米軍が最も恐れた日本兵の凄い話
2015/04/04(土)<米軍が最も恐れた日本兵の凄い話>
【凄カードな夜】 http://www.fujitv.co.jp/b_hp/150404sugocard/
*敬称略しています。 また長文ゆえ誤字脱字が多いです。ご了承ください。
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┏┓この話凄くないですか?
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番組紹介
「すごい話を嫌いな人はいない!すごい話には感動がある!」。
この番組では、世の中の“すごい人”から、“すごい話”を聞き、トークに
長けた話術のスペシャリストたちが、坂上チームと渡部チームとに分かれ、
カードバトル形式で、その“すごい話”を披露する!
┣■米軍が最も恐れた日本兵の凄い話
<渡部チーム>
SHELLY
・伝説の最強日本兵 船坂弘
・戦後70年、太平洋戦争のパラオ諸島での戦い。
普通の人なら死んでしまう致命傷も、彼は死にません。
島を守っていた日本兵の数:1400人
米兵の数:2万2千人 ※15倍
太腿の裏に25cmのタップリと割れた瀕死の重傷を負い、手の施しようがないと
軍医に見放されたが、夜通し這いつくばって基地に帰った。そして翌日には
足引き摺って歩けるまでに復活。
自著『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』より
「私の体質が生まれつき傷に強く、化膿に耐え、治癒力が早い
ということにも助けられた。」
・1万人の米兵の中へ、たった1人で乗り込んでいった。
三日三晩這いつくばって米軍基地へ潜入するも米兵に見つかり首に銃撃を受けた。
誰もが死んだと思ったが、その3日後には蘇生した。
防衛庁の資料『中部太平洋陸軍作戦<2>ペリリュー・アンガウル・硫黄島』より
「単身突入したが、頚部を撃たれ昏倒、三日間意識不明のまま
米軍に収容看護され、奇跡的に蘇生。」
・米軍の捕虜になっても諦めない。
看守の目を盗んで脱走。米軍の弾薬庫を爆破させた。
自著『聖書と刀 太平洋の友情』より
「ペリリュー島における日本軍最後の拠点・大山が占拠される直前、
突然、米軍の火薬庫が大爆発を起こした。
-中略-
班員が判明しないまま迷宮入りになったが、犯人は私である。」
深夜に爆発させた後、収容所へ戻り、何事も無かったように朝礼に参加した。
その後は捕虜として、ハワイ/アメリカ本土と転々とし、日本に帰国する。
日本に帰国後は本屋を経営。それが渋谷センター通り入り口にある『大盛堂書店』
亡くなる2006年まで『大盛堂書店』にて渋谷の若者たちを見守り続けた。
船坂さんは今の日本の若者を見て、何を思っていたのだろうか・・・ 。
┗■結果
<渡部チーム>が2対1で勝つも、ラスト3Pで罰ゲームは渡部のみ。
◇感想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
┣・“不死身伝説”実在者の所在地まで明らかにしているところが凄い話。(笑)
「当たり所が良かった」的な幸運の連続が続くこともある典型とも言える。
┣・自分も競馬で“バカ当たり”をした日が1日だけある。予想の全てが
ことごとく目の前で的中していくのだ。パーフェクト予想とまでは行かな
かったが、唯一外したメインレースはなぜか様子見感覚で掛け金を抑えて
いたのが今思い返しても不思議。翌週には勘違いして大枚を叩いてしまう
わけだが。(苦笑)
┗・この幸運が続くときに突っ走れるか/できないかが偉人と凡人との差だと
思う。単純思考でないとなかなか出来るものではないけどね。“紙一重”
という表現は本当によく言い表している。