  ドアにはその時の刀傷が今も生々しく残っている。 ※見学の際に見せてもらえます


 ・寺尾さんは総監に短刀を突き付けている森田と睨み合いになった。

  ◇寺尾克美さん(86) 東部方面総監部・会計課予算班長3佐(事件当時)
   刺すのはね、このまま刺したって刺さらないんですよ。
   一遍引いてこうやらないと刺さらない。
   引いたところを僕が腕首捕まえてねじ伏せた。

   で、こうやってね、こういう格好で抑え付けているんですね。
   腕首捕まえて短刀を足で踏みつけている。で、こういう格好でやっている時に
   (三島が)「出ないと殺すぞ!出ないと殺すぞ!」でね、三太刀背中に喰らった。
   最後には23cmの深さ5cmで肋骨で止まったのをスーッと引き斬りやったから
   背中が二つの割れたの。そしたら周りにいた人はもう一人殺された!というんで
   飛び出しちゃった。で、私、最後に一人だけ残った。(苦笑)


 ・自衛隊員9人負傷、6人入院。
  寺尾さんは生死五分五分、一番の重傷だった。 ※インタビューでは恰幅も良く
                         元気に答えられていました。

 

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┣■世界的作家の『憂国


 ◆三島由紀夫
  『仮面の告白』や『潮騒』『金閣寺』などで知られノーベル賞候補にまでなった
  世界的作家。

 ・三島由紀夫は「なぜ事件を起こしたのだろうか?」


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 ◆昭和40年代に入り、ベトナム戦争が激化

  世界中で反戦運動が高まり、日本でも東大や日大を始め(「東大無期限スト」等)
  全国に学連闘争が拡大。街頭で警官と学生が激しく衝突する事態が相次いだ。

   昭和43年1月
   長崎県佐世保市
  『エンタープライズ寄港阻止闘争』

www.youtube.com


 ・こうした問題に危機感を抱いた三島は、民族派の学生達と会って刺激を受け
  【楯の会】の前身となる【祖国防衛隊】を構想。 ※【論争ジャーナル】'67 2月号
                          「歴史における事実と真実」
                          「国語問題の現状と展望」

  【祖国防衛隊】構想
   日本の文化と伝統を剣をもって死守。

  志のある学生達を集め、自衛隊での体験入隊を実施した。


  昭和43年3月  ※昭和42年?
  静岡県駿東郡小山町 ※富士の裾野に在る
 【陸上自衛隊富士学校

  陸上自衛隊富士学校

  第一回の体験入隊が行われた。20数人の学生が参加。 ※太い日の丸のはちまき
                             「共産」などそれぞれの
                             思いを書いている。

  ◇伊藤邦典さん(67) 元【楯の会】一期生
   背嚢を背負ってそのぉズーッと何kmも何時間も駆け足させられたりとか。
   レンジャーもやりましたね。ヘビも食わされました。カエルも食わされました。


 ・訓練は一ヶ月間行われ、三島由紀夫も学生らと行動を共にし、風呂も一緒に入った。

  ※当時40代とは思えない肉体美の三島由紀夫。*シックスパック*相当ストイック?

  三島由紀夫、ボディビルから切腹への流れ


  ◇伊藤邦典さん(67) 元【楯の会】一期生
   最後の日ですね。全部の訓練が終わって、いよいよ隊を離れて
   バスでみんなこう御殿場まで向かったんですけれども、みんな本当にバスの中で
   男泣きしてましたからねぇ。まあそれだけ辛かったけど逆になんて言うんですか
   心の交流みたいなものをみんなやっぱ感じて・・・


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 【サンデー毎日】昭和42年6月11日号  ※昭和43年?
  体験入隊直後の三島由紀夫にインタビューした。

  『特別手記 自衛隊を体験する 三島由紀夫
        46日間のひそかな“入隊” 』

   作家の三島由紀夫氏が、陸上自衛隊に四十六日間ひそかに“体験入隊”していた。
   小説『憂国』の映画化では、自ら主役の青年将校を演じてみせた三島氏が、
   こんどはほんとうに自衛隊服を着て隊員生活を実行してみた。
   “日本の防衛”自衛隊のありかたを、そして、自衛隊の勇気を、
   自らの実行のよって考えたという“冒険”ははたして成功したか。
   “除隊”になった三島由紀夫自衛隊体験報告を本誌に-


    自ら汗を流して確かめる

   私はここ一ヶ月半ほど陸上自衛隊にひそかに体験入隊をしてきた。「ひそかに」と
   いふのは、受け入れ側の事情によることだが、私にしても各隊の調整や営内生活の
   なるたけ自然なままの、生の実態に触れることが目的であったから、私が異聞の風
   をいっぱい帆にはらんで??しては、向う側の教育課程の邪魔になることを惧れた
   からでもあった。

   なぜさういふ気を起し、なぜさういふことをしたか、といふ理由については
   冗々しく言ふまい。まじめにとられても、不まじめにとられても、
   政治的にとられても、非政治的にとられても、一向にかまわない。
   ただ誰にたのまれたわけでもない自発的な行為であり、又、私が、徴兵制度には
   反対であって、本来民主国家の国民的権利に属する国防の問題を、義務化すること
   には反対であることを、自衛隊の内律でもたびたび発言してきたことは、附記して
   おいたほうがよかろう。要はその-


   ※薄文字での映像から文字起こししました。誤りが多々あるかと思われます。


  ◇徳岡孝夫さん(85) 元【サンデー毎日】記者
   「さあ聞いてくれー」っていう感じだったです。(笑) 僕が裸になってくれと
   言わないのに「ご覧になりますか?」とか言うて、上半身裸になって、
   綱にすがって谷間を渡る練習があるんですよね。アレで滑った傷とか見せてですね
   子供のようでしたね。(笑)


 ・体験入隊はその後も続き、昭和43年10月5日、入隊経験者40数人で
  正式に【楯の会】を結成した。

  揃いの制服を着て、若者に人気の雑誌にも登場した。

  【平凡パンチ】 昭和43年11月11日号
   「軍服を着る覚悟・・・ 三島由紀夫

page5.auctions.yahoo.co.jp


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 Q.【楯の会】は何を目指していたのか?

 A.
  ◇本多清さん(68) 元【楯の会】一期生
   「矛」と「楯」とありますね。そうすると「矛」じゃなくて、攻撃じゃなくて
   「楯」なんですよ。 掛かってきたら、降りかかる火の粉は払わねばならんと。


  ◇伊藤邦典さん(67) 元【楯の会】一期生
   武器も無いのに「軍隊だ」なんて言うつもりは全くないんですよ。
   ただあのそういう、なんて言いますか
   「自分の国は自分で守る」という気概を持った人達が増えれば良いというような-

 

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┣■民兵組織『縦の会』とは


  昭和43年10月21日
  東京都新宿区
 『10.21 国際反戦デー』

www.youtube.com

  新宿駅周辺で学生と市民が暴徒化。『騒乱罪』が適用され700人以上が逮捕された


 ・【楯の会】はこうした事態の時に、自衛隊が治安出動するまでの間を繋ぐ
  民兵組織として設立された。


  1年後の
  昭和44年11月3日
 【国立劇場】屋上にて
  皇居に近い建物の屋上でお披露目の【楯の会】結成1周年記念パレードが開かれた。


 ・しかし昭和44年の『10.21 国際反戦デー』 でも圧倒的な警察力で学生達は
  押さえ込まれ、期待していた【自衛隊】の出動はなく【楯の会】の出番も無かった。
  こうして三島達は次第に孤立化を深めていく・・・


  昭和45年3月31日
 『日航機「よど号」ハイジャック事件』

www.youtube.com

  赤軍派によるハイジャック事件が発生。

  その頃から三島由紀夫は【楯の会】の森田必勝学生長と「決起」の具体的な行動を
  練り始めた。

 

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┣■11.25『決起』の日


  昭和45年
 【大阪万博 EXPO70】

www.youtube.com


 ◆“昭和元禄”(高度経済成長期の天下太平)に踊る日本に「心を取り戻すため」
  として、決行までの半年間、三島と【楯の会】の三人は都内のホテルやサウナに
  集まり、何度も計画を練った。9月には最後の一人も決まり行動の細部を詰めた。


 ・三島は事件の一週間前、
  昭和45年11月18日録音
 『三島由紀夫 最後の言葉』(新潮CD)
  対談 三島由紀夫、小林尚(評論家)

三島由紀夫 最後の言葉 [新潮CD] (新潮CD 講演)

三島由紀夫 最後の言葉 [新潮CD] (新潮CD 講演)

 

 

  ◇小林尚 評論家
   (【楯の会】は)戦後再軍備徴兵制の一つのシンボル操作みたいなことに
   なりませんかね?

  ◇三島由紀夫 作家
   僕はあなたに今の時点でハッキリ言っておきます。
   今に分かります。「そうではない」ということが。


  ◇小林尚 評論家
   『天皇制』に対して僕が危惧を持つと同じような危惧を
   あの【楯の会】についても感じるんですよね。

  ◇三島由紀夫 作家
   それはごもっともなご心配ですけどもね、
   あの僕はそうやすやすと敵の手には乗りません。
   敵というのは【政府】であり【自民党】であり、つまり『戦後体制』全部ですよ。
   “偽善の象徴”ですから。

www.youtube.com


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 ◆『決起』の朝

  昭和45年11月25日
 『豊饒の海』全4巻(新潮社刊)

天人五衰 (1971年)

天人五衰 (1971年)

 

  三島由紀夫は最後の小説『豊饒の海』第4巻「天人五衰」を書き上げた。

  ※三島由紀夫の最後の長編小説。『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で
   「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の全4巻から成る。
   最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である。
   最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊【市ヶ谷駐屯地】で割腹自殺した。


 ・同日午前10時過ぎ
  大田区にある三島由紀夫の自宅から5人は車で市ヶ谷へと向かった。

   ◇三島由紀夫
    あと3時間くらいで死ぬなんて考えられんな。

    おれたちは意外と明るいなあ。

  全員で『唐獅子牡丹』を歌う。

www.youtube.com


 ・同日午前11時前
 【市ヶ谷駐屯地】到着。


  ◇徳岡孝夫さん(85) 元【サンデー毎日】記者
   当日の朝、電話で三島から【市ヶ谷会館】に来るように指示され、
   1階で三島からの封筒を受け取った。

   写真、フォーマルな写真。“死に行くもの”の写真とでも言いますかね。
   手紙の方には、
         「たとえ凶器の沙汰に見られようとも、
          やむにやまれぬ気持ちからこれを行うんだ」

   これは何かあるぞ!と思って-


  徳岡記者はバルコニー前の広場に急行。するとまもなく三島由紀夫に演説が始まった


  ◇三島由紀夫(45)
   去年の『10.21』から一年間。俺は【自衛隊】が怒るのを待ってたッ !!
   もうこれで『憲法改正』のチャンスはないッ!
   【自衛隊】が国軍になる日はないッ!
   健軍の本義はないッ!

   【自衛隊】にとって「健軍の本義」とは何だ!
   「日本を守ること」だろう。「日本を守る」とは何だ?  *早く降りて来いッ!*

   「日本を守る」とは「天皇を中心とする、歴史と文化の伝統を守ること」だぁ!

    お前ら聞けェ !! 聞けぇ !! ・・・

    男一匹が命を懸けて諸君に訴えているんだぞ!(怒)


  ◇徳岡孝夫さん(85) 元【サンデー毎日】記者
   あとから思うと三島さんは「死ぬ」以外に道はなかった。・・・
   しかしまさか・・・ 子供が2人いるんですよ。
   それだけでも普通の親は死なないですよ。

   だけと三島さんに言わせたら「命より大切なものがある」ということでしょう。

 

 ・その夜
  ◇本多清さん(68) 元【楯の会】一期生
   三島夫人・平岡瑤子さんから本人宛の遺書を受け取った。
   そこには婚約者がいた本多さんを『決起』から外したことが記されていた。


  ◇妻・本多真理子さん
   私がショックだったのは「一緒に死にたかった」んだそうです。
   その気持ちは分からないでもないけど。(苦笑)


  ◇本多清さん(68) 元【楯の会】一期生
   先生はね、その「生きるも良し、死ぬも良し」って言ったんですね。
   だからぁ結局まあ「連れてってもらわなかった」以上はね、
   あと「生きるしかない」じゃない。   ※思い出すだけで涙を流されていた。


 ・現場で逮捕された会員3人は公判で「民主主義を否定する行動」だと断じられ
  懲役4年の実刑判決を受けた。


  平成26年11月25日
 【三島森田事務所】主催
  『四十四年祭』が行われた。

www.youtube.com

  【楯の会】は今も毎年命日に慰霊祭を開いている。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆作家・三島由紀夫。享年45。そして事件から45年-


 「 前後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国民精神を失い、
   国の根本問題である『防衛』が、ご都合主義の法的解釈によって誤魔化され
   もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。           」

                       (三島由紀夫『檄』から抜粋)


  ◇三島由紀夫(45)
   お前ら聞けェ !! 聞けぇ !! ・・・

 

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┗■スタジオにて


  *一同静寂* 言葉に詰まる表情を浮かべていた


 ◇古舘伊知郎 MC
  とっても不思議な境涯(?)で、半分この人がやったことを考えると「冷める」です
  よね、スーッと。暴力ですからね。 *頭を小刻みに振りながら* 半分何かね
  「沸き立つ」と言いますか、ゾクゾクする、ハッこんな良いことを一部言ってると
  思う自分がいるんですよ。

  私がまた興奮するとよくないので。立野さん、どう思いますか?


 ◇立野純二 朝日新聞 論説副主幹 ※米国、中東問題を広い視野で取材
  あのぉ私もあのぉ「大義に準ずる美学」とかですね、あるいは三島の武力に対する
  異常とも言える執着。そして最後の振る舞い、これについては理解も賛同もしません
  ・・・ しませんが、国、日本という国の有り様、日本という国のアイデンティティーを
  こんなに真剣に考えた芸術家もまたいなかっただろうなという気がします。

  あれから45年経ったわけですけれども、日本の国防政策を首相がアメリカの議会に
  報告する。あるいは沖縄に住んでいる日本国民の声よりも米政府の声に耳を傾ける。
  こんな政府がいる今、国の状態。それを今、三島が見たら何と言っただろうか。
  それを聞いてみたいですよね。


 ◇古舘伊知郎 MC
  三島が言っているんですよね。「このままじゃアメリカの軍隊になっちゃうぞ」と。
  それから国の根本問題である『防衛』が法的解釈によって誤魔化されていると。
  ここが右も左もまず置いといて区分け(?)、今と重なっちゃったんですよねぇー。

 

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・今、三島由紀夫の書物が再び脚光を浴びていると翌日【Nスタ】でも報じてましたね
  「三島由紀夫 壮絶な最期から45年、今静かなブーム」
  自殺に失敗した男が命を売り出す娯楽作品『命売ります』が今年2015年7月に7万部
  を重版したとか。芥川賞作家・又吉直樹の帯効果? 世間も感じてるんですかね?

命売ります (ちくま文庫)

命売ります (ちくま文庫)

 

 

┣・なかなか興味深い話でした。バルコニーでの演説部分でしか世間には伝わっていない
  ですからね。ヤジを飛ばされ、悪いイメージを持たれている方がほとんどなのでは
  ないかと思われます。普通の人ならば最後に古舘伊知郎MCが語った通りに感じたと
  思うのだけれど、選挙結果などをみると不感症ばかりじゃないかと疑いたくもなる。
  物欲でいいように扱われている。まるでペットを同じですよね。(爆)

┣・あまりコメントしても止まらなくなりますのでこの辺で。ただ晩年の三島由紀夫には
  ノーベル文学賞を逃がしてプツンと糸が切れてしまったような、将来に不安を抱える
  者がよく陥りそうな傾向が見て感じられます。己の肉体をトコトン鍛えているなど。
  お笑い芸人や俳優でも最近よく見掛けますしね。原理は同じだと思うんだけど(苦笑)

┗・プチッと切れた人間が狂信的に思い込む危険性は覚えておきたい。魅力ある人物だと
  周りの人をも巻き込んでしまうということは三島以外でも見受けられると思うから。

  オッと、またダラダラと書いてしまっている。(^^ゞ