【関東大震災】を予測した学者の苦闘と後悔

2015/09/06(日)<【関東大震災】を予測した学者の苦闘と後悔>
【Mr.サンデー】 http://www.fujitv.co.jp/mrsunday/index.html

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*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓首都直下地震 緊急防災SP
┃  <【関東大震災】を予測した学者の苦闘と後悔>
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   いつ起こってもおかしくないと言われる【首都直下地震

   もし起きた場合には、どういう被害が想定されているのか ??

 

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┣■もしかしたら震災を減らすことができたかもしれない・・・


  大正12年1923年9月1日
 【関東大震災】    ※今年2015年で92年目となる

  死者・行方不明者 約10万5千人


 ・東京都墨田区にある【東京都慰霊堂】では、
  当時高さ3mを超える“人骨の山”が積み上がった。

 ・炎に溶けた鉄筋や車の跡が、今も残っている。

  ※多くの被害者が“焼け死んだ”ものだった。


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 ◇今村明恒 地震学者(1870~1948) 東京帝国大学 助教授 ※後に教授となる


  明治39年1906年1月16日  ※震災の18年前
  『東京二六新聞』

  「大地震襲来説 東京市大罹災の予言」という見出しで地震を警告していた。


  1905年9月号
  『太陽』

  「 死者十萬乃至二十萬、
    財産の損害は數億圓を下らざるべし。


 ・その予測は「被害規模」×「発生時期」までもほぼ言い当てている。

  しかしその予測は生かされず、被害を食い止めることはできなかった。


 ・一体、なぜだったのか?

  その答えは今村が残した膨大な日記と著作にあった。


  これは命の限り「地震への備え」を叫んだ男が、
  今を生きる私達に残したメッセージである。

 

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┣■二人の偉大な地震学者

 

 ◇今村明恒 地震学者(1870~1948) 東京帝国大学 助教授 ※後に教授となる

 ・31歳で【東京帝国大学】の助教授となった秀才。

  当時彼にはズバ抜けて優秀な上司がいた。


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 ◇大森房吉 地震学者 東京帝国大学(現・東京大学)教授

 ・29歳で教授になった天才。今村の僅か2歳の年上なれど
  日本初のノーベル賞候補と言われるほど世界が認める【地震学】の権威だった。


 ・そんな二人の師弟関係が、後の巨大地震に言い見いたる(?)影を落とす。

 

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 ◆大森が世界を驚かせた発見

 ・今では常識となった『P波・S波』を発見したのが、◇大森房吉 地震学者。

   早く伝わる    ゆっくり大きく伝わる
  P波(初期微動)、S波(主要動)があり、その“時間差”から震源の距離が
  判るというもの。


  そのため研究室では「小さな揺れ」が起きるとすぐに「時計を見る」のが常だった。


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 ◆今村が力を入れていたのは

 ・過去に発生した地震の「統計調査」だった。

  古くは『日本書紀』にまで遡り、あらゆる古文書からこれまでに起きた2千件もの
  地震から徹底的に洗い出す。しかも今村のその記憶力は尋常ではなく、
  地震が発生した年代や場所、その影響を及ぼした被害者数など即答できる程だった。


 ・その徹底した研究が今村に『ある法則』を気付かせる。

   黒板に、
       1649
       1703        ◇今村明恒 地震学者(1870~1948)
       1855         これは・・・


  これこそが、今では当たり前となった『地震の周期』であった。


  かつて東京は、

       1649年【慶安地震
       1703年【元禄地震】    ※54年後
       1855年【安政江戸地震

  と、平均100年に1度の割合で巨大地震に襲われていた。


 ◇今村明恒 地震学者(1870~1948) 東京帝国大学 助教授 ※後に教授となる
  もっとも短い時では54年。ということは次は「1905年~1955年」。
  ・・・ *息を呑む*

 ・時は既に1905年、前回の大地震から50年が経っていた。

 

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┣■なぜ被害を防げなかった?


 ◆次の巨大地震が迫っている


 ・気付いてしまった今村は居ても立っても居られなかった。

  「この事実をなんとか皆に伝えねば」


  そう考えた今村は、敢えて誰でも読める大衆紙に、こんな記事を寄稿する。


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  1905年9月号
 『太陽』

  「 平均百年に一回の割合に発生し、而して最後の安政二年以後
    既に五十年と経過したるのみなれど
    災害予防のことは一日も猶予すべきにあらず。 

    死者十萬乃至二十萬、
    財産の損害は數億圓を下らざるべし。           」


 ・当時は「地震予測」など聞いたこともなく、被害予測の発表なども“前代未聞”。

  この記事を読んだ新聞記者達は次々と“センセーショナルな部分”だけを抜き出し
  煽り立てていった。


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  明治39年1906年1月16日  ※震災の18年前
 『東京二六新聞』

  「 今村博士の説き出せる

    ◎大地震襲来説
    -東京市大罹災の予言-  

    丙午の年には天災多かるべし。

    今年より五十年間内には酸鼻の大地震に遭遇すべきは明らかなり。 」


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 ◆しかし本来、今村の狙いは「地震への備え」安全の対策を呼び掛けることにあった。


 ・だからこそ、論文の内容は、

  「 間に筋違を入れて、家の傾斜を防くこと。」 

   物の『耐震補強』の仕方や、


  「 石油燈を全く廃し、代ふるに電燈を以てするにあり。」

   灯油ランプを電気に換え、火災を防ぐべしの「防火」など


  実践的な対策に多くを割いていた。


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 ◆だが民衆はそんな部分には目もくれず、
  ただ「大地震の恐怖」や「被害想定の大きさ」だけに反応し、震え上がった。


 ・ついには「今日巨大地震が来る」という怪文書まで張り出され、


    「 只今、
      中央気象台
      ヨリ、          ※習字紙で手書きで書かれた張り紙が
      大地震アリトノ       家の塀に貼られてある。*愉快犯*
      通達ニ付き、
      各自ニ注意
      アルベシ    」


  デマが広がると銭湯から飛び出す者まで現れた。会社や学校は閉鎖され、
  家財道具を持って東京を脱出しようとする者、家の外で寝泊まりする者が続出。


 ・今村の予測は『防災』に役立つどころか、ただ東京を不安のどん底に陥れただけに
  なってしまった。


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 ◆この顛末に上司である大森は激怒。


 ◇大森房吉 地震学者 東京帝国大学(現・東京大学)教授
  今村さん、一体これはどういうことです?(怒)
  すぐに訂正記事を出させて下さい!
  少なくとも現在、東京が全滅するような大地震が今すぐ起きるなどという
  科学的な根拠はありません!

  この新聞記事は、『浮説』です。


 ◇今村明恒 地震学者(1870~1948) 東京帝国大学 助教授 ※後に教授となる
   !? 『浮説』? 私の論説が浮説ですって!


 ・『浮説』=根拠の無いデマ、という言葉が今村の臓腑をえぐる。

 

 ◇上山明博 ノンフィクション作家
  今村明恒と大森房吉の対立は「理論的」な対立ではなくて、
  地震予知の情報の公開の仕方に「早さ」と「正確さ」どちらを求めますか。

  大森房吉は「正確」を期さないといけない。
  いたずらに人心を騒がせてはいけない。

  今村明恒は少しでも早ければすぐに出しましょうと。
  分かったことは「すぐに」出しましょうと。


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 ◆大森は騒動を治めるため


  明治39年1906年1月24日  ※震災の18年前
 『萬朝報』

  「 ◎大地震襲来説は浮説

    某新聞が先頃今村理学博士の説として越後高田地方にハ十五年の中に、
    東京にハ五十年の中に大地震のあるべき由を掲載したるが此記事ハ
    たく地震の恐るべき結果を見て来た様に列記しありし為、其読者の
    それより是と伝へられ或一部に大恐慌を来たさんとしつつあし行も・・・ 」


 。今村の論説は浮説だという記事を書いた。


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 ◆かくして「浮説=デマ」という言葉を受け入れ、“希代の大ボラ吹き”となった
  今村は、この時の心境をこう綴っている。


 『地震の征服』(今村明恒・著より)

  「 大騒ぎの張本人と見放されても仕方はあるまい。
    斯くして自分は自分の所説が世間を騒がしたばかりで、
    何の効果もなかったことを顧みるとき、其罪科を悔悟せずには
    居られない。                       」


 ・『地震予測』は『防災』の役立たないのか。

  自問自答の日々が続いた。

  そして大森との間も冷え切っていた。


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 ◆地震の世界的権威に見放された。普通ならそこで心折れても不思議ではない。


 ・しかし今村は来たるべき大地震に向け、益々研究にのめり込んでいった。


 ・その時、取り組んでいたのは「大きな揺れ専用の地震計」。
  小さい地震はこれでは計測できない。


 ◇今村明恒 地震学者(1870~1948) 東京帝国大学 助教授 ※後に教授となる
  これでいいんです。小さい地震で被害は出ません。
  大きい地震を知ってこそ、人や町を救えるのです。


  東京都台東区上野
 【国立科学博物館
  その時、今村が開発した地震計『今村式2倍強震計』(地震計)が展示されている。

  それはワザと感度を鈍くして、巨大地震の揺れを余すことなく記録しようとした物。
  (測定感度の倍率を2倍に抑え、強い揺れでも針が振り切れない。)


 ・そしてあの論文発表から18年、運命の時はやって来る。

 

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┣■18年前の「予測」


  大正12年1923年9月1日
 【関東大震災】    ※今年2015年で92年目となる

 ・奇しくも大森教授は海外出張で日本を留守にしていた。


 ・午前11時58分44秒。  ※当時の今村の計測による時刻。
  P波の到着時刻を捉える。

  その直後、S波が到達。「12秒」ここから(震源まで)100km・・・

  これまでにない激しい揺れが起こる中、地震計はシッカリと記録していた。

  それは今までに見たこともない「波形」だった。
  ワザと感度を下げてなければ、捉えることさえできなかったデータ。


  大森の居ない研究室で今村は確信した。18年前の「予測が的中」してしまった。


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  東京都文京区
 【東京大学地震研究所】
  あの日今村が計測した強震計のデータが、今も大切に保管されている。
  【関東大震災】の揺れ。10万人の命を奪った地震の姿だ。


 ◇武村雅之 教授 名古屋大学 減災連携研究センター
  【関東大震災】の記録は振り切れて、もう世の中にはないとかって言われていたけど
  5~6点はちゃんと振り切れていない記録が全国に残っていて、
  全てが『今村式の強震計』で取られた記録だった。


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 ◆今村は揺れが治まると、即座に「被害状況の調査」に乗り出した。
  そこで目にしたのは・・・ 変わり果てた東京の姿だった。

  ※当時の白黒映像が残っている。大きな地割れ。
   傷つき途方に暮れる人々が一同に介して集っている。
   誰もが家族や友人を必死で捜していた。
  (上野の西郷さんの銅像に「捜し人の張り紙」が多数貼られている・・・ )


 ・今村は動揺する気持ちを抑え、地震学者として被害を記録することに全力を挙げた。


   <今村明恒の『記録アルバム』の写真より>

    『日本橋三越前』  外壁は全て崩落し、鉄筋鉄骨が剥き出しになっている。
              ライオン像は意外と大きな破損はなかったようだ。

    『広場(城がある)』 空一面を覆う“火災旋風”の黒煙。
              前方は逃げ場などどこにもない。火災の恐ろしさが伝わる

    『黒焦げた死体の山』折り重なるように“死体の台地”が延々と広がっている。
              自転車や台車の車輪・枠組みのみが綺麗に焼け残っている

    『黒煙に包まれる町』黒煙の手前で屋根に上って見つめる人の姿が撮られている
              噴火した火山の噴煙そのものの様だ。酷い光景だ・・・

    『荷物の山』    逃げ延びた人々が集い過ぎて、身動きが取れなくなり
              途方に暮れている人々が写し出されている。避難の重要性

www.youtube.com

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 ◆死者・行方不明者 約10万5千人。


 ・今村の予測通り、そのほとんどが火災による焼死だった。

  もしあの時、皆が灯油ランプから電気に換えていたら。
  『防災』の必要性がもっと正しく伝わっていたら。

  悔やんでも悔やみきれない思いが胸を締め付ける。


 『大震大火に直面して』(今村明恒・著より)

  「 あの時職務を賭しても私の学説を主張し市民に警告しておいたなら
    斯くの如き大惨害にはならなかっただらうとかへすがへすも残念でならない、」

 

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┣■【関東大震災】から1ヵ月後、


 ◆緊急帰国した大森は体調を崩し、病院で療養していた。

  そこへ見舞いに訪れた今村。

  まんじりとしない空気の中、切り出したのは大森だった。


 ◇大森房吉 地震学者 東京帝国大学(現・東京大学)教授
  今村さん、あなたが日頃言われていた通りになりましたね。
  全ては私の責任です。

  いかなる責めも負うつもりです。  ※地震学者として世間の目を気にし体調不良?


 ◇今村明恒 地震学者(1870~1948) 東京帝国大学 助教授 ※後に教授となる
  いえ、大森先生、それは・・・


 ◇大森房吉 地震学者 東京帝国大学(現・東京大学)教授
  あなたがいてくれたおかげで、教室も資料も助かったと聞きました。

  ありがとう。 本当にありがとう。


 ・この日を境に『教授』の座と一切の『役職』を今村に譲った大森は、
  その1ヵ月後、まるで自分を責めるようにヒッソリとこの世を去った。
  1923年11月18日没。◇大森房吉(享年55)。

 

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┣■防災へ向けて


 ◆震災後、今村明恒が何より力を入れたのは『防災への啓蒙活動』だった。


 ・大学に一般人をも招き入れ『地震講座』を開設したかと思えば、

 ・夫人向けの雑誌から子供向けの雑誌まで、庶民に分かりやすい言葉で
  『婦人乃友』   『アサヒ コドモの本』
            科学よみもの

            「地震
               帝国学士院会員 理学博士 今村明恒

             昔から、「地震、雷、火事、親父」を恐い・・・ 」


            「(3)地震の損害を防ぐ法

               地震の損害、即ち・・・  」


  「防災の大切さ」を寄稿した。


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 ・その全ての原点は、

  「『地震予測』はあくまで“手段“であり、
           目的は“防災”である。」という信念だった。


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 ・そんな今村の肉声が今も残っている。

  VICTOR
 『学養レコード(理科諸座)
  地震の話(一)
  理学博士 今村明恒   』


  「 地震の損害、すなわち震災と地震とは全く別物であります。

    地震は人の力で押さえつけることができませんが、
    震災は人の力で防ぎ止めることができます。

    老幼男女、力のあらん限り、震災をできるだけ軽くすることに
    勇敢に働かなければならない。

    まず、火事を防ぎ止めること。それがすなわち死人の数や
    財産の損失を最も少なくする、第一の仕方であります。   」

 

  今村明恒の悲劇

 

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┗■【関東大震災】を予測した学者が残した教訓
   大正12年1923年9月1日


 ◆地震に対する心得とは


  <今村明恒の“地震に対する心得の順”>

   1.耐震
   2.防災の意識
   3.予測


  「1、2がよく行われた上、
     さらに“予測”を以てしたならば、
        完全な震災防止ができるであろう。」


 ◇木村太郎 ジャーナリスト
  (予測とか予知などは嫌いだけれども)この人は「減災」が大事だと言い出して
  いますからね。それともう一人ね、寺田寅彦が言っているのは、(伝説の警句)
  「天災は忘れた頃にやって来る」。裏返せばそういうことなんですよ。

 ◇竹田圭吾 ジャーナリスト
  新しい家を建てる時に、震災に備えたものになるような、なんか補助をするとか
  “動機付け”ができるような仕組みも大事でしょうね。


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 ◆東京都が発行する冊子


 『東京防災』                           まだ
  「今やろう。災害から身を守る全てを。」 ※黄色い冊子。我が家には届いていない

 ・今年2015年9月1日から都内の各世帯に無料配布されていて、
  東京で生活する上で起こり得る災害・対応策を細かく中に記されている。

 ・「地震」だけでなく「竜巻」「大雪」さらに「テロ・武力攻撃」まで網羅されている


 『東京防災 オリジナル防災MAP』(「新宿区-2」etc.)
  居住地域に則したもの。上記冊子と一緒に梱包されている。


 ・まだ届いていない。他県の物も参考にしたい方は
  東京都防災ホームページへ。

  東京都防災ホームページ|東京都防災ホームページ

  防災ブック『東京防災」』のデジタル版(電子書籍)が閲覧できる。

www.bousai.metro.tokyo.jp

 

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・最初簡単に済ませるつもりだったのだけれど、やはりまた映像にのめり込んでしまい
  結局ほぼ完璧な文字起こしをしてしまった。今回の特集は本当に秀悦です。再放送を
  土日祝日にでも何度でもすべきだと私は思い・熱望します。全国民が至急認識すべき
  事項です!

┣・東京は【関東大震災】と【東京大空襲】で2度も大規模な焼死を招いています。
  もちろん原因が異なれど『防災』という教訓が行き渡っていれば、あのような
  大惨事は免れたのではないかと思わずにはいられません。災害記録というものは
  とても残酷な物ですね。なんとか成らなかったのかと心底考えてしまいました。

┗・予測・予知の精度は確実に上がりました。あとは我々庶民が『防災知識』を
  身に付けるだけです。予測・予知よりも常に先に立てるよう、努めようでは
  ありませんか。

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┗・べた褒めした特集ですが、NHKでは既に報じられていました。(苦笑)

  歴史秘話ヒストリア

地震の神様 命を守る闘い
関東大震災を”予知”した男 今村明恒の苦闘~

●本放送 平成23年 8月31日(水) 22:00~22:43 総合 全国

   先人が残してくれた有り難い訓示です。どちらでもいいので見て知って下さい。