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戦後70年 ニッポンの肖像 -政治の模索-「第2回」"豊かさの分配" その先に

2015/07/24(金)<戦後70年 ニッポンの肖像 -政治の模索-「第2回」"豊かさの分配" その先に>
【NHKスペシャル】 http://www.nhk.or.jp/special/

www.nhk.or.jp


*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。


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┏┓NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 -政治の模索-
┃    第2回 <"豊かさの分配" その先に>
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  http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0719/


  2015年3月
 『北陸新幹線』開業

  かつて日本全国を『高速鉄道』で結ぼうと動いた一人の政治家がいた。

 ◇田中角栄 元首相
  この、新幹線が来たからッ!新潟県の工業出荷額は、新幹線の赤字の何十倍何百倍!
  拡大されるはずなんだッ !!  そんなことが分からんで日本の政治が語れるかッ!


  1972年4月13日
 【田中大臣私邸】にて。※新井市議会議員自民党議員クラブ陳情団
  今から43年前、田中角栄が描いた(新幹線の)手書きの路線図は、
  首都から日本海・新潟へ。列島を横断する構想が練られていた。

  高崎を分岐点に「長岡-新潟」方面と「長野-富山」方面を結ぶ両扇に
  No.1「長岡-柏崎」No.3「六日町-直江津」No.3「長野-直江津」。
  また「名古屋-長野-直江津」がひときわ太い線で描かれている。

  「高崎-長野-富山」を経由する『北陸新幹線』もその一つだった。


  高度成長期に登場した田中角栄。後の日本政治に大きな影響を及ぼすことになる。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  今、国と地方の借金は1,000兆円を超え、財政再建が迫られている日本。

  かつて『政治』の力で全国に“豊かさ”を行き渡らせようとする時代があった。

  「庶民宰相」と呼ばれ、地方にも道路や鉄道網の建設を進めた田中角栄
  この男が『公共事業』によって全国に“豊かさ”を分配するシステムを確立した。
  また田中角栄は“分配”の政治によって、自らの政治基盤を固めていった。


  高度成長期、自民党は、“成長”の果実を、広く地方などに“分配”することを
  通じて、豊かさを求める民意に応え、政権の座にあり続けた。


  しかし、“成長”を“分配”し、更に自民党の集票につなげるという、いわゆる
  政治とカネ「角栄モデル」は、とりわけ経済の低迷が続いた1990年代以降、
  行き詰まり“分配”が既得権益化。それを維持するために国の借金は膨張し続けた。

  改革が求められる今の時代。政治が直面したのは田中角栄が築いたシステムだった。


  番組では、高度成長と共に定着していった自民党による“分配”の政治システムを
  見つめ直し、そこから脱却しようとする政治の変革の模索を描くことで、今後の
  日本政治の課題を探っていく。

 

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┣■戦後を象徴する人物 (NHK世論調査より)


  1位 田中角栄
  2位 吉田茂
  3位 昭和天皇
  4位 ダグラス・マッカーサー
  5位 佐藤栄作
  6位 小泉純一郎
  7位 長嶋茂雄
  8位 美空ひばり
  9位 松下幸之助
  10位 麻原彰晃


 ・戦後70年にあたってNHKが行ったアンケート調査でも政財界人・文化人他を抑え
  「戦後を最も象徴する人物」の第1位となった田中角栄

  “今太閤”、“コンピューター付きブルドーザー”、“庶民宰相”、“闇将軍” など
  実に多くの呼び名を拝した。

  誰もが“豊かさ”を実感できるようにと邁進した田中角栄だが、それはその後の
  日本政治にへも大きな影響を与えることとなった。

 

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┣■“豊かさを全国に”田中角栄の政治とは


 【新潟県魚沼市
  かつての田中角栄の選挙区。この豪雪地帯こそが田中角栄の政治の原点だった。

 ◇田中角栄
  私は新潟県人ですから雪にはたまげない方です。東京から付いて来ている連中は
  たまげているでしょうな、実際。しかしたまげることはありませんよ、コレ。
  この雪がこれからの宝なんです、皆さん。


 ・雪深い地方にも政治の力で“豊かさ”を届ける。この信念が田中角栄を動かしていく

 ◇田中角栄
  政治は政治家のための政治ではない。
  お互い国民1人1人のために政治は存在をするのであります。 ※上手い。貫禄ある


 ・田中角栄はそれまで都市部に集中していた予算を『公共事業』によって
  地方へと分配していく政策を打ち出した。

 ◇田中角栄
  ここへ今度デッカい道路が来るわ。*シュタッ!*  ※白い手袋をはめた右手で
  ううん、ねッ?                  民衆に力強く答える。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  1972年
 『日本列島改造論』 ※田中角栄
  都市と地方を道路や鉄道で結び(縦貫と輪切りの高速道路。幹線自動車道1万km)
  各地に工場を建設(工場再配置)することで、

  “国土の均衡のある発展”を目指すという発想だった。


 ・当時、田中角栄国土交通大臣だった。若手官僚ら10人を大臣室へ集め、
  具体策を語っていたという。

  1972年2月17日 録音テープより
 ◇田中角栄国土交通大臣
  経済成長の中心は何かと言うとね「交通網の整備」である。
  「鉄道建設の総延長」、「道路予算の伸び」に『経済』が比例したとか
  そういう法則、自然経済法則から見ると、今の自動車・新幹線
  「東京-大阪」が45分で結べる時、ねっ、
  それはもう経済が拡大するに決まってるんだから。そうでしょう?

  道路はね、今の10兆円ないし15兆円計画というものはね、
  60兆円計画ぐらいまで上げなきゃいかん。


 ・打ち出された計画は前例のないものだった。

  『高速道路網』
   当時の総延長710km → 1万km
                        ※ !? 1972年当時は高速道路網より
  『新幹線網』                 新幹線網の方が長かったんだ(驚)
   当時の総延長730km → 9千km以上


 ◇堺屋太一 作家 ※元通産官僚 当時この会議に参加していた
  官僚は非常に支持してました。要するに『予算』をばらまいてくれるというのでね
  当時の【建設省】【運輸省】ね。そういうところは非常に期待が強かったですね。

  当時はね、やっぱり【製造業】を中心に日本は発展するんだ。『規格大量生産』を
  やるんだと。従って『規格大量生産』の現場を【地方】に移転する、それを便利に
  繋ぐ。これは「大変良いことだ」と皆さん思いました。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ・『日本列島改造論』を官僚達が指示した背景には、田中角栄が着々と進めてきた
  『財源』の“裏付け”があった。

  政治家としてまだ無名の時代から作り上げてきた30本を超える『議員立法』。
  半数近くが道路や鉄道建設、河川改修など国土開発の財源に関するものだった。

  その1つが『ガソリン』に税金を課し、道路財源の特定財源とする法律だった。
  (1953年『道路整備費の財源等に関する臨時措置法』)


 ◇田中角栄国土交通大臣
  道路整備費。この財源に『ガソリン税』が使われる。これは非常ーに大きなものだ!
  経済成長率は、そのまんまッ!、道路の整備費にスライドされたようにね、
  道路費用が15カ年間に100倍以上になったという。
  やっぱりね、その後の日本のね、経済再建にはコレはなくてはならない法律であった
  ことは事実である。


 ・『ガソリン税』として徴収される道路の特定財源は、自動車の普及とともに急増し、
  列島改造を推し進める原動力となっていった。

 ◇小長啓一 元総理大臣秘書官
  田中角栄の構想力は総理大臣になる前から際立っていたという。

  前人未踏と言いますか、誰も手を付けなかったところへ新しいアイデアを持って
  踏み込んで行って。しかもアイデアだけじゃなくてそれを具体的に実行する手段
  として財源も確保すると。『ガソリン税』に着目してこれを仕上げていくという
  相当なフロンティアへの挑戦だったと思うんですよねー。

 

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┣■“分配”と“権力” 田中の政治システム

 【東京都目白】
  田中角栄が政治の拠点とした邸宅があった場所。

  ここには全国から『公共事業』の誘致を求める人達が集まり、
  それが権力の基盤固めへと繋がっていった。


 『今週のアングル』 ※田中角栄自民党幹事長だった頃の映像より
  目白の大邸宅に帰ってくれば、陳情の山と積まれる予算の季節。

  陳情に訪れる支持者や業界団体の関係者達。「今度やりましょう!」*チリンチリン*
  机上には呼びベルが置かれ、要件が済むとベルを鳴らして次の来訪者と入れ替わる。

  多い日には1日200人以上、次々と陳情を聞き取っていく姿が映し出されている。


 ◇陳情者 初老の男性                 ◇田中角栄自民党幹事長
  選挙には皆で休んでいくんで。地固めしてますから。  よぉし!


  みんな大事なお客様。あちらを捌き、こちらを捌き、スケジュールは分刻み。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  1972年
 『自民党総裁選』
  田中角栄は立候補し、ライバル福田赳夫との激しい闘いは“角福戦争”と呼ばれた。

  「田中角栄君が、自由民主党総裁に決定しました。」


 ・田中角栄が権力の頂点に上り詰めたこの時、闘いの裏では“巨額の金”が動いたと
  されている。

  この時期、企業や業界団体は自民党の有力な支持基盤となり、
  自民党への献金額を急増させている。

     1955年   0億円
     1958年  30億円弱
     1967年  40億円超
     1971年  80億円超
     1972年  80億円超    ※以降【田中政権】
     1973年 179億円に達した


 ◇保坂正康 ノンフィクション作家
  配分の仕方がね、並外れてた。
  つまりコイツにこれだけやる、アイツにやるんというんじゃなくて、
  「お金というもので人が動く」ということを知ってて、それがもう
  選挙の時に弱い奴にはムチャクチャ金を、政治資金を渡す。
  そうやって目を掛けられる人は皆喜びますからね。それで田中の周辺に集まる。

  「数が絶対的な条件である」と。数が多いというのが「政治の要諦」だというのは
  田中さんの意見だからね、だからそういう意見がずっと続いたんだと思いますよ。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆総理大臣に就任した翌年、田中角栄は新たな分配政策を打ち出した。


 ◇田中角栄内閣総理大臣
  社会保障費2兆1千億円を計上致しました。最善の努力を致しました。


 ・“福祉元年”と呼ばれる『社会保障』の充実だった。

  当時【革新政党】の勢力拡大を警戒した田中角栄は、

     「70歳以上の医療費を無料化」。
  さらに「年金の給付水準を引き上げ」を行い、

  財源については“税収増”で賄うとした。


 ◇田中角栄内閣総理大臣
  これからは『社会保障』を拡大しなければならないのは当たり前である。
  『社会保障』の金は天から降ってこない!
  日本の土の中から金鉱が発見されたということは聞かない。
  日本の経済を拡大していく以外に、日本の『社会保障』は拡大できない!


 ・その後“政治とカネ”を巡り、2年余りで退陣した田中角栄
  一方、高度成長を背景に築き上げた“分配”のシステムは
  後の政治に引き継がれていった。

 

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┣■スタジオにて

  ◇首藤奈知子 キャスター
   表情や声からも凄い迫力、エネルギーを感じますよねー。(笑)


 Q.田中角栄という政治家、どうご覧になっていますか?

 A.
  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   田中角栄の強烈な問題は、彼「新潟出身」ですよね。ね? 東京や大阪や
   神奈川や名古屋、要するに太平洋側は皆栄えている。日本海側は全然寂れている。
   こういう差別の構造を無くさなければいけない。そこで彼がやっているのが
   “均衡ある国土発展”。要するに全国に道路を造る、全国に飛行場を造る、
   全国に新幹線をやる。これが後の『列島改造』になる。


  ◇御厨貴(64) 東京大学名誉教授 ※専門は日本政治史。数多くの政治家を聞き取る
   今では何か【田中角栄政治】が全て悪かったように言われますが、
   それは全く違うのであって、この時にやっぱり私はそのぉ池田勇人佐藤栄作
   中ではまだまだハッキリしてなかった、その日本の政治の『基本形』をですね
   田中角栄はキレイに押し出して、過疎と過密の同時解消といい、そしてそれから
   彼の凄かったところはこれはいろんな人が言ってますけれども、

   大抵そのこういうことをやって欲しいという、いわゆる『陳情』をですね、
   『陳情』を持っていくと多くの政治家がいい顔をして
   「分かった分かった、やっておくよ」と言って、しかしやった例しがない。

   田中角栄という人は、その時に必ず3つくらいのことを分けて言ってくると。
   まず第一は「これはやれる」と。第二は「今年は無理だが来年やろう」と。
   三つ目は「考え直せ」と。これをハッキリ言ってもらったら官僚はね、あるいは
   陳情をした人は“次の道”が出来るわけですよ。これがね、彼が「決断と実行」
   と言っているまさに「決断」の部分ですよね。


  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   「決断と実行」でね、田中角栄が僕にこう言った。「断ることは早く断れ!」
   実行することは増えてもいいと。


  ◇御厨貴(64) 東京大学名誉教授 ※専門は日本政治史。数多くの政治家を聞き取る
   普通の政治家は【土木】とかそういうものに要するに「目を向けない」んですよ。
   これは政治としては非常に“下品”なことと思っているわけ。彼はそれこそが政治
   だと思っているから本当にそこへ行って、あのぉ【建設省】の連中などと一緒に
   要するに橋頭堡を組んでいるわけ、一緒に。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  ◇三宅民夫 MC
   でもその一方でですね、田中角栄と言いますと政治手法には批判もありますよね?


  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   『中選挙区制』は1つの選挙区で5人あるいは3人だけども、当選すると自民党
   権力を・政権を維持するためには2人ないし3人を当選させなきゃいけない。
   この2人ないし3人は政策に違いは無いんだよね。しかも一番激しい戦争になる。
   この3人は。政策に違いが無くて激しい戦争になると何やるか。金を如何に使うか
   だから必然的に田中角栄的“金権選挙”に『中選挙区制』という制度はなるんです


  ◇御厨貴(64) 東京大学名誉教授 ※専門は日本政治史。数多くの政治家を聞き取る
   田中角栄という人はそのぉ「お金」に対する扱いが、本当にやっぱり他の人とは
   違ったと思います。彼はお金をストックにして取って置くという考えがなかった。
   お金は常にフローで回すわけです。ドンドンドンドン回していく。その要するに
   系を太く強く作るんですが、自分の派閥じゃないところまでドンドン流れて行く。
   そうすれば「いざって時には助けてくれる」という、こういう構造になっている
   というのは間違いないです。


  ◇三宅民夫 MC
   さぁその後なんですけど、社会も変わってですね、政治は激動の季節を迎えます。

 

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┣■“政治とカネ”“低成長”混迷の日本政治


   1974年 田中角栄首相辞任
   1976年 『ロッキード事件
   1978年 【大平内閣】発足
   1980年 【鈴木内閣】発足
   1982年 【中曽根内閣】発足
   1987年 【竹下内閣】発足
   1988年 『リクルート事件
   1992年 『東京佐川急便事件』
   1993年 非自民【細川連立政権】発足
   1996年 【橋本内閣】発足
   1997年 【山一証券】【北海道拓殖銀行】破綻
   1998年 【小渕内閣】発足


 ・『リクルート事件』『東京佐川急便事件』など“政治とカネ”を巡る問題が起き、
  国民の間からは政治改革を求める機運が一気に噴出した。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆その結果、誕生したのが非自民による【細川連立政権】。
  これによって自民党による55年体制は終焉を迎えることとなった。

 【細川連立政権
  金の掛からない選挙を目指し『小選挙区制』や『政党助成金制度』が導入された。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆一方でこの時期『経済』も大きく変化していた。“バブルの崩壊”に続き
  【山一証券】【北海道拓殖銀行】の破綻などが相次ぎ、政治も経済危機への対応を
  迫られた。


 ・しかしここで政治が摂ったのは、過去最大規模の経済対策を打ち
  “分配”に当たる『歳出』を広げて行く手法。借金を急拡大させたが
  景気は上向くことなく、有効な手立てを打ち出すことができなかった。

                            ※グラフから目分量
   1965年 『歳出』約  5兆円 > 『税収』約 3兆円
   1970年 『歳出』約  8兆円 > 『税収』約 7兆円
   1974年 『歳出』約 20兆円 > 『税収』約15兆円 ※開き始める
   1980年 『歳出』約 48兆円 > 『税収』約27兆円
   1985年 『歳出』約 53兆円 > 『税収』約40兆円
   1990年 『歳出』約 70兆円 > 『税収』約60兆円 ※バブル絶頂期
   1995年 『歳出』約 77兆円 > 『税収』約52兆円  以降、“ワニの口”
   2000年 『歳出』約 90兆円 > 『税収』約51兆円   状態に開いていく
   2005年 『歳出』約 82兆円 > 『税収』約49兆円
   2008年 『歳出』約102兆円 > 『税収』約39兆円 ※リーマン・ショック
   2013年 『歳出』約101兆円 > 『税収』約47兆円

 

  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   そのね、田中角栄を次いだのが竹下登で、竹下登田中角栄流の政治をやってきた
   これがところが『リクルート事件』で辞めざるを得なかった。ねっ竹下登の秘書が
   【リクルート】から金を受け取っていることが判って辞めざるを得なくなった。
   辞めたんだけど、代わりになる首相が日本にいない。


  ◇三宅民夫 MC
   経済は疲弊してるし“分配”はしていくってことで『借金』が!


  ◇御厨貴(64) 東京大学名誉教授 ※専門は日本政治史。数多くの政治家を聞き取る
   今まではそんなことは考えずに要するに“パイ”の分配さえ考えてりゃ良かった。
   しかしもう“パイ”も危ないぞと。どうも政治の利益を解放するだけではないぞ
   っていうことは知ってたんだけど、まぁそれに対応する制度も人も揃ってなかった
   ので、ここまで惰性で続いていきます!


  ◇三宅民夫 MC
   さぁこうした中、21世紀を迎えていくわけですけれども、登場したのが
   従来の政治から決別を訴えたこの人でした。

 

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┣■“田中政治を壊す”小泉改革の舞台裏

  2001年
 『自民党総裁選』
  街頭にて。

 ◇民衆 中年女性  ◇民衆 若い女性        ◇民衆 男性
  小泉さ~んッ!  *キャー* 握手&ボディタッチ 総理になって下さい。


 ◇小泉純一郎
  歴史が動くかもしれない!*クルリ*  ※回転して後ろの聴衆にもPR
                     「ガンバレ小泉ぃ!」オバサン絶叫


 ・国民の支持を背景に、田中角栄派の流れを組む橋本龍太郎を破ったのが
  小泉純一郎だった。

 【小泉内閣
  発足時の支持率は戦後最高となる81%。
  派閥からの推薦を受け付けず、民間から大臣を起用するなど従来にはないやり方で
  政権をスタートさせた。   ※竹中平蔵など


 ◇小泉純一郎内閣総理大臣
  私の内閣の方針に反対する勢力。これは全て抵抗勢力であります。
  ワケの分からない論理は【小泉内閣】には通用しないことを*バンバン*明記します!
                             ※机上を激しく叩く
  満場拍手喝采だった。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ・当時、国と地方の債務残高が600兆円を超える中、
  【小泉内閣】がまず取り組んだのが『公共事業』の削減。
  中でも田中角栄政治の象徴だった『道路』だった。

  小泉純一郎は【日本道路公団】の“民営化”を打ち出した。

  毎年決まって投じられていた国費3千億円を投入せず、
  採算の見込みのない『高速道路』の“建設見直し”を宣言した。


 ◇竹中平蔵 元経済財政政策担当大臣(当時)
  普通の国の2倍から3倍の『公共事業』をやっていたわけです。
  そこにそれぞれの【建設業界】とか地方の有力者とか“利権に巣くう”人達がいて
  それを容易に減らせない状況になっていたわけですね。
  だからそこにまずメスを入れなきゃいけない。

  非常に古い体制の、発展途上国から一気に経済成長するために作られた
  55年型の古い体制の象徴がまさに『公共事業』であり、それを担う【道路公団】
  であったと。


 ◇山崎拓自民党幹事長(当時) ※長年、小泉純一郎と盟友関係を築いてきた
  【小泉政権】の原点には“反田中角栄”の思いがあったという。

  1970年、田中角栄のライバルだった福田赳夫の秘書として政治の世界に入った
  小泉純一郎。“金権政治”を批判し、“角福戦争”を繰り広げた福田赳夫
  “金と数”の力を前に田中角栄に敗れ去る姿を間近で見ていた。

  総裁選挙の当日に下足番をしていて、敗戦で憔悴した福田赳夫さんが自宅に帰って
  誰も自宅で迎える者もなく彼(小泉純一郎)が迎えて、敗戦代わりというか
  酒を一緒に飲んで彼(福田赳夫)の慨嘆を聞いたと。勝者(田中角栄)に対して
  彼(小泉純一郎)は、かなり激しい怒りを持ったと。それを引きずっておられたと
  思います。


 『自民党 国土交通関係合同会議』
  【道路公団】の民営化には自民党内からも反発の声が上がった。
  “道路族”と呼ばれる議員達だった。

 ◇????
  わしらはコレ、命を懸けてきたんだよ。

 ◇古賀誠 自民党 道路調査会長(当時)
  国土のネットワークをキチッとやっていくということは
  我々政治家の最大の使命ですから。

  「これまでの自民党が担ってきた役割は重い」と訴え、小泉純一郎に対峙した。


  「道路は国」だと。これは災害から防災の役割をやる復旧復興の時の「命の綱」だ。
  それと「国民の暮らしを守る」んだと。これを“民営化”するなんて到底出来ない。

  『道路』っていうことに対してお分かりなのかなと。うーん、これはよくね
  徹底的に、総理といえども最高権力者といえどもね、言うべきことは言い、
  守るべきことは守っていかなきゃいかんと。・・・
                        ※久しぶりに見たけど老いたなぁ。


  2001年12月
 『道路公団民営化』(NHK世論調査より)

   評価する  71%
   評価しない 16%


 ・小泉純一郎は国民の声を背景に“民営化”を決定した。


 ◇山崎拓自民党幹事長(当時) ※長年、小泉純一郎と盟友関係を築いてきた
  敵味方ハッキリさせて勝負していきましたからね。
  田中角栄さんのような全て自分の味方にしていくやり方、潤滑油も使っていくやり方
  それに対して小泉純一郎さんは“潤滑油ゼロ”ですから!


 ・結果として田中角栄政治の象徴だった道路投資額は約3割削減、
                公共事業費全体では約2兆円以上削減した。

  その一方で必要な道路については国が直接建設する関与する仕組みも新たに作られ
  “玉虫色の決着”とも言われた。  ※直轄方式


 ◇古賀誠 自民党 道路調査会長(当時)
  抵抗勢力の代表だというような、そういう烙印も押されたけれども
  しかし結果として残すべき物は残せた。  ※してやったりの表情を浮かべる
  国民の期待に応えて民間会社が、自主的に民営化のノウハウを活かして
  必要な削減をしながら造り続けて行ってくれると。
  そこは僕はね「守るところは守った」と。(笑) *満面の笑み*
  自分でそう言ってね、納得してるんです。(笑) *ニコニコ*


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆“分配”政策の見直しを進める小泉純一郎
  もう一つのターゲットが『社会保障』だった。


 ・毎年1兆円ずつ増加し、歳出全体の4分の1近くを占めるまでになっていた。

  小泉純一郎は医療費の「患者負担の割合を引き上げる」など見直しを進めた。


  2001年
 『医療関係者らの集会』
  自民党を支持してきた業界団体がコレに激しく反対。

  「サラリーマンの3割負担には全く納得できない。」


 【日本医師会
  会員数15万人以上。自民党に毎年約3億円の政治献金をしていたが
  医療費の「患者負担の割合を引き上げ」に対して懸念を抱いていた。


 ◇植松治雄 元会長 日本医師会
  今までに無い形の、皆さん方も感じると思いますが【内閣】になったなということで
  非常な戸惑いは確かにありました。
  『皆保険制度』の精神が、基本的な姿が失われてしまうというのが私共の認識だった
  んですね。


  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ◆さらにそれまでの自民党の政治システムを大きく壊すことになったのが
  2005年の“郵政選挙”だった。


 ◇小泉純一郎内閣総理大臣
  自由民主党は『郵政民営化』に賛成する候補者しか公認しません。


 ・小泉純一郎は『郵政民営化法案』が否決されると【衆議院】を解散した。

  2005年
 “郵政選挙
  法案に反対した者は公認せず、“刺客”と呼ばれた対立候補を次々と送り込み
  選挙で大勝した。


 ・こうした中で弱体したのが自民党政治の象徴だった【派閥】。
  かつて“数の力”を背景に絶大な影響を放った【田中派】。


 【平成研究会
  旧【田中派】の流れを組む派閥の事務所。
  官僚や業界団体が頻繁に出入りしていた事務所も会合を開く時以外は
  ほとんど使われなくなった。


 ◇津島雄二 元会長 平成研究会
  (【田中派】が)伝統的に当時の戦後の日本の基本的な考え方を
  シッカリと守り育ててきたということは言ってもいいだろうと。

 Q.それを小泉純一郎さんは強制的に?

 A.割り切って、そしていわゆる判りやすいところに単純化して
   それを掲げて「賛成」か「反対」かというやり方をおやりになった。
   一時はそれでワッと国民は熱狂したけれども、
   しかし問題の解決には繋がらなかったという評価の方が大きいんじゃ
   ないでしょうかね?

 

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 ◆5年5ヵ月の長期政権となった【小泉内閣】。

 ・旧来の自民党政治を壊した一方で、後に改革の“歪み”も問われることとなった。

 

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┣■スタジオにて


 Q.『小泉改革』の“意味合い”を二人はどのように思いになられましたか?

 A.
  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   今までね、一度も言わなかったオフレコの話をしましょうか?

   実は小泉さんが総裁選挙へ出ようか出まいか迷っていた時に中川秀直さんが
   僕に「田原さん、どう思う?」って言うから僕は冗談半分で、ウ~ンって
   「もし小泉さんが【田中経世会】と真っ向から喧嘩する。本気でやるなら
    支持してもいいと思うよ」と冗談で言ったら、ちょっと待てと。
   下からね、小泉さんがちょうど上がってきたの。「目の前で言ってくれ」と。

   「アンタがね、本気で喧嘩をしたら暗殺されるかも知れないけれど」と。
   そしたらね、怖そうに「暗殺されてもやる」と言うわけ(笑)、ねっ(苦笑)
   喧嘩すると。この次が僕は小泉っていうのはね“言葉の天才”だと思ったの。

   「【田中経世会】と喧嘩して潰す」ったってね、一般には通用しませんよ。
   ところが『総裁選挙』になったら「【自民党】をぶっ潰す!」って言った。


  ◇御厨貴(64) 東京大学名誉教授
   【田中派】がもう全ての自民党の中の決定の文法から、自民党の中の人事から
   果ては閣僚人事から全部牛耳っていたわけですから、コレを切るということは
   まず最初の組閣の時に徹底的に【経世会】を干したんですね。

  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   要するにそれまでは【田中派】の政治が変わんなかったの。変わんない政治、
   変わんない政治に国民が“飽きちゃった”わけね。もう飽きちゃって問題点が
   一杯出てきた。それでスパーンと思い切って変えたんですよね。

  ◇御厨貴(64) 東京大学名誉教授
   そうですね。小泉さんが現実にはやっぱり90年代のそのいくつかの政治の果実を
   明らかに使った。1つはそれは間違いなく『小選挙区制』です。
   『小選挙区制』で総裁の言うことしかこれからの連中は聞かない!
   だから要するに【派閥】というのは本当にこれまでも段々弱ってきていたけれども
   これを完全に無視できた。


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  ◇三宅民夫 MC
   かなり変わることは変わったということがあるようなんですが(笑)


  ◇御厨貴(64) 東京大学名誉教授
   これまでの“分配”政治を変えて、分配の“パイ”は大きくならないから。
   大きくならなかったら削るしかないというと。だからこの再配分は要するに
   マイナスの政治になっちゃったんですよ。

  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   “削る”っていうことをね、思い切ってやったわけ。
   これを「痛みを伴う構造改革」と言ったよね。

   その代わり“格差”が大きくなった。ね、それからまぁ言ってみれば貧困層
   増えてきたという問題があります。だから、後から小泉さんを批判する人は
   アレは『新自由主義』の政治だと。『新自由主義』の政治は弱い人間に対して
   足りないと・冷たいと。

 

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┣■低成長と“新たな分配”【民主党】政権の模索


   2001年 【小泉内閣】発足
   2006年 【安倍内閣】発足(第1次)
   2007年 【福田内閣】発足
   2008年 【麻生内閣】発足
   2009年 【民主党】政権発足


 ◆小泉純一郎の後、自民党政権は1年ごとに総理大臣が交代していく。
  そこで政権交代、【民主党】政権が発足した。


  2009年
 『所信表明演説
 ◇鳩山由紀夫内閣総理大臣
  「コンクリートから人へ」という基本方針に基づき、転換して参ります。


 ・【民主党】政権が打ち出したのは『低成長時代』に合わせた“新たな分配”政策
  だった。

 『マニフェスト』に掲げたのは、
  ・限られた予算を組み替えて
  『子ども手当て』や『高校授業料の実質無償化』などを実現させることだった。


 ◇松井孝治内閣官房副長官(当時)
  「人への投資」を重視した分配政策こそが、次の時代の政治のあり方だと
  考えていたという。

  「未来に向けた投資」というものを、「人」という言い方で象徴的に表して
  従来型の『公共事業』ということからもう少し未来志向の、
  例えば「人材も含めた投資」へ軸足を移していくべきではないか。


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 ◆“新たな分配”を実現するため課題となったのは『財源』をどう確保するかだった。


 【群馬県長野原町
  建設されていた【八ッ場ダム】の建設中止だった。
  今現在は5年後の完成を目指し、本体工事が進んでいる。

 【民主党】が打ち出した【八ッ場ダム】建設中止は、大きな壁にぶち当たった。


  2010年1月
 ・地元住民らが【民主党】政権の方針に激しく反発。

 ◇地元住民 初老の男性(町長?)
  【八ッ場ダム】があと僅かで完成する時になって「中止します」との発言。
  これこそ“国の横暴”じゃないでしょうか?

 ◇地元住民 60前後の女性
  大臣、「【八ッ場ダム】完成」。それしかありません。 ※キツイ言い方


 ・『高度成長期』に各地で計画された「巨大ダムの建設」。
  なぜ住民達はダムの建設を受け入れるに至ったのか。
  それに関わっていたのが田中角栄だった。

  田中角栄は地元住民を納得させるための仕組みを作っていた。
  多くの水を利用するダム下流の【自治体】が地元住民の生活再建費を負担する
  というものだった。

  1973年9月18日
 『水源地域対策特別措置法』  ※【田中政権】時に成立
  当初は各地で起きていたダム建設の反対運動も、
  この法律が制定後は次第に下火になっていった。


 ◇竹田博栄さん 元反対派住民
  ダムを一つの契機として「町の振興策」をやろうじゃないかと。
  だから「災い転じて福となす」というように。今度はまぁ反対っていうんじゃなくて
  要するに「再建案を進めてもらいたい」というようなことで方向転換になったわけ
  ですよ。(生活再建策として地元に学校や集会が造られることに住民は期待した。)


 ・下流の【自治体】は、
  「地元住民の生活再建費」に加え、「莫大なダム建設費」も負担してきた。

  2009年9月
 【東京都】
  これまで【八ッ場ダム】建設に400億円以上支払ってきた【東京都】は
  激しく反発。

 ◇石原慎太郎東京都知事
  膨大なお金を出して造ってきた。東京だって分担金で出資したわけですよ。
  これが国の意志で中止になったら当然「返還請求」しますからね。

                 ※【新銀行東京】もちょうど400億円。
                  これはどこの誰に返還請求すればいい?(苦笑)


 ・【民主党】が分配政策の『財源』に繋がるとみていた【八ッ場ダム】だが
  その建設を止めることはできなかった。


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 ◆“新たな分配”とともに【民主党】が打ち出していたのが、
  『生活者の負担軽減』策。


 『暫定税率の廃止』
  ガソリン税などの廃止。


 ・『暫定税率』は【田中政権】の時に『道路特定財源』として制定された仕組み。

  【民主党】は野党時代から
  「『暫定税率』は家庭を圧迫している」として廃止を訴えてきた。


 ・しかし【民主党】政権は初めての予算編成で2兆円もの財源不足に直面した。


 ◇藤井裕久財務大臣(当時)
  【財務省】の立場として、私の立場として、財政をまとめることはできない。
  “バッサリ切る”ってことはなかなかできないんですね。
  積み上げで2兆という金は大変なものなんですね。
  ですからその額の大きい(2兆5千億円以上あった)『暫定税率』に
  目がいったことは否定致しません。


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 ◆『マニフェスト』に掲げた公約の多くを断念した【民主党】。
  『低成長時代』の“新たな分配”の模索は3年余りで挫折した。


 ◇松井孝治内閣官房副長官(当時)
  結局、旗を掲げていたものが一つ一つと旗を降ろしていかざるを得なくなった。
  その現実の経済とか、現実の政治の壁の中で。
  まっ従来のね、地域におけるいろんな利害関係みたいなことを聞けば聞くほど
  過去の経緯、まっ悪く言えば“しがらみ”にも囚われますし、
  徐々に現実に、地域の現実に引き寄せられた政策に戻っていったような印象は
  ありますねぇ・・・ 。

 

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┣■求められる“新たな政治”モデルは


 Q.日本の政治が“新しい政治”モデルを生み出せないのはなぜなんでしょうかね?

 A.
  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   あのね、ちょっと理屈っぽく言いますと、えーアメリカにもヨーロッパにも
   二大政党があって、片っぽは『保守』なんです。片っぽは『リベラル』なんですよ

   <米・英など>
    『保守』とは、小さな政府・自由競争
    『リベラル』、大きな政府・分配(『社会保障』を積み上げる)

   日本は【自民党】が『保守』でしょ?保守のくせにやっていることは『リベラル』
   福祉の、田中政治ですよ。(“分配”)
   ドンドン福祉を積み上げて、ドンドンそういうのをやって大きな政府なんですよ。

   ところが【民主党】ってのはより『リベラル』なの。
   結局ね、予算を減らすことができなかったの。

   だから要するに日本の欠陥・おかしいところは、外国は『保守』と『リベラル』が
   交互にやっているんだけれども、日本はそういう意味の『保守』がないんですよ。

 

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┣■『低成長時代』政治は何を目指すべきか


 Q.一番問われていることは『低成長の時代』に政治というのは何を目指すべきなのか

 A.
  ◇御厨貴(64) 東京大学名誉教授
   やっぱりもうその倍々ゲームのように“パイ”は増えませんからね、
   その“パイ”を切っていく時のね、切り方っていうのは実は
   “パイ”が増えていく時の配分を変えてって、ここにもっと付けるというのとは
   違うね「物凄く緻密な作業」と、それから切られる方に対しては
   「物凄い説得が必要」なんですよ。

   だから「緻密な論理」とね、これ以上ないくらいの「丁寧な説得」というのをね
   今後は考えた政党が勝ちますよね。


  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   今や「成長は無い」と。で「資本主義はもう終わり」だという意見もある。
   で、僕は『アベノミクス』というのはこれに対するチャレンジだと思っている。
   『アベノミクス』は「いや、成長するんだ」と。
   で、僕はね、チャレンジという意味では『アベノミクス』を買ってるんですよ、
   実は。成功するかどうかは分からない。これはね、壮大なチャレンジですよ。

 

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┣■戦後70年 歴史に何を学ぶべきか


 Q.戦後70年 ニッポンの肖像 -政治の模索- 1、2回を振り返ってみて

 A.
   ◇御厨貴(64) 東京大学名誉教授
    私は岸信介さんからの関係で言うと、やっぱり岸さんのDNAを持っている
    安倍晋三さん。安倍さんはとにかくその、自民党政治の中では極めて不利な
    「国家的な価値」であるとか「憲法改正」であることを言い続けてきた。

    まっ一遍はやって失敗した。今度はですね、カムバックした彼が考えているのは
    かなり戦略的に考えていて、少しずつ【自民党】が変ってきちゃっている。
    「利益政治」から「イデオロギーの政治」へという風にまだいってないけれども
    どうもそこのところを変えようとしてるのが安倍さんで、
    恐らく岸信介さん以来のアレが復活しているんだと思いますね。


  ◇田原総一郎(81) ジャーナリスト
   【小泉政治】でね、つまり反主流派、非主流派は無くなった。
   今【安倍政治】にも反主流派、非主流派は無いから、例えば安倍さんが
   『集団的自衛権』の行使をやろうと、従来ならばね、自民党内で反対!ってのが
   出てくるんですよ。自民党の中で大論争が起きるんですよ。それが起きない。
   これはやっぱりね、あまり従来の自民党とは体質が変わっちゃったなと思う。
   本当は今こそ野党がもっとシッカリしなきゃ。(苦笑)


  ◇三宅民夫 MC
   本当に難しい時代に入っていくだけに、政治が大事だし、私たち一人一人がね
   問われているんだと思いますねー。*盛んに頷く*

  ◇首藤奈知子 キャスター
   お二人どうもありがとうございました。<(_ _)>

 

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┗■放送を終えて  ※HPよりそのまま転載
  http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0719/

 

 「国民各層の利益を吸い上げ、国民全体の利益に統合して立法化することこそが、
  政治家本来の仕事である」(田中角栄


 今回の番組では、まさにこの田中角栄の言葉にあるように、それぞれの時代の
 政治家が、「人々の声にどう耳を傾け、何を築こうとしたのか」、
 様々な証言・資料・データをひとつひとつたどりながら、明らかにしていくことを
 めざしました。

 長い戦後政治の歩みの中から何をエッセンスとしてまとめていくのか、限られた
 放送時間の中で、非常に難しい作業でしたが、今後の政治に何が求められるかを
 考えていく上で、ヒントや材料になるものを提供することが、何とかできたのでは
 ないかと思っております。

 印象的だったのは、番組後半にゲストの御厨貴東京大学名誉教授(政治学)が
 語っていた、「もはやパイは増えていかない低成長時代において、政治には、
 切られる側に対し、ものすごい丁寧な説得と、緻密な論理が求められる」との
 言葉ですが、そうしたことが実際になされていくのかどうか、今後も注視して
 取材を続けていきたいと思います。

(ディレクター 班目幸司)

 

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 戦後70年を機に行った世論調査で「戦後を最も象徴する人物」になった田中角栄
 田中が総理大臣を辞めて40年以上が経つのに、“ニッポンの戦後”を体現する人物
 として田中の名前が挙がるのはなぜなのか。

 “今太閤”“コンピューター付きブルドーザー”“庶民宰相”“目白の闇将軍”など
 実に多くの呼ばれ方をしている田中が築いたものとは、一体何なのか。
 それが今の私たちの暮らしに何を残しているのか。こうした問題意識が、
 今回の番組の出発点でした。


 税収が右肩上がりの高度経済成長の時代であればうまく機能していたものも、
 低成長の時代に入ると、たとえ課題があることに気づいても、次なる政治モデルを
 なかなか見いだすことができない。日本経済の“失われる20年”にも繋がる課題
 かもしれませんが、日本政治も、かつてとは違う“簡単ではない時代”の中にいる
 ということなんだと思います。

 低成長時代に持続可能な政治モデルを生み出すことは並大抵のことではありません。
 そのためには何が必要なのか、今後も取材していきたいと思います。

(ディレクター 長島悠)

 

◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

┣・1回目が実に素晴らしかったので2回目も文字おこし作業をしてしまった。
  途中からは実体験しているわけだけれど、正直恥ずかしながらこれほどまで
  政治を見つめてこなかった。混沌してきた今、遅まきながらも各自真面目に
  振り返って見るべき問題だろう。社会人となって始めて気づく、既得権益
  いつまでもぶら下がり続ける愚かな者達の存在に。

┣・『経常収支』:一国の国際収支は十分に黒字なので、日本が他国のように
  財政破綻することはないという経済学者は多いが、それにしてもこれだけ
  歳出と税収の差が開き、尚かつ貧困層が拡大している現状はマズイだろう。
  何のために国際収支が黒字なのか分からない。それは敗戦国ゆえ戦勝国らに
  搾取されているとしか思えないでないか。(苦) 

┗・田中角栄のやり方には一理あると思うし、正直今一番欲しているやり方なの
  ではないかと個人的には思う。地方への企業再配置。地方都市を整備し直し
  企業・雇用地中心に都市を再配置していく。ついでに土地という概念をも
  取っ払えれば今後の将来の憂いも無くなろう。今は誰もがしがみついている。
  不安で仕方がないのが現状だ。その不安を取り除いてくれる、説得力のある
  政治家・政党の登場を心待ちにしたい。